2022年08月06日

昔の暮らしを俳句から偲ぶー明治の貧困を今と比べると・・・


昔の暮らしを俳句から偲ぶー明治の貧困を今と比べると・・・


「殺し掻き」は木が枯れるまで漆を採取し尽くしその後は切られてしまうところからきているようです。
採取された漆は「血の一滴」と呼ばれています。木が傷を付けられ、修復のために流した樹液なので、漆は一滴一滴を無駄にしないように大切に使われています。

谷深うまこと一人や漆掻き

翁住んで壺の漆を干しにけり

漆掻く山に通草(あけび)の赤きかな

(河東碧悟道)

漆はJAPANと外国で言う、陶器はチャイナで中国である、漆の製品は外国と特別重宝された、その漆の技術は縄文時代から始まるから本当に古い、だからどうしてそういう技術を知ったのかとなる、たいがいは中国から入ってきたからだ

漆(うるし)とは、日本、中国、朝鮮半島ではウルシ科ウルシ属の落葉高木のウルシ(漆、学名: Toxicodendron vernicifluum) から採取した樹液であり、ウルシオールを主成分とする天然樹脂塗料および接着剤である。その他ベトナムなどの東南アジア、ミャンマー、ブータンにも成分や用途は異なるものの一般的に漆と呼ばれる天然樹脂が存在する

ウルシという言葉はやはり中国から来たのか?ウルシの木があるから古くから漆塗りは始まっていた、ただ日本で一番古くからウルシは使われて日本の特産品となった

なぜウルシのことを言うのかというと私の家の前で漆塗りをしていた家があったのだ
だから身近だったのである、いつも漆を丁寧に塗っていたからだ
何かその頃石屋とかも近くにあり石を一日削っていた、また篭屋があり竹で篭を編んで作っていた、子供の時そういう仕事を見ているとその仕事に親近感を覚える
そして近くの山に入った時でも漆の木がありうるしにかぶれるとか騒いでいたのである
漆はその頃身近なものとしてあった、でも漆を製品化することは相当な手間だった
手作りであり外でも着る物でも機織りでも手仕事であり家で機織り機があり織るおとは手間である、つまり昔は機械で大量生産できないから一つ一つ手作りだから手間でありそうして作られたものは貴重である

今はいくらでも商品があるがその商品がどうして作られているからわからないのである
だからユニクロの製品が貧しい国の労働者が作っているとかその労働も過酷だとかなり問題になった、でもその現場を見ることができない、何でももはや物を作っている現場を見ることは現代ではできない、フィリピンのバナナを作る所で日本人が働いたらその労働がきつかったとか報告がある、そういうことは全くわからないで商品を買って食べているのが現実である
だから物を貴重に思わないから無駄にして捨てるともなる
どうして生産しているかわからないからだ
ただ大工さんに地震で壊れた所を直してもらったりして補助役をしてその苦労の一端がわかる、その大工さん異常に苦労なんだよというから困るが確かに苦労していることが実感としてわかる、でも今人間の仕事が多岐に分岐して理解できないのである
まず仕事を身近で見ることができないからである
だから過去の仕事がどういうものだったか偲ぶ時俳句とかでも役に立つ
文学とかも実地の実際の生活を離れてありえないからである
そして一時代が過ぎるとそうした仕事がなくなったりするから余計にわからなくなる
紙漉きという仕事でも冬に行う、冷たい水を利用するから辛い仕事だったとなる
するとその紙は貴重なものとなる、それだけの労働の結果として作られたからである
でも今は紙なんか大量にあるから捨てるとなる

まず野菜にしろ農作物でも畑じ実地にしている人を見たらいかに大変かわかる
その女性は結果的にはほとんど収穫がなかった、ただネズミに食われた、道具が盗まれた畑をうなってもらって金を払ったとか肥料代がかかり実際は金をかけてもとれたのはほんのわずかだったのである
苦労ばかりで収穫はほとんどなかったのである
そのことで農業とは大変な作業であり簡単に実りにはならないことを知った
何か生産者の立場がわからないのである、私自身でもプログに毎日文章書いているけどこれも手間なのである、最近キーボードを打ちつづけて肩の所が痛くなったのである

