相馬市から霊山町までの地名の旅
(簡単な案内と説明)
霊山町の犬飼(犬養)
宇多川をさかのぼると川は丸森の方へ行くのと玉野村の方へ行くのとに分かれる
玉野村は昔の伊達藩と相馬藩の境である
それで次のような歌が残されている
伊達は伊達政宗の領地であり
伊達と相馬の境の桜 花は相馬に実は伊達に
伊達藩と相馬藩は戦国時代に争っていたが江戸時代になると戦争をやめて仲良くしたからこういう歌が生まれた、互いに繁栄しようとなったのである
玉野村には「若木神社」がある、これは疫病の神であり疫病は恐れられていた
玉野村は境なので特にここで疫病をもってくる人がいると怖いから神社に祈っていたとなる、とにかく昨今のコロナウィルスのことで疫病の怖さを経験した
昔から人間は疫病で苦しんでいた、だから各地に疫病を防ぐための神社がある
その頃は神様に祈る他なかったからである
そして疫病を防ぐ唯一の方法は他の藩からでも人が入って来ないようにすることだったのだ、疫病は人から人へとうつるからである
ここから伊達藩だけど相馬藩はもともと中村藩でありここと中村街道でもありこの細い道がそうなのだ、ここを行けば古い碑が残っていて元禄時代のもある
中村街道はもともと保原の方に行っていた
玉野村を過ぎると八木平とかありこれは姓名なのである、八木氏でありこれは海洋民の安曇氏と同じ系統のものであり飯館村へ行く八木沢峠の八木も八木氏なのである
この道筋にも山津見神社が残されていて飯館村の佐須の山津見神社がその本元になる
それから霊山町に入ると犬飼(いぬかい)というバス停が残っている
犬飼は古いものであり次に犬養となった、これも安曇氏系統の海洋民の一族なのである
海を渡ってきた外国人だとなる、その人たちがここに住みついたので八木平という地名になった、犬養も同じである
霊山の上り口に行合道とありここで人が行き逢った、出合うことからこの名がある
それは飯館村の佐須峠がありそこをおりてこの道で出ると出合うとなる
佐須村の人に聞いたら霊山町の方が親しいというのも近いからそうなる
昔は車もないので歩くのでなかなか山で暮らしていてもそこから遠くへ行くことが簡単にできない、それでそうした閉ざされた山の村から出て人と出合うことは喜びだったとなるなかなか他村のものと出合いなかいからである
霊山町へ出ると石戸という村がある、地名として見入り石とかある、この石の由来は良く分からないが特別な石でみんなが見入ったからこの名がついたらしい、石戸村というのはこの石から生まれたのかもしれない
地名には何かいわれがあり名付けられたからだ
福島中央道のトンネルの所に庄司淵はあるのはこれは佐藤庄司から来ているのだろう
奥州路で最初の義経ゆかりの地です。佐藤庄司とは、
源頼朝の平泉攻めの際、それを防いで戦った藤原秀衡の郎党です。
これは有名な話である、佐藤氏とはこの辺で多いがこの佐藤氏系統の一族が相馬地方に広がった、庄司と姓の人もいるからだ、佐藤氏は有力な氏族としてこの辺で支配していたからである、相馬市の磯部村に佐藤氏の館があり相馬の道の駅の鬼越館は佐藤氏の館であるあと中村街道を相馬市の方に下ると塩手山の麓の二軒も佐藤氏であり佐藤氏一族が中村街道を通って広がっていたのである
佐藤氏⇒庄司淵⇒塩手山の二軒の家⇒磯部の佐藤氏
それから霊山町に入ると力持ちとかの地名がある、力持ちとはなぜついたのか?
