2021年11月13日

飯館村考(小国という地名がなぜ多いのかー人は隣村でも人が交わらない世界)


飯館村考(小国という地名がなぜ多いのかー人は隣村でも人が交わらない世界)

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かくして二里三里の険阻な山を越えなければ、入って行かれない川内が日本に多かった
それを住む人の側では或いはよぐに(小国)などとも呼んでいた
これらは標後の地名である
しかもそのその時代の古かるべきはことは言葉だけでなく、分内が梢、広くして生活品は藍さえも土地に産することがあり、武陵桃源の隠れ里の如く、彼が自得自賛の根拠あることを感んぜしめるからである

神を祭る人々に稲は絶対必要である、野川の流れはまた交通の唯一の栞である
(柳田国男ー地名考)

河内、川内、九州の隈、または福良も小川内であって盆地の上下をくくる所の急たんな地が都留(つる)である

小国村のなにがしの男、ある日早池峰池に竹を切りに行きしに、地竹の夥しく茂りたるなかに大なる男一人寝ていたるを見たり、地竹に編みたる三尺ばかりの草履を脱ぎてあり
あおに伏して大なる鼾をかきてあり

●下閉伊郡小国村大字小国


閉伊川の流れに淵多く恐ろしき伝説少なからず、小国川との落合に近き所に、川井という村あり、その村の長者の奉公人、ある淵の上なる山に木を刈るとて水中に斧を落としたり主人のものなれば淵に入りてこれを探りしに水の底に入るままに物音聞こゆ
これを求めて行くに岩の陰に家あり、奥の方に美しき機をおりていたり、
その脇に彼の斧をたててあり

小国の三浦某というは村一の金持ちなり、今より二三代前の主人、まだ家貧しくて
妻は少しく魯鈍なりき、この妻ある日門の前を流れる小さき川に沿いて蕗をとりに入りしに、良きもの少なければしだいに谷深く登りたり、そうして見れば黒き門の家あり
いぶかしけれど門の中に入りてみれば大いなる庭にて紅白の花一面に咲き鶏多く遊べり
その庭の裏方に回れば、牛小屋ありて牛多く、馬舎あり、馬多くいれども、一向に人をおらずその次の間に朱と黒との膳椀
をあまた取り出したり、奥の座敷に火鉢ありて鉄瓶の湯のたぎれるを見ゆ
されども終に人影なければもしや山男の家ではないかと急に恐ろしくなり駆けだして家に帰れり
此の事をひに語れども真と思う者なかりしが、またある日我が家の門に出て物洗いしに
川上より赤き椀の流て来たれり

柳田国男ー遠野物語




こうした言い伝えとかはどうして生まれたのか?それは江戸時代までは隣村でも行き来がまれである、だから隣村同士でも人は交わらずに生活していた
その隣村の人が来たとしてもそれは異人になるしまた隣村さえ異界なのである
だから麦付きに来た若者が蛇だったとかなる、人との交流がないのである
ではなぜそういう社会で隣村とも交わらずに生活できていたのか?
それが現代の様な世界とも交わるグロ−バル化社会とは全く異質の世界なのである

それで飯館の大倉村と佐須村が明治以降合併しようとしたとき民情が違うとして合併しなかったのである、今ならそんなに近くでそんなことがありえるのかとなる
でも歩いてみればかなり大倉村と佐須村は遠いのである、その歩いた感覚が今になるとわからないからそうなるのである

そして古代から川が道となっていた、だから真野川をさかのぼり大倉村ができた
その村も古い、でもダムの底に主要な家は沈んで消えた、そこには山津見神社があり
その川をさかのぼってゆくと佐須村がある
川が道となっていたのである、川内という地名が多いのは川の側は水があるから住みやすいからである、小川だと洗い物をするにいい、最近までそういう洗い物をした小川が栃窪にあった
そして信じられないことは私の家のすぐそばに掘りの川がありそこで洗い物をしていたのである、街内でも川の水を利用してい洗い物をしていたのである
戦後十年は水道もないから井戸水であり燃料は炭だったのである
だからそうした原始的生活と江戸時代のつづきだったのである
電気は裸電球一つだった、トイレは外の便所でありその糞尿も近くの農家の人が汲み取りに来ていたのである、その女性を知っていたが死んでしまった
街内でも農家があったのでありこの辺でも農家中心の部落だった
だから近くの神社に「天明の碑」がある、それは飢饉の時の碑なのである
裏の畑は麦とか桑畑であり養蚕をしいた家が街中にもあった

とにかく昔を知る時、大事なのは村はそれぞれ自給自足であり村人は滅多に交わらないのである、交わらなくても物のやりとり売買がなくても自給自足が基本だったのである
それより一軒農家があるとしたらその家自体が自給自足だったのである
その一軒の家で何でもまかなうともなっていたのである
裏に林があれば燃料にするし家の材料にもなるしまた鶏を飼って卵でも鶏をつぶして肉を食べるとかしていたのである
そして納豆まで作っていたとか一軒農家自体が自給自足が基本的にあったのである
そういうことがこれだけ買うことが生活になった時代とまくで違ったものだったのである何か作り生産して売るというのではなく自給自足の生活というのがわからなくなったのである
飯館村などはまだそういうことが継続していてまでいな村としてあった
だから水道を使わずに山の清水でも利用していたからそれは無料だったとなる
それが放射性物質で汚染されて飲めないから住めなくなったとなる