そこに力が入りそうなった、それは職業病でもある、体の一部を使いすぎてそうなったのである、つまり何でも文章でも生産する側になると手間であり苦労がある
ただ知的なものはかえって文章を読む人が苦労することはある
芸術だと鑑賞者が優れていないと作品を活きないのである
ただ最近わかったことは何かを本でも理解するには何回も読まないと理解できない
何回も読んでいてその人の言いたいことを納得するとなる

とにかく人間は昔をどうして理解するのか、これはやはりその人の経験が大事になる
経験していればイメージできる、だから子供の時の経験は貴重だったのである
裏の堀で洗濯していたとか今では信じられない時代だったからである
水道でもガスもない、電気も裸電球一つくらいしかない時代である
燃料は炭だったから江戸時代と同じだったのである
そういう時代は今は経験できなくなった、余りにも変わりすぎたのである

漆掻く山に通草(あけび)の赤きかな

通草(あけび)の実は割って食べていたのである、ただ赤いというのは花のことだろう
子供のころは風呂のたきつけの落葉を拾ってきたりとか原始的生活だったのである
水道もなかったから井戸水であり街には井戸がない人は井戸水がある家にもらいに行っていたのである、それは無料だったのである
人間の生活は戦前までそういう生活であり江戸時代のつづきだったのである
それが高度成長時代から急速に変わってしまったのである

現代と過去の仕事の相違は地元で働く人が少ないのである、昔はほとんど地元で働いていた、農業であり漁業であり林業であれそうである、大工であれ建築工事関係でも地元中心に働いていた、今は地元ではなく遠くへ働く人が多いのである
足場の仕事の人は最近横須賀の方に行ったとか前にでも青森に行ったとかある
運輸関係でもトラック運転手などが結構多いし出合うのである
現代の仕事は運ぶことが多いからそうなる、特に通販時代になると運ぶことが多いから
その仕事にたづさわる人も多くなる

六号線トラック休む夏の雲

何かトラック運転手だった人が足悪くしたとか自転車で近間を回っている、その人と良く合うのである、その人が働いていたときはまさにこんな風景だった
俳句でも文学でも必ず時代を反映する、戦前とかまでは馬車が多かった

馬車屋とかもあった、馬車で荷物を運んでいたのである、リヤカーも利用した、でも一番重い荷物を運べるのは馬車だったとなる、それで子供の時馬車の後ろにのって遊んでいたりしたのである、だから馬に自ずと親しむということがあった
この辺では野馬追いがあるから未だに馬に親しむことはある
でもその頃は生活の中で馬が不可欠であり人間とともに活きていた、

元々甲州街道の中には上下の高井戸宿があったそうですが、その間を埋めるように新しい宿ができたので新宿と名前がついたそう。
四谷新宿馬糞の中、、」と書かれているので四谷新宿は馬糞が目立ってしょうがないところだということがなんとなくわかります

鳴雪の句「新宿や馬糞の上に朝の霜」

新宿となると江戸時代でも人通りがある、馬も来る、だから馬糞が目立つ、この辺でも野馬追となると馬糞が目立つのである,インドだと牛の糞を干して燃料にしたりする

菜の花や馬車をこぞりて下る人

馬車にのせられて人達が一気におりる、その数は多い、菜の花と馬と人間がいる
そういう風景は絵になり詩にもなる、でも車時代になるとそういう人間的風景が失われたのである、だから私は車は好きではないのである
車にとって自転車は邪魔物であり歩行者すら邪魔者となっている、それは自転車は道を急に横切ったりするからである、また自転車からしても車は相当に危険なものなのである
特に後ろから来る急に来るから危険なのである

とにかく馬頭観世音の碑が多いのは戦前までは戦後ですら馬車が荷物を運んでいたからである、その供養のためにいたるところに馬頭観世音がある、それはまさに馬の時代だったことを象徴していたのである、新宿でもそんな時代があったことなど今になるとイメージすらできないのである

