遠洋漁業と沿岸漁業
(グローバル経済と地域土着経済の相違―心と物の分離)
●遠洋漁業とグロ−バル経済は似ている
この遠洋漁業が不自然を感じたのはグロ−バル経済と似ていたからなのか?
マグロを獲るために世界の海でとるということは資源を沿岸だけではない遠くに求める
それはグロ−バル化経済でもそうだからである
国境を越えて大企業が利益だけをみて世界に進出する
だから世界の海でも魚の資源も世界で獲り合うとなると魚でもサンマでもとれなくなる
魚資源の争奪戦が世界で行う、だから沿岸業業だけだったら土着的になるが
遠洋漁業だとその日々生きてる暮らしから離れる
第一一年間も船上で暮らすことは非人間的なのである、だからそこでは精神的にも荒廃する、家族もいない土地とのつながりもない、土着的ではない
沿岸漁業だったら土着的であり人間的なのである
でもマグロを獲るにしても沿岸漁業だと限界がある、だから遠洋漁業になった
でもそこに非人間的なものが生まれた
そしてその土地とのつながりもなくなる、山と海の暮らしは結びついていた
鯨をとったとしてもその一部を山に住んている人と分けて食べた
それが祭りともなる、陸でつながった村同士が神が与えた魚の恵みを分かち合うとういことである、でもグロ−バル経済になると利益中心主義でありこうした伝統的民俗学的な風習は無視される、そんな民俗的な風習などをとでもいいとかなったのが科学技術主義優先の社会である、でもそれが何か人間だけではこの大自然に対処できないものがありそうした風習も生れた、それが時代遅れとか一概に言えないものがある
とにかく人間は大自然を畏れた、その畏れがあり神に乞うという許しを得るという祭りが行われた、でも科学技術社会になるとそういうものが前近代的なもの非合理なものとして排斥されるようになった
でも科学技術でも万能ではない、未知なものが依然として多い、もちろん科学技術を無視しろとかではない、効用がないとかではない、ただ人間には限界があり万能の神のようになれない、それで自然であれ神であれ畏れを持つことは正しい態度である
現実に万能の神は存在する、人間を作った生物を地球を宇宙を想像した神は存在する
もちろんその神をまともに見ることはない、もしまともに見たら死んでしまうとなる
その神は決して見ることはできない、でも永遠の命を与える神は確かに存在する
神は無から有を創造できるのである、人間は無から何も創造できない、生命を新しく創造することはできない、ただ神の創ったものをあれやこれろと分析して神の創られた声明を基にして多少変化させることはできる、でも根本的に生命を新しく創りだすことはできない
それはどういうことかというと例えこの地球が滅びたとしても宇宙すら滅びたとしても再創造できるしまた新しい生命体を創造できる、つまり新しい天と地を創造できるのであるだから例え地球が滅びてもまた新しい生命体は創造できるのである
人間はどんなに科学技術が発達したとしても新しい生命体を作ることは不可能なのである科学技術でもそれは戦争のために使われる、ウクライナ戦争を見ればわかるまるで兵器のショーのようになっている、現実の戦争で殺し合いで兵器の優劣を競い今度はその兵器を売り込むとなる、ロシア兵器は現実の戦争の場で役にたたないと見られた、
結果としてロシアの兵器はこれから売れないとなもなったのである
●土着的なことがアイディンティティの基礎
民俗学的なものとか郷土史とか伝説とかはあまりに重要視さされなかった
原発だったら科学技術の塊りであり文系的なものは除外されていた
でも本当に科学技術集団が起こしたのが原発事故だったのである
それは原発が神への畏れを自然への恐れもなくて作られたものだからであった
そもそも核を破壊して強力な爆発を起こさせるとういこと自体が不遜なことであり
それは神を畏れないものとして危険だとも科学者が言っていた、何か科学には危険なものがつきまとっていたのである、それで中世になると魔法使いのように胡散臭いものとして見られていたのである、科学技術には危険なものがあったからである
何か神の領域にずかずか入ってくる危険性があった、遺伝子組み換えとかでも危険がある勝手にそういうものを人間の手で操作していいものかとなるからだ
とにかく遠洋漁業というのは何か土着的なものではなくなり土地からも遊離したものとなる、そこではただ魚をとるためにだけあり沿岸漁業のように人間の暮らしがあると見えない、沿岸漁業だと陸地とも一体化して離れずにあった、家族全員での生活の場として港もあったとなる
だから私が漁師として讃歌した詩は土着的漁師の姿である、それは海に面しているが陸地とも深くつながり家族ともつながっている人間なのである
遠洋漁業だとその土地土地から遊離したものとなる、だから船上で男だけで一年間も暮らす場は異常化するのである、異常な空間となるのである
なぜなら家族の元にも一年間も帰らないからである、そういう生活は荒れたものとなる