各土に比べ石とかあり昔の人は機械がないから力仕事が多いから力持ちの人は村にとって大事な人でありなくてはならない人になっていたのだ
そこで力持ちという地名にもなった
それから小国という地名があるがこれは日本全国にある地名である
ここに小国町があり小国城があり小国川があった
小国とはそこが人の住む小さな国ということである
ここに春の日にバスできて一時下りたことがあった
その時は春だった、春の日がさしてスミレなどが咲いていた
ただ一時ではあるがその小国という地名を覚えていたのだ
こうして地名をたどれば何かそこに謂れがありその地名の謂れは古い、古代にさかのぼるのである、地名から遠い昔を知ることができるのだ
この道は今は福島中央道ができて車が通らない、まるで旧道になり車も通らなくなって
サイクリング道路のようになってしまった
道が変わるとその道沿いも変わる、何か廃屋が空家が増えた、車も通らないとやはりさびれる、ただ自転車で行くのにはいい、車が通らないだ
すいすいと行けるからだ、でもここの旧道は他の旧道とは違う、車が一日数台くらいしか通らない、だから不思議になる
交通によってこんなふうに変わってしまうのも驚きである
他にも相馬市から山上に入ると紙漉沢とかありまた霊山町に楮という地名がありこれは紙漉きの材料となるから紙漉きが行われていたので地名化した
その頃紙漉きはきれいな水が必要なので山から流れるきれいな水を使って紙を作っていたのである、それで地名化した
ただ地名は古代にもさかのぼり古いのである
宇多川をさかのぼると川は丸森の方へ行くのと玉野村の方へ行くのとに分かれる
玉野村は昔の伊達藩と相馬藩の境である
それで次のような歌が残されている
伊達は伊達政宗の領地であり
伊達と相馬の境の桜 花は相馬に実は伊達に
伊達藩と相馬藩は戦国時代に争っていたが江戸時代になると戦争をやめて仲良くしたからこういう歌が生まれた、互いに繁栄しようとなったのである
玉野村には「若木神社」がある、これは疫病の神であり疫病は恐れられていた
玉野村は境なので特にここで疫病をもってくる人がいると怖いから神社に祈っていたとなる、とにかく昨今のコロナウィルスのことで疫病の怖さを経験した
昔から人間は疫病で苦しんでいた、だから各地に疫病を防ぐための神社がある
その頃は神様に祈る他なかったからである
そして疫病を防ぐ唯一の方法は他の藩からでも人が入って来ないようにすることだったのだ、疫病は人から人へとうつるからである
ここから伊達藩だけど相馬藩はもともと中村藩でありここと中村街道でもありこの細い道がそうなのだ、ここを行けば古い碑が残っていて元禄時代のもある
中村街道はもともと保原の方に行っていた
玉野村を過ぎると八木平とかありこれは姓名なのである、八木氏でありこれは海洋民の安曇氏と同じ系統のものであり飯館村へ行く八木沢峠の八木も八木氏なのである
この道筋にも山津見神社が残されていて飯館村の佐須の山津見神社がその本元になる
それから霊山町に入ると犬飼(いぬかい)というバス停が残っている
犬飼は古いものであり次に犬養となった、これも安曇氏系統の海洋民の一族なのである
海を渡ってきた外国人だとなる、その人たちがここに住みついたので八木平という地名になった、犬養も同じである
霊山の上り口に行合道とありここで人が行き逢った、出合うことからこの名がある
それは飯館村の佐須峠がありそこをおりてこの道で出ると出合うとなる
佐須村の人に聞いたら霊山町の方が親しいというのも近いからそうなる
昔は車もないので歩くのでなかなか山で暮らしていてもそこから遠くへ行くことが簡単にできない、それでそうした閉ざされた山の村から出て人と出合うことは喜びだったとなるなかなか他村のものと出合いなかいからである
霊山町へ出ると石戸という村がある、地名として見入り石とかある、この石の由来は良く分からないが特別な石でみんなが見入ったからこの名がついたらしい、石戸村というのはこの石から生まれたのかもしれない
地名には何かいわれがあり名付けられたからだ
福島中央道のトンネルの所に庄司淵はあるのはこれは佐藤庄司から来ているのだろう
奥州路で最初の義経ゆかりの地です。佐藤庄司とは、
源頼朝の平泉攻めの際、それを防いで戦った藤原秀衡の郎党です。
これは有名な話である、佐藤氏とはこの辺で多いがこの佐藤氏系統の一族が相馬地方に広がった、庄司と姓の人もいるからだ、佐藤氏は有力な氏族としてこの辺で支配していたからである、相馬市の磯部村に佐藤氏の館があり相馬の道の駅の鬼越館は佐藤氏の館であるあと中村街道を相馬市の方に下ると塩手山の麓の二軒も佐藤氏であり佐藤氏一族が中村街道を通って広がっていたのである
佐藤氏⇒庄司淵⇒塩手山の二軒の家⇒磯部の佐藤氏
それから霊山町に入ると力持ちとかの地名がある、力持ちとはなぜついたのか?
各土に比べ石とかあり昔の人は機械がないから力仕事が多いから力持ちの人は村にとって大事な人でありなくてはならない人になっていたのだ
そこで力持ちという地名にもなった
それから小国という地名があるがこれは日本全国にある地名である
ここに小国町があり小国城があり小国川があった
小国とはそこが人の住む小さな国ということである
ここに春の日にバスできて一時下りたことがあった
その時は春だった、春の日がさしてスミレなどが咲いていた
ただ一時ではあるがその小国という地名を覚えていたのだ
こうして地名をたどれば何かそこに謂れがありその地名の謂れは古い、古代にさかのぼるのである、地名から遠い昔を知ることができるのだ
この道は今は福島中央道ができて車が通らない、まるで旧道になり車も通らなくなって
サイクリング道路のようになってしまった
道が変わるとその道沿いも変わる、何か廃屋が空家が増えた、車も通らないとやはりさびれる、ただ自転車で行くのにはいい、車が通らないだ
すいすいと行けるからだ、でもここの旧道は他の旧道とは違う、車が一日数台くらいしか通らない、だから不思議になる
交通によってこんなふうに変わってしまうのも驚きである
他にも相馬市から山上に入ると紙漉沢とかありまた霊山町に楮という地名がありこれは紙漉きの材料となるから紙漉きが行われていたので地名化した
その頃紙漉きはきれいな水が必要なので山から流れるきれいな水を使って紙を作っていたのである、それで地名化した
ただ地名は古代にもさかのぼり古いのである
春の日に佐須村から小国村へ(童話)
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