2021年10月28日

温泉街が廃墟化した驚き (会津の東山温泉、福島の飯坂温泉もひどい-旅の思い出)


温泉街が廃墟化した驚き

(会津の東山温泉、福島の飯坂温泉もひどい-旅の思い出)

鬼怒川温泉の黄金時代は、バブル崩壊とともに終わりを告げます。景気は冷えこみ、日光鬼怒川温泉へ社員旅行をする企業が減り、個々人も、余暇に鬼怒川温泉へ観光しようというゆとりが減ってきました。

観光の世界において、常識的に語られることはいくつかあるが、その一つに「旅館が大型化し、宿泊客を囲い込んだために、街にあった店舗が潰れ、街の魅力がなくなった」というものがある。

(旅行会社が送客する)団体客への依存が高く、増えてきた個人客への対応力が弱い
個人客は、いろいろな施設が揃った大型旅館の中で過ごすより、それぞれの地域での街歩きを楽しむ傾向にある
温泉街には、かつては飲食店や物販店はもちろん、スマートボールや射的などがあったが、温泉旅館が、それらを内包してしまったために、皆、潰れてしまった
つまり、個人客対応できない温泉街にしてしまったのは、巨大化した温泉旅館に原因がある
さらに、その遠因は、団体客を受け入れしやすいように旅館の大型化を生み出した旅行会社にある。

会津の東山温泉と福島の飯坂温泉が廃墟の街となっているのをyoutubeで見て驚いた
これはいつこうなったのか?それが良くわからない、ただこれも日本の経済衰退から起きていた、ただ救いはインパウンドなどで外国人旅行者が特に中国人が団体で訪れていたことである、それでなんとか維持できていたこともあった
ただ全般的には温泉街は高度成長時代が終わりバブルがはじけて衰退した
高度成長時代は社員旅行とか団体旅行が盛んだったからである
この辺の呉服屋でも客をしきりに団体旅行に連れて行ったのである
この辺では火力発電所ができた港の村とかではもう航空運賃が50万とかなるときヨ−ロッパ旅行に行っていた人がいたので驚いた、その頃とても外国旅行に行けるとは思っていなかった,ヨ−ロッパ旅行となると夢のまた夢のような時代だったからだ

私自身が人生を旅に費やしたから旅館とかホテルでも興味がある
でも貧乏旅行者であり自転車旅行になってからまず高いホテルとか旅館には泊まらない
温泉旅館は高いので泊まったことがないし自転車では泊まりにくいのである
ただ一回だけ湯殿山ホテルに道に迷い泊まったのである
そこのお上が泊めてくれたから例外的だった、ホテルとなるとこうした自転車旅行者など泊めない、断られる、だからまず自分は旅館とかホテルはただ体を休めるだけで贅沢など求めない、温泉旅館は保養のためであり温泉街自体を楽しむ場所である
私は一夜の旅の宿を求める場所だから違っていた

『蚤虱馬が尿する枕もと』芭蕉

こういう所でも良かったとなる、ただ現代ではこうして旅人を受け入れる農家などないから野宿なのである、たいがい自転車旅行とか一人旅でも野宿である

隠田やテントに眠る夏の星

こんなふうになる、日本の特徴は意外な所に田があることである、それは税金逃れにもなる、山の陰などになっていてわからないからである、この辺の近くでも土地の人があそこか隠田だったよと教えてくれた人がいた、そこは平地なのだけど森の様な所があってかくれていたたそである、相馬市の松川浦の近くだから山の中ではないのに隠田があったから謎である

