人間は一緒に育たなければ家族に兄弟にもならない
(一番大事なのはともにする時間だった)
時間は限られている、何に時間を配分するのかそれが人生にもなる
なぜなら配分する時間が限られている、その貴重な時艱を何に費やすかで人生は決まるからだ
くだらないことに時間を費やしたら何の実りもないとなる
でもそういう人が実に多いのである、それは時間の貴重さがわからないからである
推理ドラマが面白いのは地域性、家族関係、金の問題、借金問題とかが必ずテーマになっている、何かこの問題が人間社会に多いからである
今回は函館とか青森が舞台となっていた、函館は何回も行ったから知っている
市電が走る街であり明治時代を偲ぶ場所としてある
そして連絡船で青森までわたり捜査する
もう一つのテーマは必ず青春時代とか若い時お起こしたことが後年に問題となって尾をひいている、女性関係などで尾を引いている、愛していたがかなわなかったとか恨んでいたりする、何かそういうことが尾をひいている
そしてもう輝いていた青春時代はもどらないとかいうのはこれは後にならないとわからない、このことが実際は一番痛切なことかもしれない。
青春とか若い時は実は一時の輝きでありあっという間にすぎる
でもなんか青春時代に経験したことは老人まで影響している、だから認知症になっても若い時に経験したことは忘れないとなる、姉は従軍看護婦でマレーシアのジョホールバルで四年間辛酸をなめたからそのことを忘れないで千回も語りつづけたとなる
なにか印象に残ること出合いが青春時代に起きる
その後にも起きるとしても一番青春時代に起きやすいとなる
そしてその経験したことが何だったのか老人になってようやくわかるのである
これは人間の歴史と同じである、明治維新でも太平洋戦争のことでもふりかえりそれが何だったのかわかる、ただこうした歴史的事件は評価するのがむずかしい
ただ個々の人生をふりかえりありあのことはこういうことだったのかとわかり納得する
人間の家族関係も謎であり複雑である、複雑怪奇でもある、それで昨日の推理ドラマでは双子の兄弟間で起きた、でも両方とも顔は似ていても全く戸籍の上だけで兄弟であり一緒に育ったことも無いから他人だった、それで金のために双子の兄弟でも一方を殺したのである、そこになんら兄弟という感情がなかったのである
人間は動物ですら一緒に育たないかぎり肉親とか兄弟姉妹の感情がもていなのである
犬に育てられたとか子供の時親しくしていると犬が親代わりになったりする
動物の子どもは身近な生き物に警戒なくついてゆく、身近にいるものを親と思うのもそうである
私の場合は兄がいた、父親は違っていた、でも家で一緒に五才頃まで育ったのである
だから「あんにゃ」として一緒にいたのである
それで兄と認識できることになった、もし一緒に5年間でも一緒に育たなかったら兄とはならなかった、何かこういうことは頼朝と義経の関係にもあったみたいだ
血のつながった兄弟でも兄弟として育っていないから兄は無情に殺したのかとなる
ただ政争になると兄弟間でも争い殺し合いになっているから別である
でも別なドラマでは兄弟で争い弟を殺そうとしたが兄が子供の時一緒に暮らした弟を思い出して殺すことはしなかったのである
兄弟の情が残り殺せなかったともなる
普通に一緒に育っても遺産争いで骨肉の争いとなるから兄弟でも子供の時一緒に育ってもそうなるから人間はそういうものだとなる
子供の時一緒に遊び暮らしていてもそうなるから人間に共通して大人になると欲に左右され醜いものとなる
その女性は生まれて五年間は実の親に育てられた、でもその子供を老人になり頼った
その時認知症になっていた、でも子どものことを自分の子供と思って頼った
でも子供は親とも思っていなかった、ただ親が金をもっているから施設にあづけてその金をもらうだけの人となっている、その女性は全く情がなくなっていたのである
三人母親が変わったが最後の母親とは長く一緒にいた、でもその親が病気になったとき捨てた、何かあるにしろ一番長く一緒に暮らした親を捨てた
それで自分に「ひどい娘だわ」と一言電話で伝えてあっけなく死んだから良かった
要するに深い恨みを残して死んだのである、ただ母の実家は不和分裂の家でありそれが継続されていたとなる、そして完全にいまになると切れた
兄が母の実家にいたのは五年間だった、でも全く忘れたというのもわからないその後交際がなくそうなったのか?
