沖縄の人と話して水不足で困ると聞く
(いろいろ不便があっても原発事故は住めなくなったから最悪だった)
離島の水事情とは・・・?台風の恩恵も。
この辺は地震の被害でボランティア団体が来ている、国際学生ボランティアとかもきていた、DRTは一番早く来た、これは結構規模が大きい、重機とかもってきたしプレハブも建てて本格的である
その一人が沖縄の人だった、聞いて見たら沖縄は水不足で苦しんでいる
それを実感として言うからわかる、私も沖縄の波照間島とかに行ったら井戸が枯れていたそこに人が住んでいたが住まなくなった
沖縄では島では水の問題が大きいと思った、もともと水は欠かせないものだからどこでも水の問題は大きい、山に暮らす棚田でも山の上だから水がたりなくなると放送があった
山だから水があると思ったがそうではない、やはり川のような大きな水源がないと田んぼでも維持できない、平地では山から水が流れてくるからいい、それでも平地でもやはり水争いがあった、村でも水の奪い合いがあった
沖縄ではただ雨が豊富であり台風も来るから水をためるタンクを常設している
それでも水不足には苦労する
それで米もあまりとれない、米は本土から買うともなる、それで本土の米は米だけでもうまいと言っていた
何か安い米しか買えないからそう言っていた
新潟県の棚田では冬は深い雪に埋もれる、その雪にも効果があり棚田で作る米はうまいとしている,新潟県の米は水がいいからうまい
この辺では山の方の村は水がいいのでうまいとされていて買っていた
何でも水の影響が大きいのである、ただそこは土砂崩れで苦しんできた場所である
土の質の影響でそうなっている
そして鯉ともともと食料として養殖していたが錦鯉を作るようになりそれが人気となった自然条件が悪くても常にプラスとマイナスがあるのが自然を基に生活する人間にある
だから悪い事ばかりではない、雪の恩恵もある
ともかく人間を社会を知る時、実感を得ることが大事である
それでちょっとでも地元の人と話すとその話すことから実感として感じるものがある
本とかではわからない、テレビの放送とかでもわからない人から直接の実感を感じることがある、それで柳田国男は土地の人から話を良く聞いて文書より口で伝えられた口碑を大事にして民俗学を起こしたのである
本当にその土地のことは別に学者でなくてもその土地で生きている人がわかるのである
地理と風土とかはそうなる、そこに住んでみないとわからない
風を感じることでもそうである、その土地にどういう風が吹くのかわからないのだ
そのために知床観光船では北西の風が危険だというときそうだった
原発事故では3月頃になると海から東風が吹きそのために放射性物質の塊りが飯館村の
山の方に流れて被害が一番大きい不運があった
海の方は原発の煙突が見える浪江では本当にひくかったからである、0・5マイクロシーベルトだった、海側がみんな低いものだったのである
もともと科学技術でも風土の影響を受ける、その土地の風土を良く知らないと科学技術でも何でもできない、人間は自然に制限されて生きるものだからである
その自然の制限を越えることはできないのである
それを越えようとした時災いが生まれるようになっている
おそらくコロナウィルスもそうである、ウィルスは元来風土病とかでありある土地から生まれる、もしそうした場所に踏み入らなければウィルスは移らない
その土地にとどまっている、でも自然でもずかずかと人間は入り自然を壊してきた
そこでウィルスも今度はグロ−バル化した交通が発達したことで世界に一気に拡散したのである
とにかく人間の生活はその自然に制約されている、でも制約されていてもその中で生き延びる術を発見して生は継続されてきたのである
棚田の暮らしもそうであり島での暮らしでもそうである、そこは不便でもやはり人間が営々と暮らして生きれる場所としてあった、でもそういう場所が現代だと限界集落とかなり人々が住めない土地として放棄されるようになる
とてもこんな不便な所に住めないと言うがでも江戸時代から戦前でもそういう場所に人間の生は継続されていたのである
結局原発事故ではそうしした継続された生活が遮断されて途切れて村や町自体が住めない町や村になってしまったのである
一次産業が農業でも漁業でも林業でも衰退する、そして農業などするなと親に殴られたという人が原発で働いていたが故郷にも住めなくなったのである
江戸時代から戦前までも長い間、故郷であれ不便でも貧乏でも人間は住むことができた
でも原発事故は住めなくしたのである、だからこれは何だったのか?
