短日、枯菊、冬の蝶、冬薔薇(冬に入る)

枯菊に日さしあたたか朽ちてゆく
短日に昔を語る老二人
短日や人の出会いも一時や
冬の蝶舞い別れて今日暮れぬ
冬の蝶一つ見つけて近間かな
巣籠や近間を回り冬に入る
一枚の広葉の散りぬ家の前
我が庭にいとしむ静か冬薔薇
我が庭の闇のつつみぬ冬薔薇
枯菊とは何を意味しているのか?老人とか病人なのである、枯れてゆくからである
でも日がさしてあたたかいというとき死ぬときも何かあたたかく見守られて楽に死にたいとなる
冬という時、老人に逢っているのた、春は夏は青春であり秋は壮年とか老いに入る時期だとなる、50代はまだ秋なのである、60過ぎると老いに入るとなる
ただ現代では本当の老いは80代くらいになるかもしれない、十年くらいは年齢を引いてみないと現代に合わないのである
冬の蝶を見た、何かはかないとなる、人の出会いでも何か本当に老人になると不思議である、何であっていたのだろうとか人間は簡単に別れて二度と合わないのだとつくづく思うさよならだけが人生だというのが実感としてわかる
人間は生まれたら逢うとなるが最後は人間はただ別れるだけだったとなる
これが一番意外なことだったのである、人間はなんのために逢っているのかもわからないとなる
俳句とか短歌でも短くても常に時代をその社会を反映したものとなる
コロナウィルスの巣籠りというのもそうである
その影響は今もつづいているからだ、そしてこの社会状況がわからなくなる
降る雪や明治は遠くなりにけり・・草田男とかなる、一時代が過ぎるとその時代のことがわからなくなるのだ
その時代がわからないと歴史でも文学でも理解できなくなるのだ
戦争の時代があってもその時代を雰囲気を知ることは不可能になる
それが外国だとさらに歴史でもわからなくなる、時代の雰囲気というのはその時代に生きていないとわからないのである
飯館になお鳴きひびく残る虫
この俳句でも今の飯館村を反映している、原発事故で荒れ果ててしまったけど人も住まなくなったけどそこに残り住んでいる老人もいる、それがまさに残る虫なのである
冬薔薇が闇に隠れる、でもその薔薇を私は見ている、その冬薔薇は自分自身だともなる
家の前の道路に大きな葉が散った、家の前だからその大きな葉が心にしみる
それは近くで人が死んだということに通じている
78歳くらいで近くの人が最近死んだからである
ともかく冬に入り冬もいい、老人には冬があっているのかもしれない
ただ老人でも何かある程度の金銭的にも余裕がないと老後は悲惨である
毎月電気ガス水道が払えないとなると何か常に金に追われることになる
その人は死ぬまで金に追われている
そして今度は知っている人が60代で死んだ、そしたらその人の借金の払い人になっていた、でも一万ばかりだからたいしたことはないからくれた
何かこうして借金はカルマであり誰かにカルマが回ってくるのだ
悪いカルマが回ってくる、恵みもめぐってくるが悪いカルマも必ず回ってくる
それが怖いのである、つまり数万でも殺されたりするのは相当に悪いカルマが回ってきてそうなったとしか思えないからである
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