いくら金が他により高くなっても精神的には荒廃するともなる
それは何かグロ−バル経済と似ているのである、グロ−バル経済でもその土地土地から遊離して世界を市場として利益だけを目的に会社は機能するからである
だからアメリカの大企業でも突然森林でも木材をとるために売るために伐採してそこに住んでいたオランウータンの棲む森を奪ってすめなくしたということがある
それは日本の企業でもしているのである
要するにグロ−バル大企業は利益しかみない、そこに生態系がありそれに基づいて生活していたものを根こそぎ奪って利益しか考えない、それが世界を荒廃させたのである
●グロ−バル化は覇権争いであり通貨でも支配のためにある
そしてグロ−バル経済の労働は非人間化する、一年間も船に閉じ込められて労働するのは普通ではないからだ、そういうことをさせるのがグロ−バル化した経済のためである
他にも巨大企業が後進国の人達を安い給料で雇いそれで利益を出す搾取がある
グロ−バル経済とは結局公平なものではない、すべて覇権国が搾取する仕組みだともなるそもそもそれはアメリカだけではない今度は中国が覇権国になれば中国の元が紙幣がドルの代わりになるというときもそうである、つまり通貨でもその時々の覇権国が支配するためのものなのである
ローマ帝国時代はローマの通貨が通用しているしイギリスが覇権国の時はボンドが世界の基軸通貨となりエジプトではボンドなのである、中国でも宋の時代には宋の通貨が日本まで流通したとなる
宋銭は、金や西夏、日本、東南アジア諸国でも使用され、遠くは、ペルシアやアフリカ方面にもおよび、ほぼ全アジアで流通したため、当時の経済状況に多大な影響をおよぼした。これは当時の中国王朝の政治力を物語る
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B%E9%8A%AD
アフリカまでも宋銭が流通したことはまさに今中国が一帯一路でしていることと同じである、歴史の繰り返しなのである、結局こうして世界が中国が覇権国になれば支配されて中国の通貨がドルに代わる基軸通貨となるのである
ここでも今度は中国にアフリカが搾取されているとか反発されるのである
グロ−バル経済はすべていいものとはならない、覇権国が世界を搾取する構造ともなる
グロ−バル経済はそもそも非人間的なものになる、人間的感覚を越えたものであり道徳無き経済ともなっている、その規模が余りにも大きいから世界的に搾取されているとしてもわからない、結果的にわからないから陰謀論になるのである
これだけ大きくなると人間的感覚でもう知ることもできないからである
だから資本主義でも株式でもそこで何か行われているのか見えないし知ることも不可能なのである、それで実際は一部の特権者が株を操作して暴利を得ているとされる
それはそんな巨大なスケールの経済を知ることもできないからである
いづれにしろ現代の経済はグロ−バル化して土着的なものから離れてしまった
それが非人間的なものとなり人間的なものを無視する、だからそこではただ魚をどれだけ大量にとるかと利益中心主義になる、魚でも農産物でも何か生き物を扱うからそこに自然の畏敬のようなものを失った、祭りも失った、ただがつがつと魚を多くとりもうければいいとかしかない、それはわかるにしても今度は原発のために東電に漁業権を売るとかになる、本来の漁師の仕事は金にならないからとなりそうなった
そうして土着的なものは無視されただ利益追求だけになったのが現代の経済なのである
そこに必ず世界的搾取がありそれは巨大なグロ−バル経済の中で見えない、そこで常に陰謀論になる世界である
道徳無き経済というときもう人間的範囲のヒューマンなものからかけ離れた経済だから当然そうなるのである
要するに物と心が分離する世界である、そもそもマグロにしても物があってもこのようにそのマグロが食卓に提供されるのか、そんなことはもうわからない、つまり他の商品でもどうして作られて提供されているのかわからない、ただ値段を見るだけだとなっているからだ
●物と心の分離した道徳無き経済がグロ−バル化の問題
例えば物と心が一体化しているというとき提供される物に心がついているとかなる
家族で母親が出す料理には母親の愛情がこもっているとかなる
物は単なる物ではない、商品は単なる商品ではない、人間の心がこもったものとして提供される、それが物と心が分離してしまうのが世界市場化したグロ−バル化だともなる
狭い範囲だったらそうはならないと思うからである、誰が作ったとかまで村とかの範囲だったらわかるからである、そしてその物を作る人を見て知っているともなるからだ
世界経済になったらそういうことは全く見えない世界である
それで働く(「傍(はた)」という字は、「そば」とか「かたわら」という読み方もあります。「いつもあなたの傍(そば)にいるよ」とか、「傍(かたわ)らであなたを支えます!」を楽にする)から来ている、いつも苦労して働いている人を見ているから楽にしてやりたいということで働くという言葉が生まれたことでもわかる
