洞窟暮らしの流行
(文明の生活に疲れた現代人は生物的本能に目覚める―時代による時間感覚の相違)
元来、急ぐのが苦手で、冬でもシエスタ(午睡)をし、午後はほとんど働かないこの国の人たちにとって、スピード、効率、便利さといった、生産性を最優先する生き方に、多くの者が疲れている。
「洞窟暮らし」を求める欧米人が、近年増えているのはなぜか
コロナウィルスで巣籠り生活になった、それは洞窟暮らしと似てもいる
洞窟は外の世界を遮断してシャカとか瞑想した、そういうことは禅宗にあった
だから私は禅宗にひかれる、座禅とかそれをしてきたのが引きこもりの自分だったからである
どうしても人付き合いが苦手でそうなった、そうして30年間も家にいたのが自分だったからである、そして異常化したことは確かである
だからこういう生活がすべていいとはならないのである
ただ人間というのは生物なのであり生物の本能がある、これから逃れられない、いくら文明的生活をしていても深い内面で生物の本能が働く、動物はどうしても危険から逃れるために洞窟とかに隠れる、そこで安心するのである
安心して眠れるとなる、そういう生物としての本能は人間にもあるからだ
別に洞窟に入らなくても家という機能は洞窟のようになっている
四方を壁で区切り外を遮断してそこで安心をえて一人の時間を得る
外との交流を断ち一人の時間で安らぐとなる、家は洞窟の一種なのである
こういう傾向が世界的に出てきているのは文明生活に疲れているということである
夜さえ煌々と電気で明るい世界も生物的にはありえないしそこで夜の休息がなくなる
「眠らない都市」というのがそうである
やはり夜には夜の世界がありそこで人間は昼の明るい世界から沈思黙考する夜の世界に入る、夜は想像力を自ずとかきたてる、だから詩とかの創作にいいのである
おそらく文明的生活ももう限界にきていた、大衆的群衆的生活に人は疲れる
機械的数字的効率的生活に疲れる、そういうとき洞窟に籠もり外の世界と遮断した所で
安らぎを得る、安心を得る、田舎自体が実は都会から離れて喧噪から離れた世界であり
生物的には安らぎを得る世界である、ただ田舎の人間が素朴とか今はなっていない
農業とか従事するのが一割にも満たない田舎でもみんな会社員だからである
ただ田舎は生物的には本能的には安らぐ世界である
一種の文明から隔離された世界である、洞窟も隔離された世界である
何かそういう場所に魅力を感じるのは文明的世界に疲れているということである
私はもともとそうして田舎で自然と一体化するアイディンティティすることをしてきた
それを詩にしたりしていたのである、山とか石と木とかと一体化することをしてきた
山とか石と岩と木となると常に感じるのは時間の感覚が違う、文明は絶えず時計によりせかされ計られて休みがない、でも自然の時間の感覚は実際はとてつもなく長い
千年単位とかで長い、悠久の世界である
この悠久の自然と一体化すると長い時間が必要なのである、とても即製的に理解できるものではないのである
ただ文明的時間は短すぎる、今の時間に瞬間的時間に費やされて終わる
時間の感覚が短いゆえに今の時に瞬間にでも消耗されるし刹那的になる
生態系というか植物的時間でも長い、木の成長に50年かかるとかになるも長い
そうなると一代では木が成長できないから次の代で利用するとなる
その果実は次の代まで待たねばならない、何か野菜とかでも必ずすぐに成長しないのである,二十日大根とか四十日大根とかあり種を蒔いてもすぐに成長しない
必ず待つ時間がある、文明人はこの待つ時間が無駄な時間とする
だからとても50年もかかり木の成長を見る育てるということはもう時間としては計れない時間になる
時間の感覚は江戸時代とかと明治でも大正でも昭和でも感覚的に違っている
江戸時代の時間は一分ごとに区分して計るような時間ではない、おおざっぱである
