2022年01月04日

人生のコースが親に選ばれてしまう恐怖 (親ガチャでなくても親の言う通りにされた人生‐カルト教団の二世の問題)


人生のコースが親に選ばれてしまう恐怖

(親ガチャでなくても親の言う通りにされた人生‐カルト教団の二世の問題


人生の怖さというのはいろいろある、ただ何が怖いのかもわからないのだ

人生をどう生きるか?

これは本当は各自違っている、人生とは実際は時代によっても相当に違ってくる
だから親と話が合わなくなったり対立が世代間で生まれのは当然なのである
もし対立がない方がおかしいしそのまま親の言う通りの人生を歩むことは自分の人生を失うことにもなる
これは別に親と子の問題だけではない、社会でも世代間の対立がある
だから学生運動などがあったがそういうことが起きるのが普通なのである
若者が社会の不正とか何か不満があって抗議しないこと自体おかしいのである
親と子でも宿命的に対立するから反抗期がある、反抗期がないと人間はまともに育たないのである

私は父親が明治生まれであり酒屋の丁稚奉公だったのである、でも中学の時死んだ
そして自分の人生は親とはまるで違った人生を歩んだのである
それは母親でも働き詰めの人生であり遊びも何もない、花にも興味がない、金を使いたくないという人生を送った、だから人間味もなかったとなる
そして貧乏だから金があるようになっても使わないのである、貧乏に育った人は何かケチになる、金を使わないのだ、金があっても使わない、ただためるだけなのである

それで60歳で国から年金三万をもらった、別に年金を払わなくてももらっていたのである、5年待っているともっともらったとして悔やんでいた
それで百才まで生きたが金を使わないので一千万以上ためた、でもその金の大方が盗まれたのである、これも因果だったなと思う、何も使わないうちに盗まれて終わったとなる
金は使える時使わないと使うこともできなくなるのだ
つまり人生とは百才生きても限られているからである
使う時間がなくなるのである、金をためるのはいいとしてところがその金を使う時間がなくなるのである、いかに時間が貴重なものか老人になると意識するようになる
あと何年生きるのだとなることを考えてみればわかる
一日一日が貴重になる、もういつ死ぬかわからないからだ

人間は親の影響が非常に大きい、親によって人生のコースが決められる
もう親に決められてそれ以外ないとも一方的に決められる、医者の家に生まれたら医者になることしかないと強制もされる、それは開業医であれば医院があれば継いでもらいたいとなるからだ
でも医者に向かない人もいる、でも親の都合で強制されるのである
江戸時代辺りだと侍は侍の子として親の跡を継いでいた、そうしない禄をもらえないからだ、それで人生のコースに悩まないということにもなる
すでに決まっているからだ、その決まった通りに生きるほかないからである
でも明治以降職業選択が自由になったとき自分がどういう職業に就くか悩むようになったのである、それもまた苦しいとはなる
自由というのは意外と苦しいことになる、自分の適性にあった職業を選べるとしても簡単にそんな職業がないからである

例えば怖いのはカルト教団の家などは確実にそのコースが決められる、それは人によるが子供の時から家族ごと信仰していると完全に洗脳されてその他のことは見えなくなるのである、そしてもうカルト教団のロボットのようになり何も他のことを考えないのである
これは何かおかしいと疑問ももたないのである
それは親が家族全体がそうなのだからその方向は決まってしまうのである
そこに宗教というか家族全体がはまりこんでいるから逃れることもできないのである
特に素直な真面目な人だと余計にそうなるのである
だからそういうカルト教団の二世とかはそこから脱することが難しくなる

おそらくすべてではないにしろ医者の家に生まれていい医者になりそれが合った人も多いことは確かである、それはそれでいいとなる
でも合わない人がいるのだ、すると合わないことを一生することになる
それは患者にとっても迷惑だとなる、そういう人は優れた医者になりにくいからである
何でも好きこそものの上手なれとなるからである
医者は何か理論だけではない、手術するのに手が器用でないとうまくならないとかあり天性ものがあるらだか、何でも天性のものがありそれと合わないものをいくらやっても上手になれないということがある