つまり働く人を身近にみていてこういう言葉が生まれた、今や世界の果てからでも物が入ってくる、でもそこで働いている人など全く見えないのである
マグロ獲るにしても遠洋漁業となると見えないのである、だから傍を楽にするなどということはありえないのである、そこでどなんに過酷な働き方をしていようが見えないからである、でも沿岸漁業だと一応働く人は家族とも一体となっていて見えるのである
それで漁師は彫刻になったり自分の詩にもなる、それはやはり土着的なものになっているから身近に見えるから心が働くのである、世界の裏側の人はいくら働いていても全く見えないのである,グロ−バル経済になるとそういうことが普通になるからいくら物が入ってきてもそこに心がこめられないのである、心と物が分離して物だけが入ってくる世界なのである、そもそも心とはココから来ている、こことは狭い場所なのである
ここを離れたら心はなくなるとなる、つまり人間の心はそこに住んでいる場所と一体化する、ここを離れると心も離れてしまうのである
だから国というとき実際は相当に狭い世界だったのである、小国とか日本に多い地名がそれを物語っている、狭い所が国となる小国となりその小世界が国となっていたとなる
そういう狭い場所で心と土地とがアイディンティティ化して一体化したとなる
グロ−バル経済となるとその物と心が分離したものとなる
だから世界的経済となっても国と国は対立して戦争になる
グロ−バル化した経済でも別に心が通じあうことはない、むしろ対立して戦争にもなるしなっている、物が世界の果てから入ってきても別に心が通じ合うこともないのである
それで第一次世界大戦があり第二次世界大戦があり莫大な人が死んだのである
対立がグロ−バル化でさらに激化してそうなった、互いに理解しえないからそうなったのである
●万葉集は心と物が土地とも一体化して歌われている
万葉集の世界はそうした世界とは違っている、心と物が一体化した世界である
君がため山田の沢にゑぐ摘むと雪消の水に裳の裾濡れぬ(1839)
我(あ)がためと織女(たなばたつめ)のそのやどに織る白たへは織りてけむかも
君に逢はず久しき時ゆ織る服(はた)の白たへ衣(ころも)垢(あか)つくまでに
我がためとか君がためにとかのために働きまた服を織っている、つまりそこに心がこめられているのである、それはあくまでも特定の人のためであり不特定多数のものではない
現代は不特定多数の人のために働いている、それもグロ−バル化すれば世界の人のためにともなる、でも逢ったこともない人のために働くということは心が通わないのである
万葉集だと必ずこのように心がじかに通う世界が歌われている
また枕詞がありそれはその土地と深く結びついている、だから人間的になる
それが現代の感覚とは違っている、心と物は一体なのである
●グロ−バリゼーションでかえって世界の対立が激化した
要するに道徳無き経済であり心が通じない経済であり経済の意味の経世済民もない経済である、ただ巨大企業が世界を搾取する経済だともなる、その富は覇権国にそれもまた一部の人達に巻き上げられるとかなる、ただそれは見えないから陰謀論になるのである
そしてウクライナ戦争でもわかるようにあれは武器を売りつけるための軍産複合体がしかけたのかともみる、なぜなら武器の優劣を現実の戦争の場でみせつける
するとロシア制の武器は劣っているから買わないとなるからだ、武器の優劣が明確になったからである、そのために多大な人間が犠牲になっているのである
グロ−バル化すれば世界的対立が激化して最終的にハルマゲドンとなり人類滅亡にもなる平和が来るわけでもないのである、ただ世界がグロ−バル経済で豊かになればいいが
戦争にもなるのがグロ−バル化なのである,グロ−バル化を推し進めると最終的に覇権争いで世界大戦となり人類滅亡となる
世界平和にしても武器を捨てない限り平和はない、核兵器を捨てないかぎり平和はない
それがいつか必ず使われるからだ、だから本当にロシアのプーチンが核を使うと脅したことでもわかる、核を持てば大国になれともなり北朝鮮は核兵器を持つためになりふりかまわないとなる、そしてアメリカは戦争国家であり武器を作り売る国家でもある
アメリカはまた国土が戦場になり焼野原になったことがないのである
ロシアでも第二次世界大戦で一千万以上死んだとかありドイツでも日本でも焼野原にされた、そういう経験がない国がアメリカなのである、だから戦争の本当の悲惨さを実感できないのである、だからどうしても人道がどうだとかなんとか正義とか言うのはなぜ言えるのかとなる、もちろんロシアの弁護するわけでもない、ロシアには非がある、でもアメリカのしてきたことを見れば人道がアメリカにあるとは言えないし正義でもないのである
なぜ中国とか韓国北朝鮮とか日本と対立するのか?