江戸時代に於ける時刻制度には、不定時法が使われていました。不定時法とは、一日を夜明けと日暮れを基準にして昼と夜に分けてそれぞれ6等分し、その長さを一刻(いっとき)と呼んでいました。一日のうちでも昼と夜の一刻の長さは異なり、
おおざっぱな時間であり日の入りと日没が基本だから時計になっていたのは太陽だともなる
そうなると何時から何時までとかきっかりと働く時間が決まっていたともならない
時間感覚でも適当になる、現代だったら電車とか乗るのに一分でも遅れると乗り遅れるとかなるのとは違う悠長なのである
現代では待つ時間が失われている、電車だと今でも必ず待つ時間がある
その待つ時間が人間的なものを作りだしていたのである
人が来るのを待つとか人を見送る時間とか駅で出会い別れを惜しむ時間があった
だから汽車とか電車の時代は駅は人間的な場所だったのである
必ず待つ時間があったからである
それより戦後まもなくは家でも柱時計でありこの時間感覚も今とは違ってかなり遅く感じられる時間だったのである、チクタクチクタクという機械の音であれ何かその時間間隔は遅いのである
冬に外に風が唸り吹く
粗末な家の柱時計
振り子にチクタク機械が刻む音
その音だけがひびいて
時を打つ機械の音がひびく
ボーンボーンと心の底にひびく
何時なのか何回鳴ったか確認する
そして田舎の家は眠りにつく
その頃車も通らない
田舎の道は舗装されず
貧弱な街灯がともっていた
家には裸電球一つしかなかった
ここに柱時計の音と時を打つ音が聞ける
この時はまだ機械でも人間的だったと思う、デジタルになると時間の感覚が数字てあり違ってくる,アナログの時間は砂時計とかあり時間の感覚が遅いのである
現代はともかく時間に追われるのである、それも一秒間隔にもなる
だからみんな疲れるのである、江戸時代に外国人が日本人がいい顔しているというとき
それは時代が作りだしていたのである、日本人がみんな別に善人でもなかった
ただ今のように不正する人は少なかった、貧乏でも少なかった
今は銀行でも会社でも何か不正する、金に追われている、そういう時代の相違があり
江戸時代の人達はのんびりしていてそういう顔になっていたのである
もとは1923年(大正12年)4月29日から『報知新聞』の「日曜漫画」欄[2]で不定期に連載されていた『呑気なとうさん』という題名の8コマ漫画(同年5月27日号から『のんきな父さん』と題名を改め、同年の10月28日号から6コマ漫画へと変更した
こんなものがでるのも時代だったのである、今のとうさんはみんなうつ病的になりみんな時間であれ金であれ追われている、だから人間の幸不幸は簡単に計れないのだ
何か現代生活は科学技術で進歩したからいいとなるがそれで幸福になったかというとまた失われものがある、ただ昔がすべてはいいとはならない、でもでは昔がすべて不幸だったともならないのである
いづれにしろ老人になると回顧することが仕事になる、子供の頃は特に戦前から江戸時代のつづきでありこの経験は貴重だった、竈があり炭が燃料であった、街でも炭を使い囲炉裏だったのである、これもだから振りかえると不思議になる
その時水道もなく近くの井戸水をもらって暮らしていたのである
今は貧乏になったとき毎月電気水道ガス、携帯が必要でありそれを払えない人がいる
今の貧乏はここでわかる、でも戦後十年だったら糞尿は農家の人が肥料としてもっていったしそういうものにかからなかったのである
今日本が貧乏になるときそういう暮らしがあったこともふりかえるのにはいい
そもそも今や日本ではそういう文明的な生活すらできないような人が増えているからだ
すると電気や水道やガスがなくても人間は暮らせていたということをふりかえる
実際は電気水道ガスとか使っているのはここ五十年くらいでありその前はみんな炭が燃料であり水道もガスもないのである、現代文明生活は日本だったら50、60年くらいのなのである、だから別に電気ガス水道がなくても人間は死なないし暮らせるのである