住めなくなるということは最悪てある、いくら貧乏でも苦しくてもそこに住みつづけることが生きることである、そして一代だけではない、代々住みつづけることができる場所であることが基本としてある、確かに水不足とか気候の影響があって住めないとういことも起きて来る、でも江戸時代から戦前までも人間は生を受け継いできたのである
だから原発事故前でもまた他でも農業では生活できないからやめる、そして村は放棄されるとなる、それは何なのだろうとなる
もちろん農業は戦前でも過酷であり貧困に苦しんできた、農業だけでは苦しいからつづけられないとういことがあった、でも不思議なのはそうあっても生活が継続されてきたのである、千年であれ継続されてきたのである
でも現代だともう継続できない、農業では漁業でもやっていけないとなり原発に頼ったのである、他でも農業以外にこそ生きる道があるとして人々が科学技術であれ別な産業に頼った、でも千年でも一応その場で住むことはできた、その糧は少ないにしろ与えられていた、でも現代になると様々なことで住んでいられないとなった
燃料でも石油であり電気が不可欠でありとかガスなしでは生きられないとかなった
でも不思議なのは戦後十年は炭が燃料でありほとんど身近にあるもので一応生活していた住めなくなるということはなかったのである
とても住めないからと他に移り住むということもなかったのである
なにがそこにが納得できないとなる、山村とかは住めないとして捨てられる、千年とか住み続けた場所が捨てられる、それが理解できないのである
例えば相馬藩だと越中とかの人々が危険を犯して藩を脱出して相馬藩に移住したのは
ただ土地が与えられるとういことでそうなった、相馬藩では飢饉になり三分の一の人口が減った、その穴埋めとして移民を奨励してそうなったのである
これも今からすると何で苦しい農業をするためにわざわざ命がけで苦労して移住するのかとみる、でも農業社会では土地が一番大事だからそうなった
土地が与えられるということでそうなった、日本が満州を得たいというときも広大な土地が手に入るからであった、そこは寒冷地帯でも日本人は米を作ろうとしていた
それはその時農業社会だからそうなっていたのである、つまり農業で必要なのは第一に土地だからである、小作だと土地を持てないから貧乏だったとなる、土地が最大の価値となっているからそうなったのである
いづれにしろ住めなくなるとういことが人間にとって最悪ではないか?
いろいろあっても何とかここで住んでいけるとなれば我慢できる、でも住めなくなるということは最悪である、空気とか水でも土でも放射性物質に汚染されて食糧をも作れないとなると住めないとなる、でも現代では別に金があればどこでも移り住むことがてきるということで人々は代々住んだ故郷でも捨てたとなる
ウクライナのように国が戦場になったら住めない、だから最悪なのである
でも原発事故でもそういうことが起きたのである
ウクライナの人はキーウ(キエフ)の近くのチェルノブエリ原発で事故がありそこから避難した人があり今度は戦争で日本に避難した人もいる
要するに戦争は最悪であり原発事故でも住めなくなることが最悪だったのである
それで大熊だったか蝋燭でもいいから家族一緒に住めるだけでいいと言う人がいたのである、とにかく住めることが第一だからである、昔のような炭の暮らしでも一応住めるのだからがまんできるとなる、原発事故の罪深さはここにあったのである
SDGsとは「Sustainable Development Goals
サステナブル(Sustainable)は、sustain(持続する)とable(〜できる)からなる言葉。. 「持続可能な」「ずっと続けていける」という意味があります。.
最近このことが良く言われる、このことが原発事故で証明された、もう住めなくなり持続可能もなにもなくなったからである、このことが最悪だったのである
タグ:自然の恵み SDGs 山村の生活 農業社会から工業社会へ 風土を知る 沖縄の水不足 新潟県の棚田 持続可能な生活 原発事故が残したもの 科学技術とSDGs その土地を知る 雪の恵み 江戸時代の生活
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