2021年09月05日

職業で形成される人格 (職業選択は大事でもその人にあった職につけないー人格を歪める職が多い)


職業で形成される人格

(職業選択は大事でもその人にあった職につけないー人格を歪める職が多い)

人間は学生時代でもいろいろ学んでも勉強してもその目的は何なのか?
その先に社会があり職業に就くことが目的となる
ただ学生時代はどういう職がありその職がどういうものがわからないのである
例えば農家だったらいつも働いている親とか視ているのだから自ずとその職業を理解するのである、それを日々見ているから反発して嫌だとして親に逆らい農業だけはやりたくないと事件を起こした人までいる
また親から農業だけはやるなと殴られた人もいる、その人は工事現場とか原発で働くようになった、その頃から農業は金にならない割に合わない職業にもなっていたからだ
つまり農業といっても外部から見ているだけではわからない
今になると農業はいいものだともみる、原発事故が起きたことで農業をしていればこうはならなかったとも見るようにもなる

なぜ今職業が問題になるのかというと江戸時代まではたいがい親の職業を継いだのである農家でもそうだし漁師でもそうだし大工とか陶器作りとかでもそうである
家業を継いだのが多いのである、だから職業選択にそれほど悩まないのである
侍は侍であり農民は農民であり商人は商人であり職人は職人である
そして結婚するにしても同じ職業の人なのである
すると互いに理解しやすいということがあった、何か経営者は商人の娘を嫁にしろというときもそうである、それは商人も経営者であり自営業であり金銭のやり繰りとかを身近で見ているからである、嫁ぐ先の職業がのちのち影響する
その職業に向かいない人がいるからだ

天皇家に嫁いだ雅子様は宮家とかに向いていなかったのでうつ病とかなった
宮家というものがどういうものがわからずに強制的に嫁にされたからである
第一天皇家のこと自体わかる人はいない、でも宮家とかで育てばそういう環境で育っているから適合できる割わいが大きくなる、ただ別に美智子様の場合は平民で天皇家に適合したとなる、普通はなかなか適合しにくいとなる
つまり育った環境が人間に影響する、血筋より育った環境の影響が人間は大きいからだ
どういう家に育ったのかそれがその人間を作るともなる
だからカルト宗教団体などで育った者は何か偏り結婚したりするとうまくいかないともなる、常識からはずれているからである

なぜ職業が問題になるかというと職業は人間に欠かせないものでありその職業によって人間でも作られる、職人気質とかなり人間を作る
だからその職業がどういうものか知ることが大事になる
ところが学生時代で勉強しても職業のことはわからないのである
そもそも様々な職業のことを今や複雑化して理解できなくなっている
もともと人間は職業が違うと意志疎通もてきなくなっていた
それで鉄を作る人とか山奥で曲げ物など木の椀などを作る人は神秘的な存在となった
それはその職業のことがわからないからである

ただ言えることは江戸時代の人達がみんないい顔して幸福そうな顔していたということを外人が見て言っているとかなりそれをしきりに言う
でもそうなっていたのは江戸時代ならほとど農民であり後は漁師とか職人であり職業の種類は限られていた、侍は侍の世界があり親の跡を長男が継いだ
だからあまり理解できない職業はなかったように思える
ということはそういう職業は何か人をだますようなことはない、商人とかなる口八丁手八兆で口先だけで物を売るとういことがある
商人は必要でもそうなりやすい面がある、でも第一次産業に従事する人がほとんどの時代は何か人をだますような職業がまれだった、すると貧乏でも嘘つかないとかで人々が良心を曲げることもないから精神的には安らかだったとなりそう言われるとなる
職人気質のように仕事に一途に励んでいたとなる

戦後の私の子供の時代の時、回りでは職業が見える社会だった、農民がまだ多かったし
職人も多かった、駕籠を作る人とか石屋とか漆塗り屋とか豆腐屋とか何か近隣の仕事がわかりやすかったのである、今は職業が多様でありわかりにくいのである
すると職業のことがわからないからその人に合った知っている職業に就くわけでないから適合できずにやめるという人も増える、おそらく親の仕事を見て受け継ぐとなるとそういう職業は子供の時から見ているのだからわかっているし適合する割合が大きくなる
もちろん適合しない人は常にいるけど割合的には適合しやすいのである
そこではあまり職業選択に迷わないとなる

現代は無数の職業がある、でも自分にあった職業に就く人はまれだともなる
だからこそニートとが膨大に増えたとなる、仕事に合わないとか辛いとかもある
そもそも何かその人にあった職業に就くことは簡単にできない社会である
ただ職業というとき文系は理系よりいい職業に就けない、それで理系は物作りでありいい顔になるというときそうだと思う
文系の仕事は何かいいものがない、営業とかなると何かそこで口先で騙す職業だともなるそして何か弁護士であれ証券会社であれ銀行であれこういう職業はいいとも見ていたが実際は騙すものだということがわかった
銀行など地域で硬い職業としてエリートとして見られていたが今や人をだます商売になっている、投資信託とか売り手数料を稼ぐ、投資信託が詐欺商品でありハーバード大学を出た人が良心の呵責になりそれを暴露したことでもわかる
弁護士でも何かそこに法律の知識で騙すということがある
もちろんみんなそうではないがそういう人も現実にいる
それで文系の仕事は何かそういう人をだますのが多いともみる

