感染症の歴史をふりかえる
(人間が広く交わると感染症もグロ−バルに拡散したーそして変わる社会)
6世紀〜 天然痘の日本定着。もともと日本には無かった病気だが、中国・朝鮮半島との交流が盛んになり日本に上陸した。以後治療法が確立され、全国に普及する19世紀半ばまで猛威をふるう。
平安初期の貞観富士山噴火(864年)のときは、咳逆病(しはぶきやみ・インフルエンザ)の流行が続いていた。
『日本三代実録』には「863年は前年から咳逆病が大流行し、大納言・源定、内蔵権頭・藤原興邦、平城天皇皇女・大原内親王、大納言・源弘などが相次いで死去した」と書かれている。
そして江戸時代の末期にはコレラが蔓延。
これも外国船から人や物と一緒に上陸し、大阪や京都、江戸にも広がって行き、多くの犠牲者を出すことになります。
1853〜1860年にはペリーらが来航し、江戸幕府に開国を要求。
黒船騒動が起こります。
コレラ(罹ると短時間で亡くなる為、コロリとも言われた)のような恐ろしい病気も振りまいていく。日本はシベリア出兵を行うなどし、第一次世界大戦に関わりを持ちます。
それはスペイン風邪を受け入れることも意味していました。
ヨーロッパを中心に広がったこの疫病は、同盟国、敵国を問わずに感染者を増やしていきました。
どの国も戦線を維持することさえ難しいほどになり、戦争終結の契機へとなったと言われています。
日本では大正7年5月から9年の5月までの間、合計3回の流行(第三波)がありました。
東アジアと西アジア・地中海世界をつなぐシルクロードは、絹や漆器、紙などを西方に、宝石やガラス器、金銀細工や絨毯などの文物を東方にもたらしたが、同時にさまざまな感染症を交換させた[17]。天然痘や麻疹は西から東に運ばれ、ペストは東から西へともたらされた[17]。こうした感染症に対し、人びとは免疫をもたなかったので、東西でパンデミックが生じ、多くの人命が失われた
シルクロードの東西それぞれの起点となった漢帝国と古代ローマは、大人口を抱えて繁栄した当時の超大国であったが、2世紀以降、時を同じうして感染症の大流行が発生し、人口が激減し、帝国の分裂と混乱を招いた[17]。11世紀以降繰り返された十字軍遠征、また、それによって活発化した交易もまた、ヨーロッパ大陸にペスト菌による感染症拡大をもたらしたと考えられる]。13世紀のユーラシア大陸で巨大な版図を有することとなったモンゴル帝国では、シルクロードの大部分が支配下に置かれることとなり、ユーラシアを横断する交易をいっそう拡大させたが、感染症もまた東西に拡散されることとなったのである。
コレラ、インフルエンザ、マラリア、麻疹、ペスト、猩紅熱、睡眠病(嗜眠性脳炎)、天然痘、結核、腸チフス、黄熱などが、ユーラシアとアフリカからアメリカ大陸へもたらされた
免疫をもたなかった先住民はこれらの伝染病によって激減した
1331年の元の時代に大流行が発生し、1334年には河北省で人口の9割にあたる500万人規模(推定)の死亡患者が出たという隊商などによってイランやシリア、パレスティナに拡大し、エジプト、さらにチュニスなどの北アフリカを経てヨーロッパに感染を拡大させた[18]。特にイランやエジプトでは猖獗をきわめ、人口の3割をこの時期のペスト感染で失ったとみられる
ヨーロッパの疫病が新大陸で猛威をふるった顕著な例として、1545年から1548年にかけてのメキシコ(ノビスパニア)での大流行があり、このときメキシコ中央部では先住民(インディオ)の約8割が死亡したといわれる。征服から1世紀経ったのち、メキシコの先住民の人口は征服直前のわずか3パーセントにすぎなかったという試算もある[
梅毒は、元来はハイチの風土病だったのではないかと考えられ、コロンブス一行が現地の女性との性交渉によりヨーロッパにもち帰ったとされる。梅毒は、ヨーロッパ諸国も介入した16世紀のイタリア戦争を通じてヨーロッパ各地に広がったため「ナポリ病」と称することも多い。
アジアへはヴァスコ・ダ・ガマの一行が1498年頃インドにもたらし、日本には永正9年(1512年)に中国より倭寇を通じて伝わったとされ、江戸時代初期には徳川家康の次男結城秀康も梅毒に罹患している。
感染症は人と交わることによって感染する、するともし人と人が交わらなければ感染しない、人が病原体を運ぶのであり人が移動しなければ感染しない
古代に天然痘でも朝鮮半島からもたらされたというきそうである
朝鮮半島とは一番日本は交流があったからである
江戸時代の末期にコレラが流行したのも長崎に外国人が入ってきて流行した
江戸時代でも鎖国していても長崎の出島から外国人が入り貿易していたからである
このコレラは北前船で新潟まで来て阿賀野川を通じて城のある会津若松まで広がった
江戸時代でも結局外国からウィルスが侵入して日本に広がったのである
スペイン風邪でもそうである、世界第一次戦争があり広く人々が国を越えて交わる結果として広がった
何か隣の人は戦争で東南アジアとかに行き梅毒にかかったらしい
それで変になった、土地の女性と性交したとかあったのかもしれない、戦争は感染症を拡散されるのである
日本軍は東南アジアの熱帯で感染症にかかり相当死んだ
