2022年07月27日

相馬野馬追いは維持できるのか? (歴史の保存の祭りであり新しいものが入れない問題)


相馬野馬追いは維持できるのか?

(歴史の保存の祭りであり新しいものが入れない問題)

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3年ぶり通常開催 相馬野馬追 14歳と49歳それぞれの「初陣」
https://www.youtube.com/watch?v=C-NePWYrryo&ab_channel=TUFchannel

伝統文化の継承・発展も、この『変化を受け入れる』ことがキーポイントだと思います。その文化が持っている価値を継承しながらも、それを提供する技術や表現方法などの手段は時代に合わせて変化させることが必要と感じます


野馬追いも伝統文化の一つなのか、歴史の再現であり歴史の保存でありそこに意義がある文化というのとも違っている、ただ確かに侍の時代の再現ではあるが文化とも違っている伝統文化というとき俳句とか短歌は今にもつづいている伝統文化である
これがなぜつづいているのか?俳句だと四季があり季語が必ず入っていないと成り立たない、季語の文化である、それは日本の四季があり風土があって生まれたものである
その風土が変わらないから俳句がありつづけた、でもその表現には限界を感じる
短すぎるからである、短いことがいいにしても限界を感じる
それで一応短歌は長いので生き残るのかとも実作者としてはみる
ただ写真と俳句が合体した写俳の分野が生まれたのは現代的である、現代はデジタルカメラやスマホで写真が日常的なものとしてみんな使用しているからである
そして俳句は正岡子規の写生俳句が主流であり私自身もそれを基にして創作している
写生とは写実であり見たままをありのままを俳句にする、だから写真と相性がいいのである

伝統的文化でもそこに必ず新しいものを注入しないと衰退して維持できなるなる
歌舞伎とかあってもそれは一般の人は関心がない、でもドラマはみんな関心があり今ではテレビドラマを見る、推理ドラマが面白いのである、このドラマはyoutubeなどでは作れないからテレビでもこの部分は生きつづけると思う、また時代劇も面白いが今はいい時代劇が作れていない、それで過去の時代劇をBSで見ている
こういうふう何事時代によって変化する、でも時代によってでも変化しないのもあるし
変化しないことで重要なことを伝えることもある
それで相馬野馬追いで宇多郷(相馬市)と北郷(鹿島区)が合流する儀式がありそれは
古式にのっとたものでありそれをわざわざ見に来た人がいたのである
その人は地元の人より野馬追いに興味があり詳しいとなる、かえって外部の人が関心をもつことがある

ただyoutubeでも野馬追いに外部から新規参入する人のことを放送していたがそれがいかにむずかしいかを言っていた、もともと新規参入は野馬追いではできない
代々甲冑でも旗でも家伝として残されたものであり勝手に使用できないのである
何かそこは非常に厳しいのである、それは歴史をそこなうからそうなる
だから相馬野馬追いは何か新しいものを注入しにくいのである
歌舞伎でも代々世襲であり外部からは入ることができないのともにている
そこにかえって限界があるともなる、新しいことができないからである
相馬野馬追は見る人と見られる人に完全に分かれている、地元の人でも参加できないのである、今回のyoutubeの放送は特別許可されたもので参加したのである

でも原発事故で小高郷が避難区域が離散した、すると野馬追いに出る人も避難した人がいる、浪江でも野馬追いに参加していたが避難した人がいる
その一つが小高から鹿島区(北郷)に移住した人がいる、その旗が「御家」だったのである、もともと小高郷の人だったが北郷のものになった
そもそも北郷とは小高に相馬氏の城が最初に築かれてそこから見て北だから北郷に成ったのである、小高がもともと相馬藩の中心だったのである、その後に原町の牛越城とかに移り相馬市に移ったのである
だからこうしてそもそも歴史の保存がむずかしいかわかる、時代が変わり不測のことが起きて歴史が維持できなくなる、また新しいものを注入しないと維持できなくなる
地元でも何か毎年同じであり不満も多いからである
それはみんなか参加できないものだからである
青森のネブタ祭は誰でも衣装を借りてハネトになることができる、参加型の祭りだからである、そこでは民衆の熱気があり祭りが盛りあがるとなる

