2021年11月04日

地銀の営業の問題―民主主義は話し合い (勝手に株を決めて売った、その前に説明もなかった―話し合いもなかった)


地銀の営業の問題―民主主義は話し合い

(勝手に株を決めて売った、その前に説明もなかった―話し合いもなかった)


銀行で別に株や投資信託を売って悪いとはならない、それは政府から許可されたからである、法律違反でもないのである
これまではできなかったということは何かそうしてはまずいものとして銀行でも地銀でもあったから許可しなかった
何か自由主義社会とか民主主義社会は基本に話し合いがある
それは政治とかだけでないあらゆる場所でそうなのである
何かをするにも決めるにも話し合いすることが簡単に言えば民主主義の基本である
日本ではそうしして村で話し合いで物事を決めていたというとき民主主義の基礎があったから民主主義に移行できたともされる
ただ話し合いというとき相当に手間でめんどうなのである

何か即決できないから話し合いをしていたら緊急の場合は何もできずに死ぬとういこともある
みんなそれぞれああでもないこうでもないと議論しているうちに敵が攻めてきたらもう対抗もできない、指導者が強制的に命令して判断しなければ死ぬとなるからだ
だから緊急時には民主主義はかえって危険になる
ただその判断を誰にゆだねるかは大事になる、それは相当に優秀でないとできないからだ
地銀が投資信託でも売る時問題だったのは説明も話し合いもなかったことである
何か性急に勝手に営業の人が決めたのである
そこに話し合いがなかったのである、一方的だったのである

リーマンショックの時、半分になった株を元にもどりあがるとき今度はJ=REITに回したのである
その時どうしてなのか一言の説明もなかったのである
私はどうかなとも思ったがまかせる方針だったのでその人の決定に何も言わなかった
それは自分の落ち度だったがそれにしてもその人は何か性急であり説明もせず勝手に決めたのである
それは別に株を売るとか投資信託を売るとかが問題でなくその前にとにかく話し合いがないことが問題だったのである

なぜ今株がリーマンショックから株が元にもどり上がったのにJ-reitにその株を売って買うのかとなる、ただ自分自身がそれを望んだこともある
でも株を売ってそうしてくれとは頼んでいないのである
ただ自分もそこで聞けば良かったのである、でもその営業の人は性急であり勝手に上がっていた株を売った、その株を持っていたら今なら倍になっていたから悔しかった
ただその前に売っていたこともある、それは予測できないしどう判断するかは本当は株を売買する客の判断にまかせることなのである
自分自身が株のプロですからと言われたのでまかしたことが失敗だった

今度は私はなぜかこうしてこのことがありその営業の人を信じられなくなったのである
それは株とか投資信託を売るのが悪いというのではない

その前に話し合いがない,勝手に決められた

これが問題だったのである、今どうして上がってきた株を売るのですかとこちらから問うべきだったがなかった、それは自分の落ち度でもある
でもその営業の人は何か落ち着いて話し合いをしないのである,性急なのである
だから何か若いと営業に向いていないとも見た
じっくり話して決めるということもない、人の話も聞かないのである

そしてJ-reitを売ってくれと言ったとき売ったのだがNISAまで売っていたのである
私はNISAを売れと言っていないのである
これも株を売った時同じように説明もしないのに売ったのである
これは株とか投資信託を地銀でも売る前に話し合いもなく勝手に決められたということである
ともかく説明が必要なのでありそれがないし秋からにNISAは売れといっていないのであるただ営業の問題はこうして説明すらせずに売買したということであり株とか投資信託が悪いからではない、株なら上がったり下がったりするからである
それは銀行のせいではないのである

話し合いが全くなかった!

これが問題だったのである、勝手に営業の人が客に説明しないで決めたことである
株でも投資信託でも詐欺のようにも言ったが十分に説明して話し合いで決めたなら責めることはできないのである
それは原発でもそうだった、ほとんど政府と東電で勝手に決めてすすめたものだったからである、まず住民との話し合いなどない、原子力のこと核のことなどわからないものに話ししても無駄だとなっていたからである
そこからしてすでに民主主義の話し合いがないのだから問題だったのである
常に一方的になっていたのであり聴くことすらできないものになっていたからである

例えば事故がおきたらどうなりますか?