とにかく私の旅をふりかえると福島県なら隈なく行った、それで会津の東山温泉が廃墟化していることに驚いた、あんなふうに廃墟の街となっこのはこの辺が原発事故で避難して廃墟の街や村になったことと同じように見えた、なんか気味悪くなる
往時のにぎわいがぱったりとやんで廃墟マニアが訪れる場所となったのである
東山温泉というとき私は白河街道を通り芒の山道をぬけて東山温泉に出て来た
その時は廃墟の街のようには思えなかった
途中の福良の南湖の蔵の宿に泊まった、あそこはいい場所であり蔵の宿が良かったのである、でも私は温泉街とかには魅力を感じなかった、もともと宿賃が高いし泊まりにくかったからである
私はずっと貧乏旅行が長いから常に安い宿を探していたからだ
それで海外旅行でもパリの東駅で安宿を探していたのである
あそこにはかなり安宿がありでも満員だった

安宿に落葉を踏みて東駅

海外はむしろヨ−ロッパでも安いホテルが意外に多く個人旅行がしやすかったのである
日本はそういう安い旅館がホテルが少ないから旅はしにくいのである
かえって江戸時代の方が宿場町があり安宿が多いから長旅には向いていた
宿場町ではそうした旅人をもてなした、それは保養に車とかで来る人と違って長く歩いて汚れたりしているからまず足を洗うのである、それがもてなしなのである
もともとホテルはホステルであり病院に由来するからもてなしねぎらうものだった
それは歩く旅だからそうなったのである

現代に旅はないし旅人もいなくなった、電車でも車でもバイクにしろ早いから途中が飛ばされるし途中の宿に泊まるということもないからだ
自転車とバイクが似ているようで全然違う、バイクだと車並みに早いからである
自転車旅行は疲れるからだ、特に坂を上ると体力を消耗するのである

東山温泉もそうだが飯坂温泉もあんなに寂れて廃墟化していることに驚いた
福島市から飯坂線がありその線が何か情緒があった、途中の医王寺は芭蕉が寄ったことで有名である、そこから飯坂に行った、あそこをさらに上って行くとやはり旅館があり
その時桜が咲いていて丁度暮れる頃であり雨がしととふり旅館から湯の煙がたっていた

iizakasakura1.jpg

雨しとと湯の煙たち夕桜

雨しと灯ともる旅館夕桜

こんな感じだった、その記憶は残っているが飯坂に泊まったのは覚えていない
旅の記憶はうすれてゆくと定かでなくなる、ただ自転車で行きそこで暮れたことは覚えている

『蚤虱馬が尿する枕もと』芭蕉

こういう宿でもふりかえると旅の醍醐味であり記憶に残る貴重な体験なのである
ふかふかのベッドとかホテルに泊まるだけの旅はかえってつまらないありきたりの体験になる、旅でも記憶に残る旅をしろと語ってきたときそうなる
電車であれ車であれ旅が楽過ぎるからかえって旅にならないのである
そもそもトラベルとは苦労することだから旅は外国でも難儀だったからである
それは歩く旅だったからである、歩く旅をしていないものは本当の旅がわからないとなる今は歩く旅はかえって余裕がないとできない、その疲れ方も半端ではないからだ
これだけ旅しても私は歩く旅はしていないから本当の旅がわからないともなる

いづれにしろ温泉街は旅の宿にはならない、高度成長時代のバブルとして廃墟化した
一時の夢の跡ととなってしまったのである
こういう盛衰は人間社会につきものである、ただ原発事故で町ごとが村ごとが廃墟化したことにも驚いたが温泉街の廃墟化にも驚いた
ただ原発事故とは違って温泉街という一部であり全体はまだ残っているのは違っている
原発事故は全体が廃墟化したからひどいとなる
温泉街が廃墟化しても回りの農家などはやはり生業があり残っている
この辺では農家自体が廃墟化したからショックだった

ただ本当に空家が全国で800万軒になるということはショックである、衰退してゆく日本を象徴しているのだ、本当に空家が多い、この辺で原発事故の避難区域は廃墟の町となり村となった、それは将来の日本を先取りした風景なのかとも見てしまう
ただ一挙に廃墟化したから凄まじい荒廃となった
ただ温泉街とかは何か全体ではなく温泉街として特化したものだからブームとかさると一挙に寂れてしまう、それがコロナウィルスでもそうなったのである

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/189098242
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック