2022年02月24日

冬深し、山眠る、囲炉裏、冬芒(みちのくの冬の俳句と随筆)


冬深し、山眠る、囲炉裏、冬芒(みちのくの冬の俳句と随筆)

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山々のさえぎり隔て冬深む

みちのくの大地に根ざし冬深む

みちのくの人や寡黙に冬深む

沈黙に通じ合わなむ冬深む

沈黙し徒言聞かず冬深む

石一つ境に変わらず冬深む

昼の月何事もなく山眠る

冬の山聳え厳しく朝仰ぐ

大いなる山に忘却雪積もる

沈黙の行をつづけむ冬深む

家古りて囲炉裏を囲み冬深む

風唸り軒に干し柿冬深む

ノスリ一羽寒さ身にしむ止まる枝

山は雪ノスリ一羽や冬芒




昔の生活を偲ぶことはただイメージするだけならそれが理想化されるのである
昔は良かったなというときそれは過ぎ去ったからいいものに見える
でも実際の生活となると過酷だった、綿の布団が戦国時代辺りからできてきた
その前は麻のようなものをかぶって寝ていた、それは綿の布団ではないから痛くなっていたという、人間はいかに贅沢になったか、それを歴史を調べればわかる
ただ実感するのは相当にむずかしい、意外と綿の普及は遅かったのである

しらぬい 筑紫の綿は身に付けていまだ着ねど 暖けく見ゆ 」  
         巻3−336 沙彌満誓(さみ まんぜい)
         
奈良時代にも綿があった、でも日本で使われたのは室町時代からだったとある

敷島の やまとにあらぬ 唐人の 植ゑてし綿の 種は絶えにき 」
       衣笠内大臣家長(1193−1264)

綿の再栽培は文禄の役(1592〜1598)のおり朝鮮から綿種を
持ち帰ったのちで室町末期以降盛んになりました。
種は絶えにきというとき日本で栽培するのに失敗していたとなる
戦国時代になり普及したのである

例えば今普通に使っているものでも醤油とかが普及したのは江戸時代である
味噌はすげに戦国時代に普及している、でも相当に貴重なものだった
醤油は明治になってから普及したら簡単に使えるものでもなかった
それで何もオカズがないときは醤油御飯にしていたのである
醤油をかけると何でもうまいとなっていたのである
こういう歴史をふりかえると今はふんだんに使っているのも貴重だったことを知る

今年は今日も寒い、北風ヒューヒューと外で吹いている、この辺はそんなに寒くないのに今年は寒い、すると寒さの生活を昔の生活を偲ぶとなる
囲炉裏は戦後十年くらい街の中の家でもあった、自分の家にもあった
それをふりかえるとそんな時代があったのかと不思議になる
別に子供の時それで嫌だとか不満もなかった、子供の時は多少貧乏でも餓えるようなことがないなら親の愛情があれば不満もなかったのかもしれない
だから私は一人っ子で大事にされたから不満がなかった
ただ現実に私の母親は子供の時継母に育てられたから悲惨だったのである
また兄も連れ子であり自分の家にいたのは5年間くらいであり大事にされなかったのである、それで死んだけど今も墓を建てて墓参りしている
子供の時冷たくされるのは相当に辛いだろう、ただそのために親二人の介護で死ぬほどの苦しみを味わったのが自分だったのである
人間は何でもいいようにはならない、いいと思うことは必ず反転して悪くなるのである

冬深むというとき今頃はもう春になるが今日はまだ真冬である
だから冬なのである、後二日くらいで天気予報では春らしくなる
冬深むという季語がまだ今でもあっている、みちのくと言っても広いから果たしてそれで一体感を感じるのかとなる、青森辺りは雪に覆われているし全然違った環境である
会津でも雪に埋もれている、だからみちのくという大きい範囲で一くくりにはできない
ただみちのくという感覚は一応共有するものがある
沖縄に行った時あなたは東北人ですねと見ただけてそう言われた
やはり東北人には一目見てもわかるものがあるのかもしれない、それは本当に一目見ただけでそ言われたからである、しゃべりもしないのにそう言われたのである
そういう雰囲気があったからだとなる
何か東北人は寡黙な内気な性格が多いからかもしれない、自分はそもそも内気であり性格的なものが陰だからまた余計にそう見えたのかとなる
確かなことは東北人の気質と関西人の気質は陰と陽のように違っている
これは確かである、でも個々人をみればやはり陽の人と陰の人がいるから一般化はできない

宗教となると修行するということがある、欲をつつしみ口をつつしみ心身を浄めることがある、でもカルト教団とか他の宗教団体でもそういうことをしない、ただ集団で示威行動して欲をつつしめなど言わない、修行もしない、御利益を求めて欲をかえってもてとも
指導しているのだから異常である
何か多少とも欲をつつしめということがあってもいいがそういうことは一切ないのであるだからそれが宗教として認められるのかともなる、ただ宗教を利用して実際は御利益を求めるだけだからである、つまり宗教の初歩的なものもない、ただあくことなく欲望を求める世間と何ら変わりないのである、それで税金を免除されているのもおかしいのである

みちのくとはともかくそれなりその土地の歴史と性格がありアイディンティティが形成されたとはなる、でもみちのくは東北は一つにくくれない、東北でも広いし多様だからである、ただみちのく的なものはある、それは何なのか?その土地と歴史から生まれたとはなる、それは芭蕉の奥の細道でみちのくという感覚が一般化したとなる
でも芭蕉が旅したのは岩手県の平泉までだから狭いのである、その先が実際は広くありそれもみちのくとして延長して見られるようになったのである
ただ何らかみちのくのアイディンティティはあるとはなる
みちのくは繁華な都会とかではなく枯野があっている、その枯野で都会から離れて心をいやす場所だともなる、つまりみちのくは心を癒すホスピタルの場所にふさわしいとなる
喧噪の都会を離れて心を休める癒すにはいい場所だとなる

語られぬ 湯殿に濡らす 袂かな  芭蕉

いろいろ苦労があったことでしょうがここで心も体も癒してくださいということである
ともかく東北に多いのが湯殿の碑なのである、それは農家の人が冬に湯治に行ったことでそうなっていた、那須辺りからも来ていた、やはり温泉は体にいいとなる
そして農家の人達がそこで仲間と一緒にくつろぐとなる、なぜなら昔の村だったら家族のようもなっいていたからである、そういうのは時代の雰囲気として芭蕉も感じていたのである、今はそんなことはない、みんな農民ではないし会社員だからである
でも一時会社員でも高度成長時代は団体旅行で温泉でにぎわったのである
でもその温泉街が廃墟化しているのは驚いた

枯草や温泉街の夢の跡

こんか感じになるのも時代である、ただこの湯殿信仰には何かみちのく的なものが感じられたのである

ノスリが一羽枯れ枝に止まっている、河の岸であり朝であり山脈は雪が残っている
まだ冷たい風が吹いている、冬芒というのが風景としてあっている












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