2022年08月02日

日本は法治国家ではない、すべて多数で物事が決められるの? (政教分離も有名無実であり危険なカルトに支配されかねない)


日本は法治国家ではない、すべて多数で物事が決められるの?

(政教分離も有名無実であり危険なカルトに支配されかねない)

人の本性を悪であるとし、人の善性に期待せず、徳治主義を排斥して、法律の強制によって人民を統治しようとする法治主義によって統治される国家のこと。

法律を絶対として人を治める法治国家である、でも法律が絶対的なものかとういとそうでもない、なぜなら法を扱うのは人でありその人が法律通りにするかというとそうはならない、法律は数式のようにもなる、自然を見る場合でも科学は数式でありそれで納得する
ただあいまいな根拠で一方的なものとなると誰も信頼しない
重さを計るにしても計量器で計り数字が出て納得する
だからだいたいこれくらいの重さですと言っても納得しない、だから法律とは数式のようなものなのかとなる
なぜなら機械の方が人間より信用できることがあるからだ
機械は偽らないことがあるからだ
それがこの辺で起きた原発事故でそうだった、モニタリングポストの下の土を削って故意に低くしていたのである

それを見ていた人がいて告発した、私もその回りを計ると倍くらいの放射線量だったのである、それをしていたのは大成建設とかだったのである
それは政府ぐるみで行われていたのである
大成建設が勝手にできない、政府の支持でしていたからである
だから政府そのものが嘘をつくし権力があるから大成建設とかゼネコンに命令できるとなる、そしたら一体誰が罰するのかとなる
それは裁判所になり現実に東電でも過失がありと判決があった
それで賠償金を払いとなったのである

法律が絶対とはならない、第一弁護士でもただ相談するだけで百万の金をとったのであるそんなことありえないのだけで頼んだ人は弁護士を知っているとかでそうなった
これも法律違反ではないか?弁護士が法律を守らない、政府でも守らない、大企業でも守らない、となれば法律は有名無実になる、また法律にも抜け道があり解釈がいろいろありそれで法そのものが絶対的なものではない
そもそも法律の始まりは宗教だったのである、モーゼの十戒がその始まりだった
これは神から授かった厳命だった、特殊なのは形をあるものを神となるなという偶像崇拝の禁止だったのである、ただではこれが法律化しているかとなればしていない
信教の自由となれば何を拝んでもいいとなっているのだ
イスラム教とかキリスト教とかではアブラハムを祖として同じルーツがあり偶像崇拝を異常に恐れているのである、そこは共通しているのである
そして無神論は許されない、つまり法律でも無神論主張すれば殺されるとなる
でも言論の自由がある民主主義社会では許されるのである
結局民主主義社会の問題はあらゆるものが何でも自由にしたことなのである

そこから様々な問題が生まれたのである、あらゆるタブーがなくなった
性のタブーでも同性愛でもなんでも自由であり何かそこからわからないにしてもサル痘が生れて来たとかなる、またあらゆるものが自由だとしてヒト、モノが外国でも出入り自由になった、そのためにウィルスも自由に入ってくるともなった
なんでもあらゆることが自由だということの弊害が出てきたのが今問題化したともなる
グロ−バル経済でもそうである、公平な自由市場の世界経済など実際は成り立たない
だからアメリカの一握りの人間が世界の富を収奪してとんでもない格差社会になったのである

今必要なのは自由を制限すべきだ!

人間にあらゆる自由はありえない、それがどうなるのか?大きな災いが世界的に起きる
現実に起きている、宗教も自由だ、信教は自由だと主張する
でも現実に政教分離があるのにそれも守られないのである、法治国家なのに法を守らないのである、そのことから統一教会問題やカルト教団の問題が起きた
創価などは明らかに政教分離に違反していても取り締まることもできない
もしかしたら法務大臣にすら公明党がなりうる、現実に公安委員長が統一教会と通じていたことでもわかる、カルト教団が権力の中枢に入りこんで政治を操作してくる
莫大な金が宗教を通じて韓国に貢がれていたのである
宗教は宗教ではない、金を収奪するための方便であり目的は金であり権力に影響して操作することだとなる
政教分離とかは有名無実なのである、政治家も票になればいいとかなり無視しているのである、法治国家ではない、そして民主主義もここにも法律が上として適用されればいいのだがしていない、法律より上なのが選挙である、選挙で勝つものが法律は無視してもいいともなる、そして民主主義でナチスが政権とって大惨事となったのである
日本の戦争でも同じではないにしろ似たようなものがあった
天皇が神となり日本は神国で負けないとなり戦争が苛烈なものなり一億総玉砕までなりえたのである

