大輪の白菊、秋薔薇(フラワーアレンジメント)
一村や農家の古く柿に蔵
石一つ十輪ほどの秋薔薇
新しき家も幾年秋薔薇
大輪の白菊映えし広間かな
大輪の白菊御前に我が家かな今日も勤めぬ心正しく
大輪の白菊にそえ色違ふ小菊いろいろ映えにけるかも
大輪の白菊活けて塵つかず今日も御前に勤めけるかも
今年は秋がなくて冬になった、今日も寒い、こうなると季語も合わなくなる
北海道で鮭かとれなくてブリが大量にとれたというのも日本の気候が変わり季節が狂うとなる
秋薔薇というとき田舎町であり十輪くらい咲いているのが心にしみる
つまりこの十輪とは人間をイメージするのである
人間の付き合いも親しくなれるのが10人くらいかとも見る
だから何百万とか会員のいる宗教団体などはもうただの数になってしまう
庭に石一つがありそして十輪ほどの秋薔薇が咲いている、それで落ち着くとなる
この辺では震災以後新しく移り住んだ人が多い
十年過ぎてもやはり新しい感じになる、でも徐々に土地になじんでくる
でも土地になじむには時間がかかるのである
だから都会から田舎に移っても老人になると60以後になるとなかなか土地に親しむというかなじむのがむずかしいとなる
大輪の白菊を活けて飾る、その大輪の白菊が家に映える、広間に映える
この生け花は目前で花を見ることで心と一体化するのがいいのである
そしてこの花は何を意味しているかというとやはり中心に大輪の花がありその花はあたかも祭壇なのである
花を礼拝するのではないが花を中心にして人もあるとなる
それは社会でも会社ならそうして穢れの無い花を飾る、それが中心となり人もつとめ働くのがいいのである
でも実際は会社でもそうはなっていない、おそらく花ではなく金の神を祭壇にしているともなる、マモンの神だともなる
ただ神社であれ寺であれ結局汚れた場所になっている
金儲けの場所でもある、だから汚れない場所はないとなる
人間がいることで必ずすでに汚れたものになる
本当の祭壇は自然そのものにある、そこには人間はいない、そうなれば汚れない神域だとなる
とにかく生け花でも中心がありそこに大きな花を挿すことになる
大輪の菊がふさわしいとなる
ただここでは花屋が一軒したなくなり花をそろえられない、スーパーでは生け花するには花がたりないのである
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