2021年12月01日

温泉若おかみの殺人推理 (ホテルは料理でもてなす所ー関サバがテーマのドラマ)


温泉若おかみの殺人推理

(ホテルは料理でもてなす所ー関サバがテーマのドラマ)


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外国人でも日本に来ることの目的が日本の料理が目的だったのである

このドラマのテーマはホテルで出される料理のことである
ある時老女が一人で泊まりに来た、それで断ろうとしたが今時そういうことは時代に合わないとして受け入れさせたのがホテルのコンサルタントの女性だった
このドラマはいかに客をもてなし寂れたホテルを復活させるかがテーマである
その中心が料理なのである
ここで関サバというのが名物である、これは全国的にも知られている
ここだけでとれる特別のものである、潮流とかの関係で一本釣りでとるのである
その老女はこのホテルに結婚して夫と来たことがあった
でもその夫が死んだので一人で思い出のホテルに泊まりに来たのである
そして夫のために御膳をもう一つ用意してくれとなった、陰膳である
でも関サバは出せなかった、でも九州の旅の帰りにまた寄ってくれたら出すと料理人が約束する
そこで命がけでその関サバを出すために自ら仲間であった漁師ととりにゆく
前に関サバを無理に獲りに行って父親と兄貴が死んだ女性がいた
その女性はそのことでずっと恨んでいて殺人になったのである

このドラマで感じたことはもう涙ぐましいほど命をかけてまで魚をとりお客に出すことがドラマのテーマとなっていた、ホテルとは何度も言うけどホステル、病院から発している旅人を癒す場として病院の役割があってその言葉が生まれた
それだけヨ−ロッパでも旅することがトラベルであり苦痛だから難儀だからそうなった
言葉は何か生まれるにも歴史があって生まれて来る

もう今は旅はない、旅とは江戸時代のように歩き宿に泊まり旅をつづけることである
宿はそのためにありそこで休養をとりまた歩いて旅してゆくのである
今は目的地に直行して車でホテルや旅館に行きそこで食べることが楽しみとなる旅であるそれはあくまでも保養の旅であり旅とは言えないのである
つまり現代では旅人がいないのである、江戸時代辺りまでだとどうしても歩くことになるから自ずと旅人になっていたのである
現代か旅は喪失したのである
だから最近温泉街が廃墟化しているのに驚いた、会津の東山温泉でも飯坂温泉でもそうである、温泉街とは高度成長時代の会社の団体旅行などがあって成り立っていたのである
また団体で商売のためにそうしてホテルに泊まらせてうまいものを食べさせることで客に物を売っていたとなる
そういう商売も日本経済の衰退で成立たなくなったのである

そもそも本来の旅は喪失している、旅人ももういない、バイクで旅しているとしても早すぎるから通過して行くたげだともみる
現代では通過する旅が多い、何か目的地に早く到達してホテルでうまいものを食べるのが楽しみだとなる、別に車だから多少疲れていても歩いてきた旅人とは全く違っている
そこでもてなすとうまい料理を出すことだとなる
それが目的でホテルに泊まるということでありこれは外国人でも同じだったのである
外国人だと日本を旅したいと見たがそうではない、やはり日本で日本の料理を食べたいというのが一番大きかったのである、人間は一般的にそれだけ食べることに一番関心があることが共通していたのである

旅の思い出はホテルで食べた料理の味

これは旅とは言えない、まず旅はしていない、移動してホテルの自慢の料理を食べることだとなる
だからこそ関サバを命がけとって客を喜ばすことが第一だとなる
そこに地域の人々が漁師でもかかわって観光客をもてなすということである
ここではもう旅はないのである、旅人もいないのである

私の旅の経験では何か福島県の石川なのか鮫川なのか阿武隈高原を自転車で旅していて
万屋がありそこでご飯と味噌汁を御馳走になったことである
なぜそんなことをしてくれたのか不思議だった、今はそんなことありえないからである
そんな山の中で旅人をもてなしてくれた、それも金を出さないのにそうしてくれた
これが何か記憶に残っているのだ
他でも湯殿山ホテルに泊まったのは迷ってしまいホテルがあったので行った
普通は必ず自転車旅行者は断られる、でもそのお上は一室を用意してくれたのである
それもありえないことだった、ここに人間の情が本当のもてなしがまた活きていたことを経験したのである
でも実際はそれはもう例外的なものであり自転車旅行者など受け付けないのである
でも自転車旅行者は相当に疲れているのである、だから疲れをいやしたいのである
でも今のホテルはそういう人のために旅人のためにはないのである
つまり何か上品な老女でも来てまた見かけがいい重役のような人が来てうまい料理を出してもてなすことが目的化しているのである
そういう人を金持ちをホテルの従業員も迎えるということである