野馬追いの見方の一つとして視点として侍に注目しているが実は馬が注目される祭りなのである、馬はもう見かけない、馬を見るのはテレビで見る競馬くらいなのである
馬は日常から消えたのである、でも戦前までは馬は農耕馬としてあり活きていた
それで農耕馬が野馬追いに出ていた、それは競馬の馬ではないから細身でなくとても早く走れる馬ではなかった、今は10万で競馬の馬を借りて野馬追いに出ている
確かに早く走る馬を見ると迫力がある、でも馬と人間が一体だった生活は喪失した
それで馬にまつわることは伝説化してしまった
馬を身近にみることができないのである、接することもできない
でもこの辺では野馬追いがあるために馬を飼っている、だから馬に親しむとういことはある、少女が馬の顔をなでるとかしていた、そうして馬と親しむと情緒が養われる
ペットのようにもなる、そうして曲がり家で馬と一緒に暮らしていて馬と結婚した伝説が生まれた、それだけ馬と人間は一体だったのである
その馬にしても大平洋戦争では軍馬を使っていて馬を飼っていた
太平洋戦争だと馬に乗って兵隊が南京とかに入場する写真が残されている
馬がその時は軍馬として活きていたのである
だから軍馬を祀った寺もあった、また馬頭観世音が本当に多い、これも馬で物を運んでいたからである
それでいたるところに馬もご苦労様でしたと供養したのである
それだけ馬とのかかわりが日常的にあったからそうなった

つまり野馬追いというとき侍に注目するが実は馬も生き返る祭りなのである
だから馬がいななく声をこのとき聞ける、馬が主役にもなる、それで雲雀が原でも馬があれだけ結集すると壮観になる、戦国時代を彷彿とする絵巻物となる
必ず落馬する人もいる、馬が必ず勝手に走り回る、落馬は必ず交通事故のようにあったからだ、野馬追いの維持とは馬が生き還ることであり馬の祭りでもある
そこに注目すると必ずしも人間側の侍にだけ注目するのではなく馬に注目する
馬を活かすことになる、ただ今馬が活きているのは競馬だけなのである
これはギャンブルでもあり日常的には馬は活きていないのである
だから何らか馬が活き還ることも考慮すれば祭りとして維持できるかもしれない
それををとするのかとなると小高とかでも荒地化した所に馬を飼うとかする
そこで馬が駆けているのを見ると気持ちいいとなる

何か馬と言う時、私は電動自転車に乗っている、これはいいものであり悪路でも行く
馬力がある、だからある程度馬にも似ていると思った
神旗争奪戦で旗をとり本陣めがけて一気に馬で登る、あそこは迫力がある
あのような坂道を馬が良く登れるなと見る、馬はそういう能力がある
マウテンバイクとも似ていると見たのである
ともかく野馬追いは果たしていくら歴史の保存でも維持できるのか?
千年つづいたとしても維持できのか?やはり侍だけの祭りではない、民衆が参加しないと維持できないのではないか?
新しいものを注入しないと維持できないのではないか?
それは地元の人達も思っていることである、でもそれがむずかしいことはyoutubeの放送でもわかる

例えば旗でも新しい旗を作ってもいい、会社の旗でも何か新しい旗でも作る
古式にのっとるものと歴史を保存するものと併用する、そして馬が活き還る祭りとして
伝える、だから確かにモンゴルとかアメリカでも牛を追う馬に乗ったカーボイいてそれらと共有するものがある、外国にしろ馬とかかわりが深い、でも馬というのは世界的にも
活きる場がなくなったのである、移動するもにも車であり馬は必要なくなったのである
だからこそ馬を活かす場が必要でありそれが野馬追いだともなる
そういう視点からも野馬追いは見るべきだとなる、そこに野馬追いを維持するコンセンサスがあるともなるからだ

今回の野馬追いは350騎は少なかった、普通は450から500出ていた、100少ないと何かものたりなくなる、迫力がなくなる
野馬追いを維持できるには約500騎が必要だとなる、神旗争奪戦でも少ないから迫力がなくなる
でも数を維持することもむずかしい、小高区が原発事故で離散したのでその影響もあった
浪江でもそうである、原発事故は何か家の歴史とか相馬藩の歴史も断つような大きな影響があったのである
その象徴が小高区の「御家」の旗だったのである、それはもともと小高に住んでいて歴史を継承できるものだったからである
こうして歴史を保存することはいろいろ変化するからむずかしいものになる

旗とりて一気に上る本陣へ馬とともにし誉れなるかな

人馬一体であり馬も誉れを受けたのである、それが野馬追いなのである、神馬も出るから馬祭りでもある

posted by 老鶯 at 10:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 野馬追い関係
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