2022年06月24日

地震と地盤と家の修復 (様々な要素がある家の問題)


地震と地盤と家の修復

(様々な要素がある家の問題)

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地盤が悪いまま放置して建築をした場合、地震が起きた際の危険性については言うまでもありません。
ですが地震が起きなければ大丈夫ということではもちろんありません。
それが不同沈下が起きることがあるからです。
不同沈下とは、住宅が建築された地盤が不均一に沈下する現象のことです。要は家が地盤の脆弱さが原因で微妙に傾いてしまった状態のことです。
住宅が傾くと、窓や扉の開閉に悪影響が出たり、排水がうまく流れないなどの不具合が起きる可能性があります。
また家が傾いていると、住宅の地震への耐久力に悪影響を与えます。
https://ogawakenchiku-inc.com/2017/11/12/jiban-kairyou/


今回の大地震で地盤も関係していた、地盤がしっかりしていれば家も地震に強い
地震に対処するには地盤から始まるともなる、基礎工事として地盤を見て地盤の安定を計る、でも地盤は一つの家だけみても調べても安定しようとしてもできない
今日大工さんがそのことを言っていた、私の家は地盤も関係して沈下しているらしい

そして地盤でもその土地全体がかわり一個の家だけの地盤は良くすることができない
隣と土地はつながっているからだという
だから地盤を良くするにはそもそも全体の土地改造して一様に地盤を強くする土木工事が必要だとなる、それで自分の家だけの地盤を良くすることはできないと言っていた
この辺では新しい住宅地を作った、裏の畑だったところは住宅地になった
その時広い土地が改造されて地盤も全体的に強固にされた、つまりそういう全体の地盤を強くした場所なら地震に強いとなる
それは市なのか県で行い古い地域を移住させたのである、だから無料で土地が与えられ建物を建てられたから得だった
建物自体を移動した家もあった、その家は広い土地になり全体的に地盤も改良したとなると地震には強いものとなった

このことは日本の土地が私有権のために公共としてあった土地でも山でもその私有権が邪魔して公共的なものとして利用できなくなった、入会権だと共同があったが私有権になると山でも無数に個人によって分割されて公共的なものとして利用できなくなったのであるそこで山全体を利用することができなくなった、誰かの土地でありその許可がないとできないからである、極端なのは原発事故では海の前が俺のものだとして補償金をもらおうとしたことなどでもそうである、土地が無数に細分化されたのである
そもそも土地はつながっている海でもそうである、実際は不可分につながっている
だから土地でも山でも海でも細分化して私有できないものなのである
つまり私有になじまないものなのである

ただヨ−ロッパの都市などは土地を計画的に作り街作りをしているからきれいな街並みになる、日本の街が雑然としているのはそういう都市計画がなく作られているから何かただ無際限に増殖したような感覚の街になる、土地の計画的公共的利用がないのである
日本人にはヨ−ロッパのような公共感覚がないのである
ただ碁盤の目のように奈良時代でも平城宮とた平安京を作った、それは中国をまねたのである、それは計画的に作られたものである
だだ城下町とかでも碁盤の目のようになっていても街全体を計画的に作るという意志がない、日本の都市は雑然としているのである、混沌としているのである

それが日本的でいいと見る人もいる、日本の都市には中心がない、ヨ−ロッパの都市には広場があり大聖堂があり中心がある、日本には城下町でも城が中心にあっても一体化していない、その城は街から分離して孤立化している感じなのである
だからそもそもパスポートにシテズンシップが記される、市民共同体としての歴史があり市をアイディンティティとする歴史と文化があったからだとなる
ここが日本人になかなか理解できない、市壁があり市が壁で囲まれている
市を守るための壁で囲まれている、壁の外城壁の外に出ると危険になるのである
日本では城があってもそこで暮らしている庶民は侍とは別物なのである
だから会津で薩長に攻撃されていても庶民は無関心だったのである
かえって税に苦しんでいたからこの際だとしてヤーヤー一揆が農民で起
きたのである
そこにヨ−ロッパの市民社会などないし市民などいないからそうなった

