飯館村を回り霊山神社へ(佐須から石戸村ー石田村ー桜の短歌)
大倉からへ佐須へ行く道は一昨年から通じていない
今回の地震でも壊れたからさらに長引く
この石は地震で落ちてきた、でもそう見えないだろう
何か座石とかなづけられる、座るにいい石だからである
でも不思議なのは地震で落ちたということはあとから見たらわからないのである
クリック拡大しないと鮮明に見れません
ただブラウザによって見えないものがあります、一度コピーして別なソフトで見るといいです
里の道山鳩歩み花の影
山吹きや磐打つ流れひびくかな
山桜高きより散り触れられず
山の村十軒ほどや花に雲
地震にて落ちし石一つ変化かな
記録として残されていたもの
大岩に桜の咲きて石田村
これは桜の樹なのか?確かにこういう光景だったが今回は
ここを通っていない
この滝がどこにあるのかわからなくなった、霊山神社にもうでた帰りの道だった
顕家の像に朝散る桜かな
祭られて神社を覆う桜かな
夕べ散る花のあわれや霊山城
山陰の霊山町や夕桜
隠里滝のひびきに夕桜
ここに記録として残っている、でも思い出せないものがあった
http://www.musubu.jp/ryouzankikouhaiku.htm
(大倉から佐須へ)
清流の巌にひびき山桜見上げて高く朝に咲くかも
鶯の声のみ高くひびきけり人気なき村我が通りゆく
人住まぬ家にそあわれ水の出て春に来たりてしのびけるかな
冬ごもりながくもあれな峠越え高く連なる春の峰々
春光や峠を越えて吾妻嶺を我が仰ぎ見て伊達市に入りぬ
(石戸村)
古き碑に春の日さして山の道上りてたずぬ人のありしも
古き碑の並びし山路桜咲き夕暮れあわれたずぬ人あり
山により家の古りぬも夕暮れや桜色にそ染まりひそまる
墓一つたずねてあわれ石田村我が去りゆくや春の夕暮れ
(霊山神社へ)
この石段を上り霊山神社に行ける、でも草に埋もれた道となっている
もともとはこの道を行っていたのだろう、でも高いのである
石田村枯木に墓地や春来るも
ここの墓地には江戸時代の墓がある、でも幕末でありそれほど古いものではないだろう
霊山神社への道
ここから霊山神社に行けるが道は荒れている
春なれも枯木に墓地や石田村
分け入りて古木の桜石田村
霊山神社の手水鉢
花おおふ石段高く椿散り霊山神社に登る道かな
登り行く石段高く桜咲き椿も散りぬ霊山神社へ
花冷えにみちのくの桜散りはかなき命偲び惜しみぬ
山の奥霊山神社をもうで帰る滝のひびきて花の夕暮れ
顕家の像に花散るなお残る花や夕暮れ我が去りにけり
あわれかな花散る跡の霊山城南朝の夢ここにつええぬ
登り来て霊山神社に四十雀鳴く声ひびきて春の夕暮れ
手水鉢白椿そえ水いでぬ霊山神社に巫女一人かな
みちのくの春の連峰春夕焼け
安達太良ー吾妻嶺ー後ろに飯豊山ー蔵王ー大東岳が見える
この連邦は圧巻である
(大霊山線)
吾妻峰に蔵王連なり夕陽没る青々として春の夕暮れ
赤々と春の夕陽の映え没りぬ高くも連なる峰々望む
一時や昨日は晴れるもたちまちに雨ふりて変わりやすしも花は散りゆく
(大霊山線)
吾妻峰に蔵王連なり夕陽没る青々として春の夕暮れ
赤々と春の夕陽の映え没りぬ高くも連なる峰々望む
一時や昨日は晴れるもたちまちに雨ふりて変わりやすしも花は散りゆく
これがわかりやすい
【福島県(旅の思い出−俳句、短歌、詩)の最新記事】
- 会津紀行ー昭和村から矢の原湿原へ ..
- 春の阿武隈川を下る(詩) (川張の..
- 晩秋霊山ー漢詩もどきー(相馬藩の姓の..
- 土地土地のものが活きていた江戸時代 ..
- 飯館村から川俣町へ(秋の暮の短歌俳句) ..
- 会津の曲がり屋の写真 (まだそこで..
- 福島県の歴史と地理 (福島県の境界..
- 奥会津の旅(鬼百合十句‐記憶の旅―写真四..
- 古殿からいわきへ自転車の旅の詩(新年の詩..
- 新井白石の霊山鎮の漢詩ー相馬の義兄を訪ね..
- 霊山町の方に行ったが全く記憶が消えていた..
- 福島県の奥の細道の俳句(自作)―芭蕉の跡..
- 地理で大事なのは境である (宮城県..
- 人間は国(くに)に生きる (国とは..
- 会津の旅の短歌30首
- 会津の舘岩村への旅-短歌十首(NHK―小..
- 会津(旅の思い出俳句十句ー秋から冬―会津..
- 佐須から霊山から相馬の城下へ(短歌十首)..
- いわきまで御斎所街道を下る旅(旅の思い出..
- 白河、二本松の城の桜の短歌 (歴史..