記憶したものが宝となる
(老人は記憶に生きるー老人の心に映し出されるもの)
老人の心に映し出されるもの
神秘な透明な水に写ったもの
隠された森の沼に湖に写ったもの
知られざる花の写り消えぬ
また天より神の御顔の写り消えぬ
しかしその消えたものは
その水に記憶されている
その水に神秘の花は記憶されている
それ故にまた花は映しだされる
時に霧が深く覆い記憶も消えたと思う
でも霧が晴れてまた記憶したものが
その湖に美しく映し出される
ただ醜いものは消える
神の鏡の湖に写ることはない
記憶されるものと記憶されないもの
老人は記憶をたどり生きる
でもそこに醜いものばかり写るなら
その記憶を消したいとなる
でもその悪しき記憶も消えない
だから良きものを記憶するように
その心を正しくして澄んでいなければならない
さすればあなたの老後は美しい記憶で
次々と花園を歩むように美で充たされる
終わりなき記憶たどる旅となる
確かにその湖の平静な水面も風に嵐に波立つ
でもそれは一時であり過ぎて行く
そしてその静まる水面には花々が
次々に色を変えて映りあきない
老人はそうして記憶に生きる
美しく蘇る記憶に生きる
そうしてその記憶を天国にもってゆく
その天国にそのつづきがある
すべては誠実な記憶のなかに持続され、言葉に絵に歌になって保存される
追憶の絵本を、体験したものの宝庫をもたなければ、どんなにつまらなく、みじめなものだろう‐
「人生は成熟するにつれ若くなる)ヘルマン、ヘッセ
老人は記憶に生きる、でも問題はあなたはどれだけ記憶したものを持っているかとなる
誠実に記憶されるというときやはり誠実に生きないと記憶もされないとなる
心に記憶されのはやはり不実なものではない、誠実ならば不実とならず実りとなり記憶される、ただ何らか人は必ず罪を犯すしそれが悔恨となって苦しめられる
人生でも最後に記憶の絵本のようになったら成功だったともなる
でもいくら金を残しても何か思い出したくない嫌なことがありそういう生き方も普通にある、金のために不誠実となり嫌なこともしたとかなる
現代ではそれが多いのである、それは老人になったとき消えるのではなくその嫌な記憶に苦しめられるともなる
その時は老後は地獄だともなる、いくら金があってもその心に映したものが悪ければ醜いものしか映らないとなり地獄となる
だからどうしても現代では金のためにそうして心が汚れる人が多い、でもそれが老人になったとき消えるのかとなると心に刻印されるのである、それが怖いのである
ただそういうことを深刻に考える人はまれである、金になればいいとしかなくなっているからだ
現代の資本主義社会はそれが問題なのである、みんな金で汚されてゆく
何か戦前でも江戸時代でもこんなに金で汚されることがなかったと思う
もちろん貧乏であり時代が違っているから比較はできないにしろ現代ほど金に追われ金のために心が汚されている時代はなかったと思う
ともかく人間の記憶は不思議である、どうして記憶がよみがえるのか不思議なのである
ただ忘れることも本当に多い、だから記録しておけというのもわかる
今ならデジタルカメラでもスマホでも膨大なものが記録できる、そこから記憶がよみがえることもある、第一自分の書いたものを忘れて読み直すとたんなこと書いていたのかと忘れているからだ、人間とは常に忘れてゆく、人も次々死んでゆく、それは次々に人も忘れられてゆくということである、それだけはかないということである
記憶にとどまるのはわずかであり歴史でも名を残し記憶されるのはわずかである
あとは忘れられてその名も覚える人もいなくなる、それは老人になると実際に知っている人が次々に死んでゆくのだから嫌でも自覚させられるのてある
老人は記憶に生きる(記憶の宮殿)
http://musubu2.sblo.jp/article/186530838.html
ここの続きとして書いた、この記憶の宮殿はみんな人によって違う、経験したことも学んだことも違っているからだ
でも人間は最後に記憶となり記憶を生きることになる、でももし記憶されるものがないとすると退屈ともなり老後の時間が長いと耐えられないともなる
何か行動するにしても体が弱りできなくなる、どうしても老人は行動力がなくな家に閉じこもり記憶に生きるようになるからだ
豊かな老後は金を必要だけど記憶に生きるようになるから記憶されたものが大事になる
その記憶されたものとは日々の生活で積み重ねたものなのである
ただ自分の場合家族をのぞいて人間を記憶しているということがない、また逢いたい人もない、自然との合一を追求してきたが人間は嫌いだったからである
老人は記憶に生きる、でも問題はあなたはどれだけ記憶したものを持っているかとなる
誠実に記憶されるというときやはり誠実に生きないと記憶もされないとなる
心に記憶されのはやはり不実なものではない、誠実ならば不実とならず実りとなり記憶される、ただ何らか人は必ず罪を犯すしそれが悔恨となって苦しめられる
人生でも最後に記憶の絵本のようになったら成功だったともなる
でもいくら金を残しても何か思い出したくない嫌なことがありそういう生き方も普通にある、金のために不誠実となり嫌なこともしたとかなる
現代ではそれが多いのである、それは老人になったとき消えるのではなくその嫌な記憶に苦しめられるともなる
その時は老後は地獄だともなる、いくら金があってもその心に映したものが悪ければ醜いものしか映らないとなり地獄となる
だからどうしても現代では金のためにそうして心が汚れる人が多い、でもそれが老人になったとき消えるのかとなると心に刻印されるのである、それが怖いのである
ただそういうことを深刻に考える人はまれである、金になればいいとしかなくなっているからだ
現代の資本主義社会はそれが問題なのである、みんな金で汚されてゆく
何か戦前でも江戸時代でもこんなに金で汚されることがなかったと思う
もちろん貧乏であり時代が違っているから比較はできないにしろ現代ほど金に追われ金のために心が汚されている時代はなかったと思う
ともかく人間の記憶は不思議である、どうして記憶がよみがえるのか不思議なのである
ただ忘れることも本当に多い、だから記録しておけというのもわかる
今ならデジタルカメラでもスマホでも膨大なものが記録できる、そこから記憶がよみがえることもある、第一自分の書いたものを忘れて読み直すとたんなこと書いていたのかと忘れているからだ、人間とは常に忘れてゆく、人も次々死んでゆく、それは次々に人も忘れられてゆくということである、それだけはかないということである
記憶にとどまるのはわずかであり歴史でも名を残し記憶されるのはわずかである
あとは忘れられてその名も覚える人もいなくなる、それは老人になると実際に知っている人が次々に死んでゆくのだから嫌でも自覚させられるのてある
老人は記憶に生きる(記憶の宮殿)
http://musubu2.sblo.jp/article/186530838.html
ここの続きとして書いた、この記憶の宮殿はみんな人によって違う、経験したことも学んだことも違っているからだ
でも人間は最後に記憶となり記憶を生きることになる、でももし記憶されるものがないとすると退屈ともなり老後の時間が長いと耐えられないともなる
何か行動するにしても体が弱りできなくなる、どうしても老人は行動力がなくな家に閉じこもり記憶に生きるようになるからだ
豊かな老後は金を必要だけど記憶に生きるようになるから記憶されたものが大事になる
その記憶されたものとは日々の生活で積み重ねたものなのである
ただ自分の場合家族をのぞいて人間を記憶しているということがない、また逢いたい人もない、自然との合一を追求してきたが人間は嫌いだったからである
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