建築という時建築だけが孤立してありえない、社会全体の中で建築が生まれたのである
その時代の社会から生まれたのである、だからその社会を時代を歴史を知らないと建築も芸術を理解できないのである、建築でも芸術でも不可分にその時代の社会と結びついているからである
中世だったら石の大聖堂にバッハのパイプオルガンでレクイムが荘厳に鳴り響いたのである、その時音楽と建築は分離していない一体だったのである
絵でももともと聖堂と一体化してあり部分的に分離していないのである
社会もまた時代的に市民社会があり都市とのアイディンティティが形成されていたのである
これが現代になると絵は絵で音楽は音楽で建築は建築と分離されたのである
ルネサンスもフィレンツの都市社会から生まれたものでありそこに建築と彫刻と絵と音楽でも一体化したものなのである、そこに荘厳なものが現出したのである

ともかく今回の地震の恐怖は今まで経験したもので最大のものだった、東日本大震災の揺れより強かったから相馬市と南相馬市の鹿島区とか福島県の国見町とかが被害が大きかった
相馬市と南相馬市の鹿島区などは未だに屋根瓦の被害があり修復されていないのが多いのである、そして新しい家は被害が少ないが古い家は被害が多かった
私の家は50年過ぎてやはり老朽化していた、見えない所で腐っていたとかある
一番怖かったのはベランダの上支える柱が一本で細いから良く地震で壊れなかったと思い恐怖した、それを強化しなければならないというのは素人でもわかった
そこでまた金がかかるのである、とにかく家は前ら増築とかいろいろ変えてきたから金がかかるのである、だからもう直したくないとなる

建築という時やはり安全が第一となる、古い家は耐震設計がしていないので不安なのである、つまり地盤が強固であることも大事である、建物だけでは地震は防げないのである
何か人間は全体としてある、全体と結合してある、土地でもそうである
それが分離して見ることが危険になる、そもそも地球自体が一つにつながっている
宇宙と地球ともつながっている、それを分割して分離して考えることが危険なのである
地震でも地球はつながっているから世界のどこかの地震でも日本に影響するとなる
スマトラ地震があったとき日本では警戒していなかった
日本がでは地震や津波が多いから逃げられたとか言っていたのである
日本の弱点は海に囲まれていて地球と体力とも分離している感覚になる
だから他国で起きることに以外と無関心なのである、他山の石とすることが苦手なのであるそれで鎖国があり孤立したとようになる

ともかく家というのは様々な要素から成り立っている、地盤とかとなれば地質学が関係して耐震設計とかなると物理的構造問題になる、どれだけ強度をもつか実験もする
家とはまた装飾も関係している、それは美的なものになる
平面的なものではなく角張っているので円い線のような棒をそえたのものそのためである若い人でいろいろな仕事をする人が仙台のデザイン科を出ていたことでもわかる
デザインのセンスも必要になる、つまり芸術家でもあるのだ
そして文系的なものとし私人が書いたように家というのは人間にとって生きる存在意義を持つことにもなる、それは親から家を受け継ぐと親が先祖が死んでも家には生き続けているような感覚になるからである、だから家は単なる箱ではない、そこに人間の心が物に憑くとまでなる、それで廃屋には依然として幽霊としてでも人間が住んでいる感じになるのである

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窓を広くしたので庭の木が映える

角張った縁(へり)を丸味帯びたものにした、この辺の気遣いはこまかい

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この柱は増築した部屋を支えていた、それも一本で細い
ここに重さがかかったとき素人で危険だと見た
でも今回の大地震でも壊れなかった

これが壊れたら家が傾いていた

それで恐怖した、ここは直さないと危険だった
増築した家は何か地震とかには弱い
本体に付け足しているから弱いのである
最初から全体的に耐震設計にしないと地震には弱いのである
私の家は古くなり家全体が沈下しているという
これも問題だがもう直しようがないのである


posted by 老鶯 at 18:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波水害関係
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