年の暮、冬の灯、寒鳥、寒雲
(年の暮の俳句十句ー整理に追われる年の暮)
ここの梢に二羽ヒヨドリがとまっていた
冬の灯の庭の石に漏れ人住みぬ
寒鳥の梢鋭く二羽とまる
寒鳥の高き梢より飛び去りぬ
寒雲の川面に映し日も暮れぬ
ムクドリの幼稚園に群れ集まりぬ
黒き猫我が家によりて冬の暮
母なきや厨(くりや)に一人年暮れぬ
我が家を一人守りて年の暮
十年以上空家に住まず年の暮
自転車屋街に一軒年暮れぬ
助けつつ助けられつつ年の暮
我が一人遺影に向かい年暮れぬ
近所の人一人死にたり年の暮
本に埋もれ整理しきれず年の暮
冬の灯が庭の石にもれる、そこには人が住んでいる、石もそこで活きている、人間化するのである、でも空家には石も死んでいるとなる、ただ空家に入って勝手に庭を見ているのも不思議である、石に興味があるからそうしている
ともかく空家が多すぎるのだ、その空家は立派であるが十年以上それよりずっと空家だったが人は住んでいない、でも荒れていないのが不思議なのである
なにかしら手入れに来ているのだろう
でも空家になっている時間が長すぎる、誰も住まない家とは何なのだろうとなる
全国でこの空家が膨大になる、すでに800万軒という空恐ろしいものとなり遂には
2000万軒にもなる、これが現代の日本を象徴している
もう自治体でも市町村でも維持できない所がでてくる、日本自体が縮小してゆく
その衝撃が大きいのであく
かつてにぎわった温泉街が廃墟化しているのも驚く、何か原発事故周辺はゴーストタウンになったもしかしたらここは未来を先取りした地域なのかともみる
市町村自体が消滅してゆくのである
子供が遊んでいるのも見かけない、ただ幼稚園の運動場にむくげが飛んできていた
団塊の世代の子供のころは本当にわんさと子供がいて遊んでいたのである
今は幼稚園で子供が遊んでいるだけである、何かこれも淋しいのである
自転車屋は一軒なんとか経営している、でもいづれなくなるだろう
するとどうなるのか、さられにさびれたものになる
見えるのは老人であり話を聞くのは腰が痛いとかなんとか病院に通っている老人の話なのである、子供の話など聞かないのである
今年も自分人一人が家を守って暮れる、墓地の公園の銀杏の木の梢に鳥が二羽とまっていた、いかにも寒鳥だとなる、見たのはヒヨドリである
これはいつもみかける、黒い猫に餌をやっているから毎日来る、これも手間である、家にはあげないしこの猫は慣れないのである
ともかく今日も忙しかった、買い物に三回行った、結構この買い物が手間なのである
あとはいろいろ整理することがある、本の整理が一番問題である
本はなかなか整理できない、その内容を整理できない、引用するものがある、でも本の整理はどうしていいかわからない、パソコンでテキスト化すればいいがめんどうである
ただ読み返すると本にはいいことが書いてある、ネットにない高度なものが蓄積されけいるのである、ただその整理がむずかしいのである
人生の最期は整理が仕事にもなる、年の暮だと今年の整理だとなるからだ
一人なんとか家を切り盛りして維持している、その合間にプログを書いたりしている
今年も近くで一人死んだ、また隣に前住んでいた人も二人すでに死んでいたのである
これも驚いた、近くでも今や葬式も身内でやったりするからわからなくなっているのだ
今年も終わりである、今年はやはりコロナウィルスにはじまりコロナに終わったとなる
これはインフレインザと対して変わらないという人もいる
たいしたことがないのに大騒ぎしているという人もいる、騒ぎだけが大きくなったとも言う人がいる、それもそうなのかもしれない、本当に実被害は10とするその千倍くらいの騒ぎになっていたしもしれない、それだけ未知なものに人は恐れる
それはこの辺の原発事故の放射線被害でもそうだった
何か未知なものは恐ろしく感じるのである、どこまで恐れていいのかもわからないのだ
ただ本当に恐ろしかったのは津波の方だったと思う
また地震でもそうである、そっちの方がずっと怖いと感じた
コロナウィルスにはあまり自分の場あい恐怖を感じなかったのである
だからワクチンも打たなかったのである
そもそも一人としか濃厚接触していないからうつらない思ったからである
仕事している人は強制的にもなった、ただ騒ぎだけが大きくなったということは言えるかもしれない、実際は日本だとインフレインザくらいの被害でありそうしたら何ら騒ぐ必要もなかったとなる、ただ未知なものを人は恐れるのである
幽霊の正体見たり枯れ尾花
コロナウィルスであれオミクロンであれこれになるのかもしれない、本当に正体がわからないと人間は過剰に恐れる、それに拍車をかけたのがマスコミの報道だったのかもしれない、報道は恐怖を倍増させたということはある
ただなかなかそのことに対して恐怖をあおっていても言えないということがある
結局は未知なものだからどうういふうになるかわからないからである
まず今回もウィルス専門家があてにならないことがわかった
原発事故でもそうだった、御用学者となり科学的真実を報道しなかったのである
わかったことはこの世にはまだまだ未知なものがあり科学者もわからないことが多々あるということである、だから専門家もその未知なものにたいして何か確信をもって言えた人はいないということだったのである
スマホを買った、写真をとったがパソコンに転送できなかった
スマホはどうしても必要になっている、ただパソコンが本体でありスマホは補助になる
