インタ−ネットの通信時代で一番怖いこと
(記録したものが一瞬にして消える)
ネットの時代で一番怖いことが何かというと記録したものが一瞬にして全部消えることである
それを自分は経験した、突然危険な病気になり開業医に行ったらすぐ入院しろと言われたのである
胃カメラで胃が悪いと思っていたら腎臓が悪くなっていて腎不全になり死ぬところだったのである
なぜそれを放っておいたかというと家族の介護とか誰も自分を心配するものがいなくなかったからである、だから素人判断でたいしたことがないと思い放っておいたのである
だから一人暮らしはこうして危険がある、連絡する人もなく死ぬ人もいる
それで緊急入院した結果一か月は病院から出れなくなった
その時家には母ともう一人いたかその人は自分のいない間に屋探してその時運悪く貯金をおろしたのが家にあって大金を盗まれたとなる
病院を一時的に出たいとしてもそれが許可されなかったのである
親の介護になってからこういう苦しいことの連続だった
そして怖かったのはさくらのレンタルサーバーでログが記録したものが消される寸前だった、その時電話連絡して消さないように頼んだのである
もしその時連絡しなかったら次の日は消されてせっかく書いてきたことが全部ぱーになった、その時電話連絡できたから良かったのである
今はさくらの電話連絡は予約制であり一週間後くらいでないと連絡できない
これだったらもう間に合わなかったのである
今日はその支払いの確認をするためにチャットした、これもどうなのかと思ったが意外と個人に対応して答えるのが早かった
これは緊急時はいいなと思った、自分はパソコン通信の時からチャットとかでもしていたのである、経験があるからそのことがわかっていた
でも経験がないならこれもどうしていいのかとかわからない
つまり通信の世界も経験であり慣れなのである
第一文字だけで会話するということが今までにない経験であり戸惑うからである
でも経験していればそういうものかとなる
このネットの世界は慣れだと思う、だからフェスブックとかツイッターがめんどうなので答えていない、この世界もわからないからである
こうしたコミニケーションは今までにないものだから理解できないのである
なぜ日本でITが普及しなかったのか?
それは日本の文化と関係しているようにも思う
日本は話せばわかるとか面と向かった対面的なもので信用する、そうなると相手の顔も見えない人とコミ二ケーションをとるのがむずかしいのである
つまり日本人の文化は腹でわかるとか言葉を通じないでわかたあうという文化である
村という狭い範囲で生きてきたからそうなる、みんな顔見知りの狭い範囲で生きてきたから見知らぬ人とのコミニケーションが苦手なのである
日本の文化は師弟不二とか師と一体化するのもそうである、師が地獄に行くなら弟子も行くとかなるのもそうである、人でも直接に接する人とで信用してコミニケーションする
だからそこに現実の人がないいと信用できないとなる
また書類だけではなく直接会うことが要求されるのである
例えば法治主義というとき法で治めるというとき人と人が面と向かって決めるのではない法律を基にして判定する、基本に法があってその法を基にして決める
それは人と人が面と向かって判断することではないのである
法とはいわば数学の公式のようなものでありそれで公正に判断するとなる
人より法の方を信用して判断するのである
インタ−ネットの世界とは相手直接会う世界ではない、相手は見えないのである
確かにズームとかで顔が出てコミニケーションもとれる
でもそれも直接合って話すのと違ったものとなる
そういうことで何か日本人にとってはなじめない世界でありITが普及しなかったのかともみる、それは単なる技術に遅れをとったというより日本にはそういう文化がなくなじめなかったからだともみる
別に通信だけで全くコミ二ケーションがとれないということはない
意外と一対一のチャットだとコミ二ケーションがとれた、何回も念を押して聞いて答えてくれて安心したとなる、ただここが人数が多いと混乱してくるからむずかしくなる
いづれにしろ通信の世界でいろいろ問題が起きるのは信用することとかそういうことがネット上で確立していない、だから一瞬にして記録でもログでも消されるのてはないかという不安がつきまとうのである
クラウドというのもこれだって本当に記録されているのか、一瞬にして消えるのではないかという不安がつきまとっているのである
そういう記録でも誰が保証してくれのかとなるとわからないのである
ただ安心を得るためには一か所に記録をログを保存することは危険である
三カ所くらいに記録を保存しておく必要がある
それもめんをとなのだがそれしか安心する方法はない
結局紙に記録する本て記録するというのが一番安全だともなる
ただ記録するもが膨大になるから本にすると金もかかるから大変だとなる
ただ都築詠一氏のプログのログは消えたのである、なぜなら死んだからである
これもただインタ−ネット上だけで発言して書いて消えたのである
一部は残されたが大部分は消えたから残念だったとなる
ログが消えるとふりかえることができなくなる
それで不思議なのは自分自身の書いたものを読み返すとこんなことを書いていたのかと自分自身で再認識する、自分で書いたものも忘れているのである
だから人間ほど忘れやすいものはないと思った
肉親だって死ぬと忘れる、何か書き遺したものでもあれば思い出すことがあるがそれがないと忘れてゆく
だからインタ−ネットはプログでも記録としてあとで役に立つのである
前に書いたものは活かすことができるのがインタ−ネットなのである
連続して継続しているのであり生きている限り終わらない世界である
インタ−ネットとは知的共同作業の場にもなっている
調べるにしても図書館だとめんどうになる、インタ−ネットだったら家にいながらテレワークできるから便利なのである、家が図書館にもなっているから便利なのである
それで今では5年以上も図書館に行っていないのである
忙しいせいもある、家事に追われるから図書館で調べものする時間がないからである
とにかく今日は安心した、消す時は必ず連絡してくれとか連から々する方法がチャットでもできることがわかったからである
だから意外と事務的連絡などでチャットは役に立つと思った
ただこれは経験していたからできたのである、そうでないとチャットは何かもわからなくなる、今はラインとかで普通になっているからわかるがそれもしていない人は通信の世界になじむことはむずかしいとなる
要するに人間にとっていかに経験が大事なものかわかる
はじめての経験になるとあらゆることでわからないのである、ネットの世界は意外とこうした経験を積まないとなじめないのである
ただネットの世界でも文章だけでもわかりあえることはある
だから何かコミ二ケーションをとれないということはない、信用できないとういこともない、体面的なチャットは意外と相手のことでもわかりコミ二ケーションがとれるかもしれない、意外と事務的なことはかえってできるかもしれない
他のことになると何かめんどうになる、例えば自分の書いたものでもどこまで理解しているのか?そういうことで対話するとめんどうになる
なぜそうなるのか、それは相手のことが全くわからないからである
その人がどういう人でどういうことに関心がありどこに住んでいるのかとか年齢とかいろいろな属性もわからないから深い対話はできないしまして真剣な対話は不可能だとなる
だから自分の場合一方的に書いているだけだとなっている
でも引用するときは相手のことがわかるから引用する、その人の主張がわかるから引用する、それは短文でもわかるのである、そのために結構私自身は他人のプログでもニュースの解説でも引用しているのであi
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