兄は母はその後も連絡してかかわりあっていた、交通事故で死ぬ前に自分の家に寄ったのも不思議だった
人間は死ぬとき親しい人に別れを告げに合いに来るというのは本当であったとなる
孫でも一生に育たないと人間は愛情がわかない、外孫が何か愛情をもてないというときそうである、人間はやはり一緒にいることで愛が育まれる、それがなかったちら血縁というまえに他人でしかないのである
自分の兄の場合は5歳まで一緒に育ったから兄と認識していたのである
また自分の家では良くしなかったかからいつも悪いという感情があり交通事故で死んだので墓を自分の家の墓の隣に墓を建てたのである
でも一緒に育った実家の女性は兄のことを覚えていないという、5歳まで自分の家にいてあと15歳まで実家でともにいたはずなのである
でも全然記憶がないという、こういうのもその女性は異常化した人間になっていたからである、その理由は良くわからない、長い間付き合いがないのでわからないのである
いづれにしろ人間は兄弟でも姉妹でも一緒に育たなければ血縁でも愛もないし育たないし他人に過ぎないということである、だから双子の兄弟でも殺すことができた
もちろん遺産争いで殺人もあるから一緒に育ってもそうなることはある
でも確かに親子と兄弟姉妹でも一緒に育たないと家族の感情が持てないのである
結局自分自身は60年間一緒に母と姉といたから深い関係になっていた
愛情をもつ関係になっていた、母と姉は争っていても不思議に実際は憎しみがあっても愛していたのである憎しみも愛の表現だったということもある
そういうドラマもかつてあった、憎しみつつ愛していたとなる
それは60年も一緒にいれば自ずとそうなるのである、やはりその間に喜怒哀楽を共にしたからである、だからわからないのが熟年離婚なのである
長い間一緒に生活していてそうなることがわからない、
なぜならもう老人になってから共に過ごす時間が短い、生きる時間がないからである
人間にとって時間をほど大事なものはない!
いろいろあっても一番老人になって後悔するのは時間を無駄にしたことであった
なぜなら時間はもどらない、時間は限られている、時間は消失する
でも時間は金がなくしたときのように千円でも損したとか無くしたとかなると必死に探すようにならないのである、何か無意識的に過ぎてゆくだけなのである
時間は意識できないのである、そこに人生の落とし穴があった
もっとも貴重なものが意識できないことだったのである
愛をはぐくむにも家族になるにも時間が必要なのである、その時間を失ってみて時間の貴重さをしる、そして時間は公平なのである、みんな平等に時間をは与えられている
特別何倍もの時間を与えられている人はないない、だから金持ちでも必ずしも時間に関しては平等なのである、その時間によって経験することが違ってくる
限られた時間しか経験できないことである、もし人生が100年とか200年になると経験することが多くなるから誰でも学者にもなれるとなる
ただ経験するにしてもその年代でか経験できないことがある、子供の時の経験は最も貴重であり青春時代でもそうである、その後の経験は何か希薄化する
確かなことは最も失いやすいのは時間である
これだけは確かである、それは金のように意識できないからである
だから金持ちでも金があっても時間を失っている、金で穴埋めできないのが時間なのである、金があってもでは何かしようにも時間がかかったり体力がないとできないとかただ金があっても家にいるだけだとなる、また病気になったりしたら何もできない
金があっても歩くことすらできないとなると金はなんにも役にたたないとなってしまうのである、だから時間を有効に活用した人が実際は人生で本当に生きたとなる
価値を残したとなる、そして老人になると過去の経験したこと学んだことが宝となる
そういうことで今自分は過去をふりかえり旅したことなどで詩を作ったりとかしているのである、旅した時間も貴重なものだったのである
でも旅でも車でしたとしても記憶に残りにくいのである、記憶に浮かんでこない、だから歩く旅していた人はかえって旅を記憶している、江戸時代とか戦前でも旅した人は記憶している、それは歩いていたからである、一歩一歩歩いていればそれは体で覚えているともなるからだ、でも車で行った人は通り過ぎるだけであり記憶に残らないのである
タグ:老人は記憶に生きる 時間の貴重さ 限られた時間 時間はもどらない 奪われる時間 一緒に育つ時間 家族となる時間 消失しやすい時間 親子も兄弟関係 親子の情 兄弟の情 親密になる時間 共にする時間 青春時代の時間 人生で失ったもの 時間の配分
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