金の計算の不思議ー短期的長期的計算
(人間は長期的視点で生きられないのが問題)
人間は時間を計算することがむずかしい、時間の働きが理解しにくい
だから意外な結果となっている
金の計算で不思議なのは私自身が20万で一か月やりくりする計算している
一か月20万だと多いともなるが実際はそんなにかからないが貧乏な人を金で支援しているからかかるのである
ただ一か月20万としてこれが一か月を一週間延ばす、また10日でも伸ばす
するとこれが一年で金の計算をすると一週間で7日を一年で掛け算すると12×7で84になる
約三カ月分になる、10日伸ばすと120日分になり4ケ月分になる
これがなかなか理解できなかった、そんなに節約できるのか?
20万円分を一週間延ばすだけでそんなに節約できるのか?
でも一年で計算ししてみると確かにそうなっている
この額が大きいと思った
3カ月分節約したら一カ月20万で生活するとして20万のままだったら一年で240万になる
でももし三カ月分を引くと240万−60万で180万になる
これは大きな節約だと思った
ただこの計算が何度しても良くわからなかったのである
それは結局長期的計算だからそうなっている
それも一年という計算でそうなったのである
だから人間は何でも金の計算でも短期的計算と長期的計算は相当に違ってくる
そのことで複利計算だと300万を一〇年で400万にできるとなる
それが意外に思えるのは何故か?
長期的計算だからである
人間の盲点は長期的計算ができないということである
長期的に見ることが苦手なのである、だから株は約一〇年ごとに大きな変動があり上がり下がりするから長期的に見れば必ずもうかるということがある
でも一〇年先だと長いとなる
それで失敗したのが銀行員の営業の人がリーマンショックでもっていた株を元にもどったときそれを勝手に転売してJ−reitに売ったことである
転売したことである、それは自分たちの銀行の利益と営業の人はノルマを稼ぐためだったのである、相手の利益なのことなど証券会社でも銀行でも考えていないのである
銀行員の営業マンは説明すらせずに強引に転売したのである
説明責任があるとしてそれすらしなかった
それ以来銀行員を信じられなくなったのである
つまり銀行でも今長期的にみて商売していない、今利益を上げることしか頭にないのである、それは銀行でも地銀でも収入が得られず追い詰められているからそうなる
顧客のことなどいちいち考慮していられないのである
銀行自体が地銀でもつぶれるというとき悠長にかまえていられないからだ
でも短期的には利益があがり成功であっても長期的には失敗ではないか?
銀行は信用が第一だとすると信用を失ったともなるからである
銀行はそんなものだったのかともなる、信用を失うことは長期的には大損だったともなるかもしれない
だから商売でも本当は長期的視野が必要なるが実際は短期的なものとして商売しているのが普通である
そんな長期的な余裕をもって商売できないからである
資金だってそんな余裕がないからである
ともかく人間は短期的に見るのと長期的に見るのでは相当に金の計算でも違ってくることである
ただ人間は長期的に見ることが苦手でありできない
人生でもそうなのである、まず短期的に見ることは常にしている、でも長期的にみることはできない、それで来年のことを言うと鬼が笑うというのは人間はそもそも長期的に見れないものだからそうなる
必ず不測のことが起きて人生でも狂ってしまうのである
そしてみんな人生は結果的に意外なものとして終わっているのである
人間の弱点は長期的に見れないことである、結婚にしてもそうである
この人と結婚していいのか?幸せなのかとかわからない、だからこそ三分の一は離婚しているのである、結婚するとき好きで結婚しても長期的に見る時それが失敗だったとなる
人間は今幸せならいいとなる、将来のことなど考えないのである
また考えられないのである、そんなことしていたら疲れるだけだとなる
それで今日の苦労は今日一日でたりるとなり明日のことは思いずらうなとなる
長期的に見て思い患っていたら生きてゆくこともできないとなる
例えば長期的に見れないことで人間は災いにあう、津波とかでもそうだった、この辺では津浪でも700人溺死とか記録があってもたった二行でありそれが全く忘れられていたのである、その事実をみんな知っていれば警戒したこともあった
でもこの辺では津波が来ないという確信になっていて逃げないで死んだ人も多いのであるだからこそ災害は忘れた頃にやってくるとなる
それは人間は長期的に見ることが苦手なのである、常に目前のことに追われているのが現実だからである、そこにやふはり長期的にみる歴史的視点が大事だとなる
千年であれ一億年でも長期的な視野で時間で見ることが大事だとなる
現代は特に長期的視点で見ることができなくなっている、江戸時代なら一次産業が主だから農林漁業が主なものだからそれは自然に依拠した生活だから長期的な視野になる
