2022年01月29日

感染症は人流を抑えることしか方法がない (オミクロンでも人流と比例して感染している)


感染症は人流を抑えることしか方法がない

(オミクロンでも人流と比例して感染している)

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オミクロンの感染者数を見るとやはり前もそうだったが法則がある
数学のように割り出せることである
だから将来の感染者でも出せることになる

東京中心に拡散して江戸時代の関八州地域は多くなった
でも福島県は401だから比べる少ない
でも宮城県になる547で福島県より多い、それは仙台市は東北の中心都市であり人流がおおくなるからである
山形県は230であり岩手県は前と同じく少ない、ただ秋田県は増えている
また青森県も増えている、青森県が増えたのは新幹線が影響しているかもしれない
新潟県549で多いのも新幹線の影響かもしれない

岐阜県が多いのは名古屋からの人流がありそれで増えたいる
富山と福井が少なく石川県が増えているのはやはり交通が影響している
京都とか大阪に近くなるからだ
四国では高知県が少ないのはやはり人流が影響しているのだろう
例外があるとしてもわずかであり人流と深く関係している比例していることがわかるのである

こうして見ると感染症は人流が一番の問題でありそれを止めないと防ぎようがないのだ
ワクチンも効果あるとしても万全ではないしその効力もまだまだである
だから人流をとめることが最大の感染の防止になる
つまりこれは昔からわかっていたのである
それで中国でも村に入らせないようにしたのである

だから感染症には村の入り口とか境界と関所が有効になる
そこで感染症の人を入れないようにすることである
ところがボーダレス社会になったときそれが裏目となったのである
今や人の流れだけではない、物の流れも止めることができないのだ
そうしたら生活できないしそのために死ぬ人もまででてくる
人流物流はグロ−バル化している
そういう社会になっているときウィルスには弱かったのである

それで関所とかは境界とかは不便なものであり不用とされたのが日本では明治以降である世界でもグロ−バル化してヨ−ロッパでもEUとなり通貨もユーロ―になり統一された
でもそれが裏目になった、人でも物でも自由に出入りすることはウィルスには都合良いものだったのである
こうして何か人間社会というのはプラスに働いているものが逆にマイナスに働く
関所などいらないとかなっていたが関所も何か必要があり歴史的に意味あるものだったと見直されたりする
日本では回りが海に囲まれているから国境の意識が希薄なのである
でも外国だと大陸だと陸続きだから常に国境を意識される
だからこそ万里の長城もできたとなる、防衛意識が常にある社会である

ともかく感染症に効果的なのは人流物流を抑えることである、それは判明した
でもこれだけ交通が発達してそれを抑えることが不可能となっていたのである
もう抑えられないという状態になっていた
江戸時代だったら関所を通らせないということで防げたがもう現代では防ぎようがないのである
ただ感染症を防ぐ効果的な方法は人流を抑えることしかないのである
ワクチンの効果もまだ完全ではないときはそうなる
それしか方法がないのである、それが現代では一番むずかしかったのである

だから年末とか正月で全国的に東京と地方への人流が増えたことで感染者がまた増大したそのことがわかっていたのだが急激に減ったので防止することをしなかった
やはりそれはウィルスの性質を知りそれに合わせることをしなかったためだともなる
ただ専門家もいたのだからその対策をするべきだったともなる
でもまた現実的問題として生活優先ともなるから経済を止められないということもありジレンマに苦しんだとなる

ただ感染症の対策は人流を減らす止めることが有効でありワクチンだけでは止められないもちろんワクチンが完全なものとなれば止められる、それができないから人流を抑えることがしかない、それが一番現代でぱずかしいからやっかいなのである
posted by 老鶯 at 11:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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