宗教は現代文明では病理的現象として現れたのであり過去の宗教とはまるで違ったものなのである、大衆洗脳宗教なのである、大衆ファシズム宗教なのである
だからこそ選挙が権力を得る為のものとなり統一教会でも創価でもそれを最大の仏法の戦いとしているのである、統一教会を批判するけど自民党は創価と一体化しているのだからまさにカルト政権ともなっている
ただ統一教会は表に出なかった、隠されていたが自民党の中に深く入りこんでいたのである、だから外国勢力が宗教を通じて他国を乗っ取るとか警戒されたものもわかる
外国のスパイが宗教団体を通じてはいりこみ操作するからである

いづれにしろ政教分離の法律にしても有名無実である、そうして制限制約されないことはどうなるのか?、また同じ道を行くことになる、日本帝国現人神戦争とかナチスの戦争の再現なのである、現代社会が大衆社会だとするとき数が権力だとするとき民主主義社会もまた数で決まる、数で決まるとういことは一人二人の賢者の声など簡単に抹殺される
大衆の数ですべてが決まる社会である、赤信号みんなで渡れば怖くないとなる
だからもう自由主義とか民主主義とか世界が自由市場のグロ−バル化でも限界にきているもはや統制できないのである、かえってあらゆる自由はアナキーになる
それはアメリカでも起きているし世界中で起きて来る、世界市場などでも公正ではない
そこでグレートリセットが起きるとか言われるのもそうである
とにかく人間はそもそもタブーとか否定してきたけど人間にあらゆる自由はない
それはカオスとなり統制できないものとなり混乱になりバベルの塔のように崩壊するとなる

宗教というとき信教の自由があり制限できないとなるがこれも規制するべきなのである
カルト教団を野放しにした結果として統一教会問題がありカルト教団で苦しむ人達がいるだからこそ政教分離を厳格にして信教自由を維持することが課題となる
創価のように公明党が国土交通大臣になっいること自体が最大の政教分離に違反している宗教団体は国からいかなる特権を受けてならないとしているからだ
その最大の特権を受けているのだから法律違反でも自民党は法律を守らないのである
肝心の政府が法律を守らないとしたら誰が法律を守るのか、弁護士だって法律を守らないそうなるとこの世はアナキーとなり戦国時代にもなる
ともかく大衆を扇動してもいいからナチスのように権力奪取して支配することだとなるからだ

でも奇妙なのは法律を作るのが国会であり議員であり議員は選挙で選ばれる、だから選挙で勝ちさえすれば多数になればどんな法律でも作れるともなる
創価公明党多数になれば国立戒壇も可能になり創価が国民を支配するともなる
そもそも法律は多数によって決まらないものなのである
宗教とはそういうものである、人を殺してはならないというとき多数決でそれは決めるとしたらどうなるのか?多数決で法律が作れるのかとなる
だから法治国家がどういうものが理解していない、法が最高の権威としても現実は司法も国会議員によって決められるとしたらそうはならない
それでナチスが生れたことを知るべきである、多数は正義でも法律に叶うものではない
でも多数ですべて決められるとしたら別に法律などいらないのである
つまりそういうことを国民も理解していないのである