現代では旅する人は稀有である、猪苗代の湖南の福良では蔵の宿に泊まった
それは昔の白河街道の通り道だった、それも不思議だった
でもたまたまであり普通はそういうことない、でもそういう宿は記憶に残るのである
まず旅を思いだして果たしてあそこで旨いものを食べたなど記憶に残るだろうか?
それはドラマのことでありそんなにうまいものを食べたことが記憶に残るとも思えないのである
ただ一回だけ新潟の小出の魚野川の食堂でそこでとれたての鮎を焼いたものを食べた
それはうまかった、安いけどうまかった、それを特別感じたのはもう鮎がこの辺では食べれなくなったことが影響していたのである
子供の時は父親が近くの川で大きな鮎をとってきてそれを食べた記憶があったからだ
今は普通の川では鮎はとれたとしても小さいしうまくなくなったからである
確かに何かうまいものを食べたものを記憶することはある
でも何かそれが旅の記憶となるのかとなると疑問である
何か旅を記憶することはむずかしい、記憶する旅をすることはむずかしい

ただ宇多川をさかのぼり霊山の方へ行った時旅した感じになった
それは一応長い行程を行ったからである、ともかく旅に明け暮れた人生だった
だから旅とか旅館とかホテルに興味がある、でも現代では旅は喪失した
温泉街が廃墟化したというときやはり観光の仕方が悪かった、時代の変化がありそれに適応でなかったからかもしれない、今は何か旅を演出しないとできない
それは時間もかかり金もかえってかかるとなる
昔の街道を歩くようにして昔のままに茶屋をもうけて休ませるとかする、すると旅した気分にはなる
巨大なテーマパークのようなホテルがあるがそれはもう旅とはなんの関係もない
ただ巨大娯楽場であり旅と関係ないのである
交通でも便利になんでもやはりそこで失うものがある、特に便利さを求めて何か人間の豊かさを失うことがある
みんな金でなんでもできると思うができない、かえって金がなくても時間があり体力があるだけでも旅はできる、莫大な金をかけてもすべて価値あるものを作りだせなてい、
そもそも江戸時代の旅は一か月とかあり歩くのだから体力がないとできないからである

ただうまいものを食べるだけに旅はしていないのである
旅する時間をかけがえいのないものとしてするということがなくなったのである
なぜ西行であれ芭蕉であれ山頭火であれ旅人でありえたのか、旅をできたのか?
それは命がけでもあり旅をそれだけ人生で意味あるものとしたからそうなったのである
それは遊行でも命がけでありそに人生の価値を見出していたからである
今やそこまで思って旅する人はいない、気楽に旅してホテルでうまいものを食べることになった、ただそうしても金をかけても本当の旅をしたことにならない
つまり人間は何でも金だけでは得られないのである、そこが誤解している
旅は別に時間があり体力があれば金がなくてもできる
私は時間もあり一応体力がなくても中年から自転車旅行ができたからである
私の旅の目的は旅することでありうまいものを食べることではない、だから金もないから食べ物に贅沢できない、旅できればいいと思っていたからである

旅の道茶屋に休むや秋の暮

旅人の逢いて分るや秋の暮

松一本標しとあれや秋の暮

遠くへと旅人去りぬ秋の暮

こんなふうに歩く旅とは人間的になる、それで旅は道連れ世は情けなとなった
しかし道連れもいないし情けもなくなったのが現代なのである
何か情を交わすとういことがないのが現代なのである
駅でも無人化して迎えるのはロボットにもなる、そこに人間はいないなくなるのである
いろいろ進歩したとしても何かその中でも必ず失われるものがある
それが失ってみて貴重なものだったとなるのである
人間でも家族でも死んでみてその貴重さを認識する、ただ今や旅を回想して死んだ人を追憶しているだけとなったのである

つぐつぐ人生も旅である、人は出合い分れる、それは本当に貴重な時だったのである
一期一会の貴重な時だったのである、なぜならもう二度と合わない、みんな死んでゆくからである、実際に今やこの年になると家族も全部死んだし知っている人も死んでゆく

歌舞伎俳優で人間国宝の中村吉右衛門さん死去 77歳

この人は良く時代劇で見ていた、この人も死んだのかと驚く、テレビの画面でしか知らないけど77、78歳で死ぬ人が多いとみた、人間はとにかくこうして人間が出合ったとしても忘れてゆく、この年になると次々に同年代が死んでゆくからである
そしてつくづく人間がこの世で出合うとは何なのだろうとなる
出合った人でも死んでゆくからである、それもつかの間の出合いだったとなる
そして永遠に出合わないとなるのが人間なのである
人間とは本当にこの世で出合うのは束の間なのだなと思う
それでけさよならだけが人生だというのは名言になったのである、最後はみんなそうなるのである


歩く旅の喪失と保養としての宿の変化 
(福島中央道から地域を考える―車が通らなくなった道)

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