例えば官僚でも実際それは人をだますものであり犯罪者にあるというときそうである
帳簿でも数字でもごまかす、それでそれをごまかした官僚が良心に耐えられなくなり
自殺した人がいた、だから霞が関の官僚でもそうなる
官僚は技官は別にして文系が多いからである、文系はいい職業に就くことがむずかしいのである、何かごまかすことが多い職業だとなる
政治家となるともう政治家自身が言っている、嘘をつくのが政治家だと言っている
何か口先でいいことを言うだけだとなる
選挙の時だけいいことを言うが実行できないのに言うこと自体がそうである
それは政治家という職業がそうさせるのである、だからこそどういう職業に就くかが大事になる、その人がもともといい人でも職業によって心が歪められるからだ

銀行など地域で硬い職業と見られていた、今や高度成長時代になりITの発達とかで取り残されたもうけることができなくなった
貯金されたものを借りる人がいて自動的に利益が上がる時代が終わった時利子も貯金につけられない、銀行は今や必要ないともなってしまった
そうなると何とかもうけるために投資信託などを売りつける、そして手数料だけはもらうとなる、これも騙しなのである
ただ別に株などは自力でできる人はやればいい、銀行であれ証券会社を仲介にするとき
だまされるとなる、それも結局自己責任だとなる、銀行とか証券会社が罪に問われることはないのである

ただ職業が業となっいてるとい職業自体に何か罪なるものがありそうなった
だから農業でも焼畑とかなると森林を焼くから自然破壊だともなる
稲作でも森を破壊するからそれは人間の業だともなる
そういうことで仏教ではその業から逃れるために僧院に入り職業につかず修行したとなる職業に就くこと自体心が汚れるとしてそうなったのである
確かに今や銀行員とかはそうなる、それでアメリカの大銀行に勤めていたような人が
農業をはじめたとかある、銀行という仕事に嫌気さしてそうなったのである
金だけを操作してそれで大儲けする人を見ていたからそうなった
それが陰謀論になり批判するようになった、「つばさの党」でyoutubeで説明している人がそうである
紙幣とか貨幣とか何か架空的なものをあつかうより実物を扱う農業をするようになったのである、金融というときそれは今や数字てあり数字のゲームをしているようにもなっているからだ、何かギャンブルの世界のようにもなっているからだ
そういう仕事自体が心を歪め人格を歪めるものになっているからだ

とにかく現代は職業が無数にありその選択に悩む、ただ地方だと職業の選択は限られている、大卒だと更に限られていて自分に合った職業がないとなり都会に出るほかないともなる、私の場合は引きこもりであり職業にはついていない
でも郷土学とかを追求してきた、田舎で芸術でも学問でも追求して来た
ただそれが職業にはなっていない、一文の収入もならなかったからだ
そして自分に向いている職業はジャーナリストのなかと思うようになった
今ネットでしている「相馬新報」とかがそうである
ジャーナリストは相当な幅広い知識が必要だと思った、原発事故を追求するにしても多角的に追求する必要があったからだ、ただ文系だと理系ではないから原子力のことがわからない、そこが大きな障壁となり追求できなかった

でも郷土史とか歴史とか地理学とかこの追求はするにはあらゆることを総動員しないとできないものだったのである、そこに限界があった
ただ死ぬ頃になって自分の仕事がこれだったとかと自覚するようになった
つまり仕事は新たに作られるのである、youtubeとか意外とこれはテレビとも違って勉強になるものだとわかってきた、様々なことで経験している人が語っているからである
だから子供が一番なりたいのがユウチュウバーだともなった
テレビはこれまで一番の情報源であり親しいものである、それが個々人がテレビ局にもなるということでそうなった
仕事は新しい時代にそれに合った仕事が生まれる、ただ自分の場合はその仕事を発見することが遅すぎてとなる、今や死ぬ歳になっているからだ
それだけ人間の合った仕事というに就けないというのが現実なのである
ということでニートが引きこもりでも増えたともなる

いづれにしろ職業選択が大事なのはその人を職業が作るからである、だから人格を歪めるような職業につくと金になっても後でふりかえりいいものとはならない
苦いものとなって後悔する、さほど金にならなくても私はその仕事がその人に合っていいものならいい顔になる、それで江戸時代は外国人が見たとき幸福そうな顔していると見たのである、それは仕事はその時農業社会、第一次産業がほとんどでありそれが影響していたのである、現代は余りにも様々な職業があり選択に迷う、それより自分の合った職業に就けないとなる、そこでうつ病になっている人が多いのもわかる
つまりみんな不幸そうな顔をして不満なのが現代人なのである
そのことが社会全体を暗くしているともなる


高い地位、儀礼、富、学識など、そういうものに到達した人々について
わたしが思うに彼らが到達したもの彼らのからだと魂に結果残すものではない限り
すべて彼らの身につかず波間に消える-ホイットマン(草の葉)

彼らの体だと魂に結果残すものではない限り

からだと魂に結果を残すというとき職人とかは仕事で体も作られ魂も作られるとなる
体もその仕事に適したものになる
そして魂が作られるということがある意味で怖いのである
その仕事が悪いものであれば魂も歪められるとなるからだ
ホイットマンの時代は職人とか農民とかあらゆる人が讃美されていた
その時代は開拓の時代であり知的な仕事より肉体労働が多い、知的な仕事は弁護士とかでもだますということがあるからだ
だから江戸時代とも似ていたのである、それであらゆるものが讃美されていたのである


体(からだ)は「殻(から)」に接尾語「だ」が付いた語。
古くは、魂に対してそれを宿している身体、生命のこもらない肉体を「からだ」と言い、魂を宿した肉体は「身(み)」と言った。

つまり職業によって魂の宿さないもの、殻(から)になってしまうことである
その一生さえ空虚なものになってしまうとなれば怖いとなる
金があってもその人の実体は中味は魂の無いからだになってしまうとなるからだ

posted by 老鶯 at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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