天皇の象徴天皇であり戦後は国民の総意でその地位にあり権威があるとするのも変なのである、国民の総意が総意とは何なのか、ただ数が多いというだけなのである
天皇の権威はそもそもそういうものではない、そもそも政教分離なら天皇も日本からなくなるかもしれない、皇室はヨ−ロッパのようになくならないにしても最高権威とはならないとなる、では最高権威に成るのは何かとなれば選挙ですべて数で決まるとなってしまうのである、だからこそカルト教団ではどんな人でもいい、一票に結びつく運動を創価でも選挙の二年前からしている、毎日数を集める運動なのである
でも別にそれは法律違反でもない、政教分離で罰せられることもないのであ
そうして結局数ですべてが決まるということはナチスの再現となる

そこに自由市場とか民主主義とかはもう限界にきて結果としてアナキーになりカオスになりそこで権力を握る者は武闘で決まる、殺し合いで決まるともなる
それがアメリカでも起きている、カルト教団でも実質武装するということもありうる
オウムがそうだったし創価でもそうである、、なぜなら創価とは一つの軍隊組織になっている、隊長とか参謀とか軍隊組織なのである、武闘集団でもあったのだ
寺というのも僧兵がいたし武装集団でもあったのと同じである
だからこそ時の権威の武士集団と衝突して権力争いになり信長が僧侶を大量虐殺したのである、それは寺が城であ僧兵がいる武装集団だったからである

とにかく大きな時代の変化がきている、規制のものが崩壊する破壊される
自民党も安泰ではない、新しい勢力が出てきて変わる、日本は実際は戦後70年間自民党政権一党独裁とたいして変わりなかったのである
一回くらい政権交代があったとしても自民党一党独裁は変わらなかったのである
だから野党がだめなら自民党が二つに割れるとかして新しい政党となり出直すとかならないないと日本の再生はないとなる、あらゆる方面で改革が望まれている
でもそれが成されないと日本はますます衰退して沈没してゆくだけだとなる

死後に神の裁きがある

こういうときやはりこの世で悪は裁けない、人間にそもそも裁く能力がない
なぜなら人間はみんな罪人だからである、だから奇妙なカルト教団の教祖とかである
あたかも神のようになって人を裁いている、地獄に落ちるとかで恐怖を与えている
その本人がサタンになっていることでもわかる
この世とは誰が悪人かわからない、大悪人が大善人にもなっている
そしてとても人間を裁くことを人間はできない、そこには隠された悪も膨大にあり裁くことなどできない、その最たるものが神の子キリストをローマの官吏が死刑にしたことでもわかる、そんな権威があるのかとなる、この世とは神の子が裁判にかけられ死刑にされる場所でもある、そうだからこそこの世の人間が裁くことはできない
死後に罪が明るみに出される、この世で隠された罪が白日の下にさらされる
これも怖いことである、何か悪いことしましたかと自分で思っていても隠された罪が明るみに出される、その時反省しても遅いとなったら怖いのである
そうならこの世で罰せられた方が良かったともなる

ただ死後のことは誰もわかないし見ることもできない、でもカルト教団などは宗教詐欺罪になるからその罰は相当に厳しいものとなるかもしれない、そんなはずがないと言っても明らかにされる、この世とは何か悪が隠されまた栄える場所としたら不公平になるから死後裁かれるとなったのである、だから法律とかでない、この世の権力者でもない
神を畏れよということはそのことである、裁く能力を持つのは神しかないからである
ただみんなが恐れているのはこの世の権力者である、でもこの世の権力者もまた罪があり裁かれる、それも権力のない者より苛烈な罰が与えられるともなる
恐れるべきは神であり人間ではないとなるが現実は死後のことなど関係ないとしているのが人間である、いづれにしろ聖なるものの濫用は相当に罪が重い、ただこの世では裁かれないからかえってそれで成功する人は危険である
そもそも宗教で成功すること自体危険である、なぜならこの世で成功することはまさに
この世で力を得て権力を得るとういことだからである
だからこの世で成功した宗教は実際は失敗した宗教だともなる、そこに金が集まり人が集まりそして巨大権力化してこの世を支配する、それこそそこはサタンに乗っ取られたとなる、それがこの世なのである


posted by 老鶯 at 16:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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