それもグロ−バル化の結果だった、なぜなら江戸時代なら中国であれ韓国でも友好的だったからである、それが日本の侵略のせいだともされるがそれは欧米の侵略が先でそうなったのである、なぜアメリカと日本が戦争する理由があったのか、アジアに侵略したのまずヨ−ロッパであり次にアメリカだったとなる
結局人間がグロ−バルに交わることはまたグロ−バルに対立することだったのである
グロ−バリゼーションは平和をもたらすわけではなかった、覇権国が世界の富を収奪するシステムでもあったとなる、だからこそその覇権をめぐって戦争になる
ウクライナ戦争でもそういう側面があり人道的に問題だけではかたづけられない複雑なものがある,アメリカとロシアの覇権争いにも起因して起きているからだ
豊穣の海と漁師
朝漁の船は帰り来る
糧は海から与えられる
漁師は海とともにある
漁師の実りは海にある
漁師は海と一体になる
夢にも常に海を見る
時に波にもまれて溺れる
夢にうなされる
現実に父は海で死んだと
また恐ろしい津波で村は消失した
海は常に危険である
でも海は豊穣の海である
魚はふんだんに与えられる
魚をとるこそ漁師の誇り
活きのいい魚は地元に売られる
その身は引き締まり海とともにある
漁師の船は帰ってくる
妻はその無事の帰りを待っている
岩壁に浪は打ちつけて漁師は立つ
そこに生の充実がある
その身は海によって作られる
海は人に糧を与え仕事を与える
海の恵みは尽きることだない
海が人を作り大地が人を作る
山が人を作り森が人を作る
そこに継続される生がある
夏の海は朝の光りに輝いている
漁師もまたその海のように輝いている
それは海とともにあるからだ
波が轟き雲雀も夏空に鳴く
海を大地を山を離れて人はない
人を作るのは海に大地に山に森である
ここに継続持続される生がある
絶えることなき生がある
まさにその仕事は神より与えられた天職生業
その身は引き締まり海に生きた男よ
神はその男を見て満足する
海の糧を与えたことを満足する
夏の海原は広々と輝いている
漁の船は魚を積んで帰ってくる
港は活気にあふれる
津波の悲劇でも海の魚は消えない
ただ原発事故は海を汚した
その罪は余りにも大きい
海は汚されてはならなかった
でもその海の恵みを重んじなかった
それは神からの罰なのか?
人間はそのことを深く反省すべきかな
http://musubu.sblo.jp/article/189548693.html
石巻の高橋英吉の漁師像は土着的なものだろう、でも高橋英吉は遠洋漁業に実際に船に乗って行っている、そこで漁師の姿に接して彫刻にした
でもその像は海に面して沿岸漁業に従事していた漁師を手本にしたのだろう
沿岸漁業と遠洋漁業は違っている、沿岸漁業は土着的になるからだ


無駄な贅肉がない肉体美なのである
タグ:グロ−バル経済批判 道徳無き経済 遠洋漁業と沿岸漁業 通貨は世界支配の道具 高橋英吉 万葉集は物と心が一体 働くの意味 グロ−バリゼーションで世界の対立が激化 グロ−バル化は覇権国の世界支配 グロ−バル化と土着経済 土着した漁師の像 ドル支配の意味 心はここのこと
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