2022年07月17日

藪甘草、擬宝珠、夏燕、夏の夕暮・・(石の倉と藪甘草)


藪甘草、擬宝珠、夏燕、夏の夕暮・・(石の倉と藪甘草)

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この蔵は大きい、写真にして見たらわかった
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横手の古墳

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擬宝珠

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ここは広い、野馬追いが近い、相馬ではそのために馬を飼っている

きれいに見るにはクリック拡大



草深く藪甘草や石の倉

草深く藪甘草や古墳かな

擬宝珠や石雨にぬれうなだれぬ

擬宝珠や石によりにつ黒い猫

水増して流るる川や夏燕

走り行く夕風涼し夏燕

夏の日や小径にとまる黒き蝶

立葵黄菖蒲映えて畑の道

紫陽花の青色に暮れる夕べかな

牧広く夏の夕べや馬一頭


今回の地震で気づいたことは意外と石の倉が多いことだった
身近にっても気づかないことがある、この石の倉は明治以降に作られたものだろう
喜多方市では蔵で有名だがレンガの蔵がある、これも明治以降である
土壁の蔵は古い、江戸時代からある、でもなんでもそうだけど江戸時代から残っているものは少ない、だから煉瓦の蔵も明治以降である
煉瓦はそもそも明治になって外国から入ってきたものでからである
レンガは耐火にはいい、木の家は燃えやすいからだ、ただ地震には弱いのである

日本は地震が多いからこの石の倉はほとんど一部が壊れていた
でも何か蔵ある家は古いとなる、ただ今は蔵は使っていない、ある蔵は孫の写真が飾ってあるだけだった、あとは古い家具などが置いてあった
でも田舎の風景としては蔵があると家が古くどっしりとした感じになる
喜多方市では豊かになると競って蔵を作った、それは金があるといい車を買うのと同じだった、立派な蔵を建てたことは成功したということである

鹿島区は古墳の里として有名である、小さな古墳が多いのである
でも原町区とか相馬市には古墳が少ないのである
原町だと大きな桜井古墳がある、でも小さな古墳がない、その相違は何なのか?
それは歴史的にこれまでの私のプログで書いてきた
大和王権が鹿島区の方に勢力を伸ばした、旧来の勢力は原町区にあったからである

今藪甘草の季節である、これは草深く咲くいかにも田舎らしい花である
それで原町市だったときは原町の花はひまわりにした
相馬市は城下町であり藤の花である、ちょうど城跡に藤の花が咲いているからだ
また中村珈琲店の脇にも藤棚があり咲くから相馬市に似合っている
県の花とか市の花とか町の花とかある、それはやはりそこにふさわしいからだとなる
飯館村は芙蓉なのである、芙蓉を植えていたからである
ゆったりと大きな芙蓉が咲いているのにふさわしいとなる
ただ何カ月も飯館村には行っていない、ただ佐須の方を回って霊山から石戸村の方に行った
梅雨が戻りなかなか行けないし暑くなるとまた陽射しで熱中症になりやすくなり行けなくなったのである
小山田の奥の方に行くと空家がまた目立つ、そこに青色の紫陽花が庭に咲いていた
でも人は住んでいない、この空家は大きな問題となる
今日はちょっとの間晴れた、ずもすぐ曇って雨がぱらぱらふってきた
例の小山の間の小径には黒い小さな蝶がとまっていた、そこは一日行く人もないなのである、あの道は田舎らしい道である

この季節に立葵が咲くが梅雨にはあっていない、からっと晴れて青空に伸び咲くのが合っている、ただ神鳴りがなって立葵が映えた
ともかく最近近くしか行っていない、でも季節の変化があり夏は花も多く咲くから見るものはあるとなる、庭には擬宝珠が咲いた、
黒い猫に餌をやるので毎日のように来る、田舎だと回りに空地とか畑とか田んぼだから
別に糞とかで汚さない、都会の家が密集したところでは庭を汚すから餌をやるなとなっているのだろう、別に苦情は来ないからである
ただこの黒い猫は全くなれない、すぐ餌をやると逃げる、近づくにも慎重でありなれないのである、一旦野良猫になるとなれないのかもしれない、また猫にもよるのかとなる


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