そして生活も代々親の仕事を受け継ぐとかなっていた
それで職人でも十代とか綿々と受け継がれていたのである、そういう時代は長期的視野で生きられる、木でも50年育つにかかるとしても親から子へと受け継がれのその果実は子供が得るともなる、人間が財産を築くにはそもそも一代ではできないのである
例えば近くでうまい梨を作るのに十年かかったとかなる
必ず何か実りを得るためには時間がかかる、それも一代だけではできないことがある
それで農業は親から受け継ぐことが有利になる、土地もあるしまたノウハウも親から受け継ぐことができるからである
そもそも人間は即製的にすることで何か成しえることが本当はない
そういうものは何か本当の実りをもたらさない、例えは遺産でも何か大きな金が入っても消尽されることがある、身につかないのである
それは自分が苦労して溜めた金ではないからである,ギャンブルでもうけた金もそうである、何か金が身につかないのである
ただ人間はどうしても長期的視野で見れない、何かをすることができない
今もうけなければ第一金が入らなければ事業でもつづけられないとなるからだ
十年後に金がもうけて金が入ればいいとかならないからである
すぐ今もうけなければならないとなっているからである
そんな余裕のある人はいないからである
ただ人間は短期的視野で見ると失敗する、一時的に泡銭とか入ってもそれが成功にはつながらない、そして意外と一代で成功しないというとき親の代の苦労が実はその子供の代になって得られるとかなるのである
何か今成功している人は親の代から受けづくものがあって成功しているともなる
つまり長期的にしか成功はなく成功の果実を得られないともなる
ただ人間は長期的にみれないのである
原発でも今金になるからとみんな賛成した、でも長期的に見れば事故になったらどうなるのかなど考えた人などいないのである、今金になるじゃ賛成だとなってしまうのである
今金になるということしか見えないのである
ともかく自然をみると山でも木でも石でも長い時間を感じる、山とになると億年の重みがあるとかなる、それはそれだけ変化しないものとして常にあったからだとなる
木だってやはり樹齢何百年とかなると時間の長さを感じるし石でも岩でもそうである
でも人間の世界はめまぐるしち変わるから無常だとなってしまう
人間すら今日あったものが明日はないとかなる、人間も生れては死んでゆき無常だとなる人間でも千年くらい生きていたらそういう無常を感じないだろう
老人になると人間は逢ったと思ったらあとは永遠に逢わないともなる
「さよならだけが人生だ」liveとはlieveであり去ることだとなってしまう
それで長期的視野がもてないのである、ただそのことが様々な問題を産んでいる
教育だって即製的インスタントになり長期的視野をもてない教育をする
詰め込み教育とか暗記教育が教える方にとって楽だからそうする
でも教育を長期的に見ればその仕方を違ってくる、明日のための試験のための教育ではなくなる、でも常に短期的にしか見れない、試験が常にありその合格のためにはどうするかしかなくじっくり考えて答え出せとかもない、常にせかされているだけなのである
人生百年時代はその点じっくり何でも取り組むということでいいことにはなる
マイナス面も大きいとして急いで成果を出さなくても百年あれば成果を出せするともなる自分の場合は60過ぎてとかからようやく成果を出しているともなる
つまり人生百年時代はそうなる、あせって成果を出す必要がないのである
退職してからも30年とか40年あればまだ人生の半分しか終わっていないのである
こうなると人生観も変わってしまうのである
急いで得た富は減る。
少しずつたくわえる者はそれを増やすことができる。
箴言13章11節
地道に働くことを奨めている、そうなると一攫千金は奨められない、でも株などは常に一攫千金を求めているからすすめられないとなる
いづれにしろ何事時間がかかる、その時間の計算が長期的にできないのである
ともかく人間は短期的に見るのと長期的に見るのでは相当に金の計算でも違ってくることである
ただ人間は長期的に見ることが苦手でありできない
人生でもそうなのである、まず短期的に見ることは常にしている、でも長期的にみることはできない、それで来年のことを言うと鬼が笑うというのは人間はそもそも長期的に見れないものだからそうなる
必ず不測のことが起きて人生でも狂ってしまうのである
そしてみんな人生は結果的に意外なものとして終わっているのである
人間の弱点は長期的に見れないことである、結婚にしてもそうである
この人と結婚していいのか?幸せなのかとかわからない、だからこそ三分の一は離婚しているのである、結婚するとき好きで結婚しても長期的に見る時それが失敗だったとなる
人間は今幸せならいいとなる、将来のことなど考えないのである
また考えられないのである、そんなことしていたら疲れるだけだとなる
それで今日の苦労は今日一日でたりるとなり明日のことは思いずらうなとなる