昔を知るという時、やはりいかに貧乏だったかを知る、それは今の貧乏とはまるで違ったものである

水買うて分かつ蜆(しじみ)や隣同士

隣から薬草くれぬ蜂の毒

(河東碧悟道)

隣同士でこうして物の分かち合いがあった、貧しいから互いに助け合うことがあった
薬草というとき薬ではない、野の薬草をとって分けていたのかとなる、そもそも薬は高いものだから簡単に買えない
今でも金がないと薬も買えないし医者にも行けないとかなる、日本が貧困化してそういう人も増えているのである
蜆というとき真野川で結構蜆がとれていた、私は蜆を暇なのでとって家族とともに食べていたのである、大きな蜆もとれていたのである、津波以後はとれていないが今とっている人をみかけるが少ない、そういう思いでがあったとなりなつかしむ

当時の暮らしをみると

家賃日掛け 2銭

布団損料 3銭
薪小束  一銭五厘
計り炭  一銭
醤油   一銭
たくわん漬け一切れ 5厘
塩魚    二銭
酒コップに一杯代 一銭五厘
白米一升  一四銭

(明治東京下層生活誌ー中川清)

明治の暮らしの家計簿である、これで思いあたるのが家賃日掛け二銭というのは毎日家賃を払っていたのである
というのは私の父親は酒屋をしていて姉は毎日家賃をとりに行っていたということを聞いた、家を貸していたことがあった
父親の通い帳というのが残っている、それは貸したものかもしれない、それでその貸したものをとりに回っていた、つまり酒を飲む金もなかったとなる、それで貸した金が払えないのでわずかの土地を得た、それが今でもかえって税金をとられている
その土地がどこなのかもわからない、これも変なのである
その頃質屋が多いのはやりくりするために多かった、何かを質にしてやりくりしていた
酒コップ一杯代が一銭五厘とは高いかもしれないからだ
一番高いのは白米一升で14銭である、白米は贅沢品だったのである

薪小束 一銭五厘とか計り炭 一銭とかは薪とか炭が燃料だったからである
たくわん漬け一切れ 5厘というのは高いのか安いのか結構高いのかもしれない
なぜなら私の母親は原町紡績に十年間糸取りしていて昼間の食事は味噌汁とたくわんとかあとなにかあったのか、一汁一菜なのである
だからそんな栄養で良く仕事できたなと聞いていた、醤油でも貴重だったとなる
布団損料とかあるのは布団を買えないで借りていたからだとなる
この暮らしは江戸時代の本当につづきである
私の父親は病気になり

サシミ食えるようになったが食いたくないと言って死んだ

これも悲惨だった、その頃店をして豊かになった高度成長時代の始まりだった
その頃バナナを売っていないので仙台市まで姉が買いに行って食べさせた
果物は高いと買えないというがバナナだけは安いから買えるのである
こうして昔を比べると貧困というのがどういうことか本当は今の人はわかっていない
確かに日本は貧しくなっている、でもその貧困の度合いが昔とは比べられない貧困なのである
ただ貧困の中で食べ物でも分かち合うことがあった、そこに人情があったとはなる
また馬と身近に接しいるから情が育まれてはいた、車とか機械になると情は育まれないからである、また隣同士で助け合うとういこともなくなった
すべて金となり何か物を分かち合うことはない、でも金はいくらくれても感謝もしないことがある、物だと物に憑くとか物に心がついて金とは違ったものになるのが不思議なのである、その物は今と違って相当に貴重なものだったのである

とにかく昔を知り今を知ることが大事である、今確かに貧困な日本になっている
では貧困とは何かとなると実際わからなくなっているのだ
今の貧困は電気ガス水道が止められることである、それが一番深刻なのである
でも昔は電気ガス水道もなかった、そこに金を払うことはなかった
ただ日々の食事をするだけで精一杯だったとはなる


posted by 老鶯 at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降
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