自分の場合はまず父親とはまるで違った人生を生きたことになる
酒屋の丁稚奉公で貧乏だったと親が考えられない人生を生きたことになる
それはもし親が生きていたらとても許されないものだったのである
ただ早い時期に死んだから対立しないだけだったのである
引きこもりとなったり今は相当数いる、そして旅ばかりして就職もしなかった
だからこんな人生もありえたということが時代が変わったことなのである
それは親にとって想像もできない人生を送ったことになっていたのだ

親の言う通りになる人生は自分の人生を失う

つまり時代が変わるから親の言う通りになる人生は自分の人生を失うことになる
カルト教団などでもそこに親の言う通りになっていたら人生そのものを失うことになる
ただ親に逆らわないと結構楽だからそのままその道を行くことになる
なぜなら親と対立することは相当なエネルギーが必要になる
医者になれと言われても自分になれないとかあり別な道を行きたいとしても親に強制されるからだ
でも親に従っていると楽なことがある、親にいい子とされるからである
親と対立すると経済的に援助もしない自分で稼でとかなるからだ
あなたの人生は自由に生きなさいとうい親はほとんどいないかもしれない
自分の場合いは特殊な環境でそうなっていたのである
大学出ても職にもつかず放浪していたりして引きこもりであり後は旅ばかりしていたとなる、でも親にとがめられることもなかったのである
今は引きこもりが普通にいるからこれも時代が違ってきたからそういう人が普通にいるのである、もし時代が違っていたら何であれ働かざるを得ないかである

とにかく人生とは一回しかないのである

こんな人生失敗だった、別な人生がありえたとしてももう二回生きることはできないのである、そこで痛切に親の言う通りに生きて失敗したと後悔する
でももう人生は一回しかないからどうにもならないのである
その方向が決まるのは30までなのである、だから青春時代は人生の方向が決まってしまうから大事だとなる
例えば青春時代に享楽にふけり放蕩などしていると後でもう真善美とか追求できなくなるそこで向上する精神とかが奪われているからである
カルト教団に入った人は一生奴隷として終る、精神的奴隷として終わる
ただ親にしてみればそういう子はいい子だったとなるのである

親ガチャとか親のために駄目にされたとか言うけど別に医者とか恵まれた親でも親によって自分自身の人生が奪われることがあるのだ
親と全く違った人生を生きることが実はその人の人生を生きたともなる
なぜなら次代か変わると全く違った世界とか価値観に生きることがありうるからだ
親が生きた時代とはまるで違った世界に生きる
それが明治生まれの親をもった自分の人生だったのである

一見親の言う通り生きた人は親にとってはいい子なのである
それは逆に親によって子供の人生が犠牲にされたともなるのだ
また親ガチャというとき親が貧乏とかで何もできなかったとかなる
でも親が裕福でも医者の子供でも親ガチャはあるのだ
親とは全然違った社会になっていることがあり価値観も変わるからである
明治時代になったとき侍はなくなった、すると親の言う通り生きることできない
みずから自分の職業を探して自立するほかなくなったからである
また戦後でもみんな戦争のために国家のために生きていたがそれが敗戦でまるで変ってしまった、国家より自分の個性を生きろとかなったからである
明治になり戦後で社会が極端に変わったのである

それで70年周期で社会は極端に変わる、その時期が今なのである
その変わり目だから信じられないことが起きる
今までの価値観が通用しなくなる、そうした激変の時代になっているのだ
会社のために生きていてももう会社がなくなるとか終身雇用もなくなる
だから個々人で自立して生きろとかいうのもそうである
これまでの価値観が通用しなくなるのである
ただ若い人はそこから今までにない世界が開けて新しい人生を生きるともなる
70年ごとに大きな変化がくる、それが今なのである

だから今は明治時代でありまた戦後の焼け野原から立ち直った時代とも似ている
そういう大きな変わり目でありそこで大きな事件とか自然災害も起きるのである
津浪で村ごと流されて消失したというのもそうである
この辺では原発事故にもなり信じられない変わり方をしたからである
そういう激変が起きる、コロナウィルスでもそうである、何か世界的にも大きな変化が起きる、そこに相当な痛みも戦後の焼け野原のような状態にもなる
その後に新しい時代を社会を世界を見るとなる
でも戦後の焼け野原のように絶望的な状態になるかこともありうる、それは日本の貧困化ですでに現象化している
つまりどん底の貧困になり日本が飢餓状態になるということもありうる
戦後の焼け野原で食糧すら得られないということもありうる、そういう激変の時代が来ているのである


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