(人間が消えた方が自然には良かったーSDGs(持続可能社会ー老子の思想)
ドラマの一シーンから
「何か協力したいのですが・・」
「今何ができるというんだ」
「何かはあると思うですが・・」
「何もないよ」
「何かあると思うですが・・」
「うるさいな、あえて言えばお前が消えることだよ」
「・・・・・・・」
テレビドラマの警官同士の問答だけどこういうことがある
この世を良くしようとしても本当はその存在自体が悪になっていること邪魔になっていることが結構多いのである
それは人間だけではない、技術にもありうる、物でも機械でもありうる
原発などなかったらいいとかある、それが大迷惑になるものだったからである
核など科学者が優秀でも発明してそれが人間社会にとっていいものだったとかとなるとならなかった、原子爆弾となり核戦争で人類が滅亡する恐怖にふるえなければならなくなったからである
「核技術は人間にとって必要だ
これなくして人類の人間の幸福はありえない」
「そんなことはない、むしろ災いにもなるから慎重にすべきだ」
「リスクは何にでもある、リスクを恐れてはならない、そうしなければ進歩もない」
「それが疑問なんですよ、核が無くても人間の幸福は追求できる
むしろ核がない方が良かったのです、進歩ということはこれも危険なものがあったのです」
何かこうした逆説が常に人間社会には成立つ、あるよりない方がいいのである
そうしたら人間がいない方がいいとかなる
地球の災いの最大の原因は人間にあるからだ
人間が増えたことによりグロ−バルな災いが生れた、グローバル化した結果世界大戦になったともなる
江戸時代は中国の脅威もなかった、韓国とも友好的だった、グロ−バル化で友好が促進されることにもならなかったのである
中国の脅威はアメリカより過酷になる、中国人は近いから今でもそうだが住みつくからである、そして住むことによって中国人が日本人の上に立つことになる
そうなるとウィグルとかチベットにもなる、中国人社会にされてしまうのである
漢族中心の社会になる、チベット人は迫害されてネパールに逃れていた人と逢ったからである
中国には依然として十何億もいまとしたら日本に送り込まれて漢人が支配する社会になるそれはアメリカが支配するのとは根本的に違う、ウィグルとかと民族同化になり同じになるのである、そこに中国の最大の脅威がある
老子の思想にひかれるのは人間も数はいらない、小国寡民であり治めずして治まるとか無用の用とかを言ったことである、つまり二千年前にすでに文明を否定していたのである
だから鍬まで使うと人間がそこなわれるとまで言ったのである
道具とか機械まで否定したのである
今の状況が現代文明が老子が警告したようになったともみる
無用の用が必要でありいらないものが多すぎる、人間でも多すぎる
この世を良くしようとしてもそもそも人間が邪魔だから消えることだとなる
経済成長一点張りとかも否定される、小国寡民の思想はコロナウィルスでもこれから経済成長とかばかりを目指す社会ではない、グロ−バル化はかえって災いも大きいものだっからである
これに賛成する人はいないがもし人類を地球で養うのは限界でありだからこそSDGs(持続可能社会)持続社会が望まれているのである
衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
このように人間は文明を作ったけど着飾ったけど結局それも美とも言えない、浪費だともなる、そんなに体にまとうもので着飾っても人間自体は美しくならない
それより自然界では鳥でも何でも着飾っていない、それで自然に調和して美しいのである、人間はいくら着飾っても人間そのものが内面が汚れている
だからむしろ人間はこの自然の汚点であり消えた方がいいということが成り立つのである
本当の美は白鷺でも白鳥でも自然そのものに同化しているものである
何も着飾っていない、人間の造りだした物がなぜこんなにに醜悪になっているのか?
それは大都会を見ればわかる、そこに美はないからである
つまり大都会自体が醜悪なものだということである
何か協力したいのですが社会を良くしたいのですがと人間が寄ってきてもかえってお前がこの世からいなくなることが最もこの世を良くするともなるのである
人間を見ればそうなる、そうして私は人間嫌いになり引きこもりになったのである
人間は見たくないとなったのである
成さずして成るというとき人間は成し過ぎたのである、科学技術でもそうである
様々なことを自然に手を加えて成し過ぎたのである、老子の思想は植物的思想である
山や木や石は何も成さない、ということは自然界に災いをもたらさないのである
自然に調和していれば成さなければ原発事故で故郷に住めなくなるということなどありえなかったのである
この辺はそういう人類の教訓の場にもなったのである
「私は社会を良くしたいのですがどうしらいいですか」
「あなたは何もしないことです、むしろ消えることです」
「えええ、そんなことありえない・・・・・」
これも逆説なのである、社会に有用になろうとしてもそれが災いにもなるし人間そのものが自然に調和しないものだからそうなる
何かそういうことを思わない、役立つものとして必死になっているのが人間なのである
役に立っているという時、大きな自然界からみればそうではない、害悪になっている場合がある、社会に役に立つとしてもそれは小さなことでもある
人間が社会でもいくら役たとうとしてもたかがしれたものになる
役立つという時本当に役立っているのは自然界である、でもこの自然界に感謝する人もいないのである、第一空気とか水に感謝する人はいない、ありふれたものに感謝はしない
原発事故でこの辺は空気すら吸えない、水すら飲めない状態になったのである
つまり人間が余計なことをして成してそうなったのである
むしろ人間は悪を成すのであり悪を成さざるをえないのである、なぜなら欲があり欲を充たすために悪を成す、何も成さないでいられないのが人間なのである
そうして人間の災いは尽きることがないのである
みちのくに安らぎあれや山眠る
みちのくの大地に抱かれて眠る
静寂の大地に抱かれて眠る
そこに人間の顔も見ない
不平は限りなく尽きることがない
石はただ黙して大地は山は眠る
聞こえるのは枯野に風のうなる音
人間の騒擾は消えて休みに入る
みちのくという場は安らぎと休息に向いているのである、東京から大阪とかまでは活動の場であり騒々しいがみちのくの効用は安らぎと休息の場なのである
それも必要なのである
東京を電車で離れみちのくへ秋の陽映えて沈みけるかな
みちのくへというときまさにこういうふうなのがふさわしいとなる
ただ東京にも十年以上行っていないから遠くなったとはなる
タグ:無用の用 老子の思想 自然と調和しない人間 みちのくの枯野 醜悪な大都会 醜悪な人間 みちのくの効用 SDGs(持続可能社会) 人間は自然の邪魔者 人間は隠れるべき 自然の美 科学技術の疑問 人間進歩の疑問
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