遠くから通信できることが強みでありパソコンは創作に使うとなる、スマホでは創作は無理だとなる、絵を描く写真を加工することは無理だとなるからだ
黒き猫我が家によりて冬の暮
母なきや厨(くりや)に一人年暮れぬ
我が家を一人守りて年の暮
十年以上空家に住まず年の暮
自転車屋街に一軒年暮れぬ
助けつつ助けられつつ年の暮
我が一人遺影に向かい年暮れぬ
近所の人一人死にたり年の暮
本に埋もれ整理しきれず年の暮
冬の灯が庭の石にもれる、そこには人が住んでいる、石もそこで活きている、人間化するのである、でも空家には石も死んでいるとなる、ただ空家に入って勝手に庭を見ているのも不思議である、石に興味があるからそうしている
ともかく空家が多すぎるのだ、その空家は立派であるが十年以上それよりずっと空家だったが人は住んでいない、でも荒れていないのが不思議なのである
なにかしら手入れに来ているのだろう
でも空家になっている時間が長すぎる、誰も住まない家とは何なのだろうとなる
全国でこの空家が膨大になる、すでに800万軒という空恐ろしいものとなり遂には
2000万軒にもなる、これが現代の日本を象徴している
もう自治体でも市町村でも維持できない所がでてくる、日本自体が縮小してゆく
その衝撃が大きいのであく
かつてにぎわった温泉街が廃墟化しているのも驚く、何か原発事故周辺はゴーストタウンになったもしかしたらここは未来を先取りした地域なのかともみる
市町村自体が消滅してゆくのである
子供が遊んでいるのも見かけない、ただ幼稚園の運動場にむくげが飛んできていた
団塊の世代の子供のころは本当にわんさと子供がいて遊んでいたのである
今は幼稚園で子供が遊んでいるだけである、何かこれも淋しいのである
自転車屋は一軒なんとか経営している、でもいづれなくなるだろう
するとどうなるのか、さられにさびれたものになる
見えるのは老人であり話を聞くのは腰が痛いとかなんとか病院に通っている老人の話なのである、子供の話など聞かないのである
今年も自分人一人が家を守って暮れる、墓地の公園の銀杏の木の梢に鳥が二羽とまっていた、いかにも寒鳥だとなる、見たのはヒヨドリである
これはいつもみかける、黒い猫に餌をやっているから毎日来る、これも手間である、家にはあげないしこの猫は慣れないのである
ともかく今日も忙しかった、買い物に三回行った、結構この買い物が手間なのである
あとはいろいろ整理することがある、本の整理が一番問題である
本はなかなか整理できない、その内容を整理できない、引用するものがある、でも本の整理はどうしていいかわからない、パソコンでテキスト化すればいいがめんどうである
ただ読み返すると本にはいいことが書いてある、ネットにない高度なものが蓄積されけいるのである、ただその整理がむずかしいのである
人生の最期は整理が仕事にもなる、年の暮だと今年の整理だとなるからだ
一人なんとか家を切り盛りして維持している、その合間にプログを書いたりしている
今年も近くで一人死んだ、また隣に前住んでいた人も二人すでに死んでいたのである
これも驚いた、近くでも今や葬式も身内でやったりするからわからなくなっているのだ
今年も終わりである、今年はやはりコロナウィルスにはじまりコロナに終わったとなる
これはインフレインザと対して変わらないという人もいる
たいしたことがないのに大騒ぎしているという人もいる、騒ぎだけが大きくなったとも言う人がいる、それもそうなのかもしれない、本当に実被害は10とするその千倍くらいの騒ぎになっていたしもしれない、それだけ未知なものに人は恐れる
それはこの辺の原発事故の放射線被害でもそうだった
何か未知なものは恐ろしく感じるのである、どこまで恐れていいのかもわからないのだ
ただ本当に恐ろしかったのは津波の方だったと思う
また地震でもそうである、そっちの方がずっと怖いと感じた
コロナウィルスにはあまり自分の場あい恐怖を感じなかったのである
だからワクチンも打たなかったのである
そもそも一人としか濃厚接触していないからうつらない思ったからである
仕事している人は強制的にもなった、ただ騒ぎだけが大きくなったということは言えるかもしれない、実際は日本だとインフレインザくらいの被害でありそうしたら何ら騒ぐ必要もなかったとなる、ただ未知なものを人は恐れるのである
幽霊の正体見たり枯れ尾花
コロナウィルスであれオミクロンであれこれになるのかもしれない、本当に正体がわからないと人間は過剰に恐れる、それに拍車をかけたのがマスコミの報道だったのかもしれない、報道は恐怖を倍増させたということはある
ただなかなかそのことに対して恐怖をあおっていても言えないということがある
結局は未知なものだからどうういふうになるかわからないからである
まず今回もウィルス専門家があてにならないことがわかった
原発事故でもそうだった、御用学者となり科学的真実を報道しなかったのである
わかったことはこの世にはまだまだ未知なものがあり科学者もわからないことが多々あるということである、だから専門家もその未知なものにたいして何か確信をもって言えた人はいないということだったのである
スマホを買った、写真をとったがパソコンに転送できなかった
スマホはどうしても必要になっている、ただパソコンが本体でありスマホは補助になる
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