従軍看護婦だった姉もマレーシアのジョホールバルで腸チフスになり苦しんだ
熱帯は感染症にかかりやすいのである
世界史的にも巨大帝国がローマでも中国でも東西が交わると感染症が世界的に拡散する
モンゴル帝国は西側の国を攻めるとき感染した死者の死体を城壁に投げ入れて感染を広げた、つまり感染者を武器としてまで使っていたのである
戦争でも国境を越えて人と人が交わるから感染症が広がる
大航海時代でも南米にウィルスがもたらされて原住民であれ免疫がないので感染して多数が死んだ
これらを見れば人間がそれぞれの国だけで生活していれば感染症は拡散しない
でも人間の歴史は必ず領土拡大してゆくからそこで他国と交わり人とも交わるから必然的に感染症も拡散される運命にあった
グロ−バル化することは必然的に感染症を拡散させることだった
つまり必ず何でもプラスの面があってもマイナスの面が生まれて来る
それが感染症だったのである、おそらく生態系の維持というときある一定の地域で範囲内で機能している、だからそこで感染症は風土病と言われた
ある地域の生態系から生まれるからである、その風土病でも人から人にうつるのだからある一定の地域内で暮らしていれば拡散されないのである
現代のグロ−バル化は頂点に達した、世界中の人達がこれほど交流して交わる世界はなかったからだ、それは一部の人でない、あらゆる人が世界で交わる社会になった
だから最初にイタリアで被害が大きかったのは中国人の労働者がイタリアに多かったからである、そして日本の感染は観光で中国人を入れるのを早い時期に止めなかったためだとしている
ただこれだけグロ−バル化しているともう感染は世界的にたちまち拡散されて止められないということになった
つまりグロ−バル化の負の面が感染症で露骨になったのである
それでも人間の交流を止めることはできなかった、世界史でも世界との交流は感染症があっても止められなかったからである
ただグロ−バル化の負の面が最近は目立つようになった
世界経済でもグロ−バル化すると必ずまた反面に対立が激化してくる、それが米中対立でありまた世界戦争の恐怖になる
感染症は人の交流を止めることになる、それもまた大きな視野でみれば人間にとって必要だから感染症かあるのかともみる
外国と交わることがすべていいようでも必ずしもそれが平和的な交わりではなく必ず対立激化して戦争になっていたからである
異質の文明が出会うことは必ず苛烈な覇権争いになり戦争になっていたからである
その犠牲も莫大だったのである
それで老子の「小国寡民」の思想が生まれた、いわば小さな村で外と交わらないで平和に暮らすということである、それはグロ−バル化は人と広く交わることはまた対立激化して戦争になって犠牲が多かったからである
グロ−バル化はすべていいものとして作用しないからである
現代ではもうフロンティアもない、アメリカ大陸とか南米とかフロンティアはなくなったそして地球の人口でもアフリカでさえふえない、少子高齢化するのは世界的なものなのである、つまり世界の人口はこれからは増えない、もう地球で人口が増えても養えなくなっている、限界現象が起きているからである
持続可能な世界を作るにはもうグロ−バル化して貿易を盛んにするとか資源を多国籍企業が食いつくしてゆくとかしたら森林ても喪失して持続可能な社会はなくなってゆく
江戸時代の様な自給自足のリサイクルな循環型持続可能型の社会がこれからの人間の在り方なのである
コロナウィルスもグロ−バル化を抑制するものとなったから今までの世界と社会を見直すものとなった、世界が無限に拡大するとかはない、縮小化するダウンサイジングした社会となる
つまり日本の江戸時代のリサイクル社会とか茶室とかのシンプルなわび、さびとかの日本文化を見習う社会にもなる、大陸の無限に拡張拡散拡大する世界は限界に来たからであるそれをつづければ世界第三次戦争で人類は滅びることになる
何か拡散拡大ではない、抑制して制約する限界をもうける社会である
内なる世界に向かう、内なる精神性の世界を追求するようになる
それは宗教とか哲学とか芸術の世界の探求にもなる、ただカルト宗教は内なる世界より外なる世界を求めて会員を増やことが目的だから違っている
禅宗のように座禅して内なる世界を究めるともなる
また物量とか量で計る世界ではなく、意味を求める社会になる、哲学的な社会になる
それはオリッピックが一部の金儲けのためのものであったし意味がなくなったことでもわかる、いくら金をかけても何か意味ないことはもうつづけられないのである
だから宗教や哲学の時代になる、そういう変化は今回のコロナウィルスでも起きたということである、巣籠り生活とかでもそうだったしテレワークでもそうだったからである
コンピュター時代になるけどこれは今までの重厚長大な技術とは違う、人間の知能と深く関係している、人間の知能開発の道具でありまたそれは精神とも結びつくのである
AIとかもそうでありそれは今までの機械と道具と違って人間の知能と精神に結びつく
それは時代を象徴するものでありそこに変化がありそれに適合することで時代が変わってゆく
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