長期的に見て思い患っていたら生きてゆくこともできないとなる
例えば長期的に見れないことで人間は災いにあう、津波とかでもそうだった、この辺では津浪でも700人溺死とか記録があってもたった二行でありそれが全く忘れられていたのである、その事実をみんな知っていれば警戒したこともあった
でもこの辺では津波が来ないという確信になっていて逃げないで死んだ人も多いのであるだからこそ災害は忘れた頃にやってくるとなる
それは人間は長期的に見ることが苦手なのである、常に目前のことに追われているのが現実だからである、そこにやふはり長期的にみる歴史的視点が大事だとなる
千年であれ一億年でも長期的な視野で時間で見ることが大事だとなる
現代は特に長期的視点で見ることができなくなっている、江戸時代なら一次産業が主だから農林漁業が主なものだからそれは自然に依拠した生活だから長期的な視野になる
そして生活も代々親の仕事を受け継ぐとかなっていた
それで職人でも十代とか綿々と受け継がれていたのである、そういう時代は長期的視野で生きられる、木でも50年育つにかかるとしても親から子へと受け継がれのその果実は子供が得るともなる、人間が財産を築くにはそもそも一代ではできないのである
例えば近くでうまい梨を作るのに十年かかったとかなる
必ず何か実りを得るためには時間がかかる、それも一代だけではできないことがある
それで農業は親から受け継ぐことが有利になる、土地もあるしまたノウハウも親から受け継ぐことができるからである
そもそも人間は即製的にすることで何か成しえることが本当はない
そういうものは何か本当の実りをもたらさない、例えは遺産でも何か大きな金が入っても消尽されることがある、身につかないのである
それは自分が苦労して溜めた金ではないからである,ギャンブルでもうけた金もそうである、何か金が身につかないのである
ただ人間はどうしても長期的視野で見れない、何かをすることができない
今もうけなければ第一金が入らなければ事業でもつづけられないとなるからだ
十年後に金がもうけて金が入ればいいとかならないからである
すぐ今もうけなければならないとなっているからである
そんな余裕のある人はいないからである
ただ人間は短期的視野で見ると失敗する、一時的に泡銭とか入ってもそれが成功にはつながらない、そして意外と一代で成功しないというとき親の代の苦労が実はその子供の代になって得られるとかなるのである
何か今成功している人は親の代から受けづくものがあって成功しているともなる
つまり長期的にしか成功はなく成功の果実を得られないともなる
ただ人間は長期的にみれないのである
原発でも今金になるからとみんな賛成した、でも長期的に見れば事故になったらどうなるのかなど考えた人などいないのである、今金になるじゃ賛成だとなってしまうのである
今金になるということしか見えないのである
ともかく自然をみると山でも木でも石でも長い時間を感じる、山とになると億年の重みがあるとかなる、それはそれだけ変化しないものとして常にあったからだとなる
木だってやはり樹齢何百年とかなると時間の長さを感じるし石でも岩でもそうである
でも人間の世界はめまぐるしち変わるから無常だとなってしまう
人間すら今日あったものが明日はないとかなる、人間も生れては死んでゆき無常だとなる人間でも千年くらい生きていたらそういう無常を感じないだろう
老人になると人間は逢ったと思ったらあとは永遠に逢わないともなる
「さよならだけが人生だ」liveとはlieveであり去ることだとなってしまう
それで長期的視野がもてないのである、ただそのことが様々な問題を産んでいる
教育だって即製的インスタントになり長期的視野をもてない教育をする
詰め込み教育とか暗記教育が教える方にとって楽だからそうする
でも教育を長期的に見ればその仕方を違ってくる、明日のための試験のための教育ではなくなる、でも常に短期的にしか見れない、試験が常にありその合格のためにはどうするかしかなくじっくり考えて答え出せとかもない、常にせかされているだけなのである
人生百年時代はその点じっくり何でも取り組むということでいいことにはなる
マイナス面も大きいとして急いで成果を出さなくても百年あれば成果を出せするともなる自分の場合は60過ぎてとかからようやく成果を出しているともなる
つまり人生百年時代はそうなる、あせって成果を出す必要がないのである
退職してからも30年とか40年あればまだ人生の半分しか終わっていないのである
こうなると人生観も変わってしまうのである
急いで得た富は減る。
少しずつたくわえる者はそれを増やすことができる。
箴言13章11節
地道に働くことを奨めている、そうなると一攫千金は奨められない、でも株などは常に一攫千金を求めているからすすめられないとなる
いづれにしろ何事時間がかかる、その時間の計算が長期的にできないのである
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