でも今は電気水道ガス水道を止められると死ぬことにもなる
水がなくては生きられないし電気でもガスがないと生きられないからである
電気にしてもどうして作られているかというと原始的なものである
石炭とか石油を燃やすことで電気が作られるからだ、それは化石燃料に頼っている
ただ原発はそうしたものと違って電気を作りだしていた
燃料としたら炭は木材から作るから持続的なものとてサスティブルなものとして使える
枯渇することがないからである、絶えず植林していけばそうである
ただ文明が栄えると森も喪失した場所が多い、かつて森であったところが砂漠化したのが中央アジアなどの砂漠地帯だとされているからだ
電気水道ガスとか文明の根幹を成す、これがなくなれば文明は持続できない
それで中国とかで石炭がなくて大停電になったとかなり文明機能が麻痺するのである
日本の戦争も石油を断たれた経済封鎖から起ったとされるのも燃料が生命線になる
後は水なのである
そのために三陸だったか津波被害で裏山で清水をくみ裏の山の木を燃料にして命をつないだというのがそうである
つまり原始的生活ができれば実は人間は持続的に貧乏でも生きられるということなのである、一応電気がなくても生きてきたのが人間なのである
いづれにしろ20世紀とかグロ−バル経済に工業化した結果として地球的環境問題にもなり地球は限界がきた、このままでは地球の生態系は破壊され生きられなくなるとかにもなるコロナウィルスでも何かそういう人間の警告として生まれたのかもしれない
すでにアフリカでも人口は増えないとなり地球人口は限界に来たからこれ以上の経済成長はグロ−バル経済でも望めないのである
それで資本主義というシステムも限界に来ているのである
資本主義には大航海時代とかアメリカ大陸の移民とか大規模なフロンティアが必要なのである、しかしもうそれもなくなった、だからグロ−バル経済も資本主義も成り立たなくなってきた、もう経済成長は望めないのである
そしたらそれに適した社会に変えるほかないということである
ただそれで人間が滅びることはありえないのである、なぜならこんなにエネルギーを消費しているのはここ百年くらいだからである
文明が滅びるのは文明的生活が拡大増長して滅びるとなる
食糧が全くとれなくなったりはしないからである
文明は滅びても人間は地球の生態系が維持されていれば滅びないのである
神が滅ぼさない限り滅びないのである
するとそういうことより神が人間はことごとくその心が悪に充ちているからとノワの洪水のようにして滅ぼされる方が怖いともなるのである
地球を滅ぼすことができるのは人間ではなく神だともなるからだ
そういうふうに考える人はまれである、科学的なものとして考えるからである
ただ科学を越えた所に全能の神がいることも肝に命じねばならないのである
千年の大木
大地に深く根を張り動かざれ
千年の大木のごとく
内に年輪を刻みて長く
内に力の充つるもの
自然は焦ることはない
千年黙して動かざれ
大岩の如くに黙して
汝は成さずしてただ待て
かくてあれば自ずと
神の御意なる世界は顕れる
かくあればその周りに花々は咲き満ち
神がパラダイスを作りたもう
そこに忌まわしきものは消えて
天使の遊ぶ庭ともなれ
千年の大木のごとくあれ
悠久の時を刻みて
千年の大木のごとく倒れむ
その後百年の余韻は残らむ
森の主のごとく倒れむ
大きく深く息をして
悠久の時に生きむ
汝はこの世とかかわるな
世はいつまでも世なり
その様は変わらず
カルマは延々と繰り返す
賢者は洞窟に隠れ住むが習い
不浄を拒み一人楽しむ
実りは百年後にあらむ
実りをあせるなかれ
今にのみ消尽されるなかれ
宇宙の地球の時間を知れ
その悠久の時に事は成るべし
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