絶対に事故は起こりません

万全の手は打っています

これだけで終わりになる、でも説明くらいできるでしょう、原子力関係の専門家はそれを説明できた、最悪のことが説明はできたのである
それを言うと原発は拒否されるからしなかったのである
つまり政府と東電と住民は話し合いもなかったのである
そこに民主主義はなかったのである、民主主義は別に政治にあるだけではない、社会全般の問題として民主主義がある

その基本が十分な説明であり双方の話し合いなのである
また日本では議論を嫌うことも影響している、理屈を言うやつは嫌われる
でも基本的に裁判でも双方の言い分を聞くから話し合いだともなる
双方の言い分を聞いて判断するからそこで十分な説明と話し合いが必要になる
その中で理屈を言うのもしょうがないとなる
何を基準にして決めていいかわからないからである

いづれにしろ民主主義は手間もかかるし時間もかかるしめんどうになる
客との話し合いだとしても手間になるし時間もかかる
だからそういうことで勝手に営業の人が決めたともなる

ただ私としては株とか投資信託を売るのが悪いとは言わない
その売買で説明不足だったことと話し合いが全くなかったことが不満だったのである
ただ株でも投資信託でも金融商品の売買は自己責任である
ここだけは明確にするべきである、結局損したのは自分であり客である
地銀では利益を得たのであり損していないからである
地銀はただ客の金を売買して手数料を稼ぐだけである
客が損しても絶対に銀行は損しない商売なのである
そうなると客は本当は相当に投資信託とか株に詳しくないと売買するなともなる
結局自己責任であり一切銀行では責任はとらないからである

責任をとらされるのは客であり地銀ではない

まだ原発でも責任をとらされるのは地元の住民である

確かに政府でも東電でも多額の賠償金を払ったので責任をとらされた
でも一番責任をとらされたのは住民である、故郷に住めなくなったからだ

すると本当は一番責任をとらされる住民がもっと真剣に原発の是非を考えるべきだったとなる、それは地銀の株や投資信託の売買とも似ていたのである

最も真剣に考えるべきものは誰だったのか?

それは地銀だったら客自身なのである、なぜなら損するのは客だからである
戦争はもっと責任が重大である、国民が戦場で死んだからである
するともっと国民が戦争すべきかどうか考えねばならなかった
それも政府が勝手に決めてしたともなる、その結果として国民が3百万に死ぬという責任をとらされたのである
ともかく何であれ責任が人間につきまとっているのである
金がもらいるからいいとなってもそれも責任となっていた

責任の自覚がもてない

あなたは金をもらいましたね、あなたは原発を建てることをその金で許可したのです
例え事故があり汚染されてもそれはあなたがた住民の責任です
ただこういうふに自覚した人はいない、金になるからいいとしかなかったのである
だから金は具体的な責任なのである
ただ漁業権をもっている船主とか漁業組合は特別補償されて補償金を事故前でももらっていた、その金をもらったことで事故になっても東電でも責められなくなったのである

でも事故後はもらう権利があったのである、事故前にもらったことが問題だったのである
いづれにしろ人間は常に責任が問題になる、何か生まれたときから責任を負わされているだから赤ん坊は泣いて生まれるのだというのもわかる
何かしらで必ず責任が課せられているのである
そして責任の自覚がもてない、もし責任を自覚していたら原発など作れない、事故起こしたら切腹しろとなったらできない
だからこそいい加減になっていたのである、管理もずさんになっていたのである
権力と権利が欲しいとなるけどそれにもやはり重い責任が課せられている、権力が権利があるとして勝手なことはできない、そのために責任が問われる
マスコミの責任も重かった、800億円もの宣伝費が電事連とかから流れていたからである、それで危険を追求できなかった、ただ金をもらっただけだとなる
でもその責任はあまり追及されないのである





石と石は向き合う

長い時間を向き合う

そして落ち着いて

密に語り合う

石と石が信頼し合い

その場と時間があってそうできる


話し合いとか理解し合うとかでも簡単にできない、現代では何かもうグロ−バルに人は交わる、でもそこで信頼したり話しじっくり合ったりできない、そんな広い場では無理だとなる、信頼でも世界の果てにいるような人とできないしし話し合うこともできない
信頼するにも時間がかかる、すると時間も限られているから簡単にできない
現代ではこうして世界は広まったとしても互いに話し合い理解しあっているとはならないのである

「密」には、すきまのないこと、ちかしいこと、きめの細かいこと、行き届いていること、等の意味があり、「密接」「親密」「綿密」「厳密」などの熟語があります。
「コミュニケーションを密にして〜」は、細かく行き届いた、密接なコミュニケーションをする、という事です

このことである、営業でもそういうことがある、それをしていないと常に誤解があり信頼できないとなる、現実は世界は広がっても信頼するとかはない、ただ物が入ってくるだけだともなる、基本はそういう密なことを目指す社会になる
でも逆に三密はコロナウィルスで避けれることだった、でも密な世界に生きる回帰する
江戸時代辺りはそういう社会だった、狭いから村の様な世界では密にならざるをえなかったからだ






posted by 老鶯 at 13:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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