飯館村の山津見神社は海から安曇族などの渡来人が海人が入ってきて開拓した場所であるとにかく綿津見神社と山津見神社は相馬藩内で本当に多い、栃窪に山津見神社があり
大倉に山津見神社がありそして本元が佐須の山津見神社になる
でもこれはもともと海から海人が入ってきて開拓したのである
その人達の伝承もないから謎になる、でもこれだけ綿津見神社神社と山津見神社が相馬藩内に多いのにその由来も解き明かされていないのである
佐須の山津見神社で狼を神体としているのは焼畑がありそれが鹿やイノシシとか猿に荒らされる、狼はその天敵となっていたから神としてあがめられたという経緯があり
すでにそれは縄文時代から狼は神として崇められていたのである
佐須とは焼畑地名であり渡来人が名付けた地名なのである、焼畑地名は多いのは縄文時代は採集と狩猟じだいであり次に焼畑時代となり稲作時代と変化したのである
ただこの綿津見神社と山津見神社のことは何か伝承も残っていない不思議なのである
長野県の安曇野(あづみ)には安曇族が入植したことが明確であり船の祭りを今でもしている、ただこの辺で何の伝承もないのが謎なのである

小国という地名が日本全国に多いののは日本人がともかく小さな村で自給自足していて
それで俺たちは小さな国でもここが俺たちのクニだとして生活していた
隣の村さえ交流がなく自給自足していた誇りをもっていたのかもしれない
それを比べると今や日本全国の村でも町でもグロ−バル化して財源でも東京に頼ったり
物資でも世界から輸入したりとあまりにも変わりすぎたのである
その結果として原発が作られて水も飲めなくなり飯館村に住めなくなりやがては廃村にもなる
今や電気がなければ車がなければ石油がなければ生活できないとなっている
でも江戸時代から戦前までも人間はそういうものがなくても暮らしていたのである
そういう文明の利器がなくても生活してきたのである
つまりそうした文明の利器がなくても死ぬことはなかったのである
今だと近くの人が毎月電気水道ガス代が払えないとして死んでしまうとなっているのも変だとなる、そうしたら昔の人はみんな死んでいたとなるからである

柳田国男の遠野物語でも何か神秘的なものとなっているがそれは人と人が隣村でも交わらないから隣村でもそこに住んでいる人でも神秘的になる
そして大男とか巨人が住んでいたとなるのは何故か?
それは小さな村だと人間が大きく見える、存在感が大きくなるのである

牡鹿半島のある島に寄った啄木が小さな島を歩く人が巨人のように見えたとか書き残している、小さな島だと人間が大きく見えたということである
大男に見えるというのはそういう小さな島とかでは人間が目立つからである
また山の中でも人間が大男になる、人間が巨人になる、それはなぜかというとそこでは人間が主役になっている、人間の存在が大きくなっている
でも現代は人間の存在が卑小化される、小人化される、それよりもう人間はいないともなっている、大都会に行けばそこは群衆と大衆であり人はただ点になり実際に人間は数にすぎない、千人も歩いていればそれは数であり一人一人の人間はいないのである
名前もない数でしかない、選挙でも名前など関係ない、数として統計としてしか人間は存在しないのである
だから奇妙だけど東京であれ大都会の人間はもう一人の大男とか巨人はいない、そもそももう人間はいないのである、大衆であり群衆でありそんな一人の人間が大男とか巨人になっりしないし伝説とかも生れないのである
人間は自然と一体化したときその存在も大きくなっていた、山には大男や巨人が住んでいたとなる

だから現代文明人はいくら科学技術の進歩による機械による便利な生活をしていても
人間の存在感はもうない、人間はいないのである、巨大なビルの谷間で人間は蟻のようになり人間はいない、文明人はいかにも進歩したものとして見ているけどその存在感は本当にない、一千万人の都会でどういう人間の存在感があるのかとなる
それは抽象化した数であり名前も個性もない、常に数として金銭として無機物として数えられているだけなのである、選挙がそれを一番象徴している
一票などなんの意味もないし力もない、まとまった数とならない限り現代では何も通用しない、ボランティアすら一人ではできない、十人以上集まらないとできないし一人とかもう誰も相手にしないのである、ただ数がすべての世界なのである

だからこそかえって飯館村のような世界は文明世界からすると貴重なものがあったがそれも文明の最先端の科学技術の原発で根こそぎ失われた
水も土も木も空気も汚染されたからである、そうしたら縄文時代からつづいた生態系に依拠した生活はできなくなったからである
とにかく飯館村であれ山村であれそこで人間は自給自足して生きてきたのである
でもそういう何千年と生活して来たものを根こそぎ原発が破壊したのである
このことは本当にここだけではない、文明というもの自体を考え直すことを強いられているのである

柳田国男が探求して来たものは人間の本源的な生活の在り方がどうあるべきなのか探ったのである、人間はどうして山深くでも生活できていたのかそれが伝説化したのかとかを探った、それが時代が変わり不明となり遠野物語のように神秘化したのである
何かそうした山の村でもいい暮らしている人がいてそこで長者伝説が生まれたのである
遠野がそういう場所として有名になったけど飯館村にもそういう村として共通な面はあった、それが失われたことは相当に損失だった
でも東京の人達がそんなことを余り考えないだろう、原発が何を破壊したのか
それを本当にみんなで真剣に考えるべきである
それは文明というのが何を破壊して喪失させたかという問題にもなる
そういう大きな大局的な問題としてと飯館村の原発による被害があったことを知るべきである





posted by 天華 at 19:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村
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