人間は育った家の影響が大きい
(農家に育った女性の話)
小高の70代の女性は花にくわしい、そして花の手入れができる、生け花もしていた
だからその心得もある、同じ年代で話しも合う、山羊を飼ってその乳を飲んでいたというその時私の父親は戦後まもなく牛乳がなく牛乳屋に並んでやっと手に入れていた
そして学校では脱脂粉乳を飲まされていた、それがまずかった、でも同世代だから話しが通じるとなる
その女性の家は石川県から越中の方からの移民が先祖だった、だから真宗で南無阿弥陀仏である、それで私は必ず墓地で墓を見ている、たいだい南無阿弥陀仏であり苗字は記されていない、・・家の墓とはなっていない、ただ墓誌には記されている
相馬藩では天明の飢饉で三分の一の人口が消失して欠け地が荒地となって石川県とか富山県とか越中の方から移民を受け入れた
当時人が移動することは簡単にできない、それで命がけでも相馬藩に移り住んだ
ではなぜそれほどまでにしてこの地に移って来たのか?
それは荒地でも土地が自分のものとして与えられることになったからである
三分の一の人口が減ればそうした荒地は誰のものでもなくなり与えられたとなるからだ
江戸時代となると今の状態とは違う、もともと空地荒地が多かったから余計に土地を得られということで移住したのである、でもここに移動するのが危険だったのである
相馬藩内では必ずそうした移民がいるからめずらしくはないとなる
その女性は何かハキハキしていろいろ知っている、でも夫を十年間脳梗塞になって介護したと言っていた、この脳梗塞になる人が多く他にもそういう人を知っている
脳梗塞になっても簡単には死なない、でもその介護は大変だとなる
近くの同級でも二人が脳梗塞になっている、一人は足が悪くなったとか一人はろれつが回らなくなったとか後遺症がある、一人は救急車で一命をとりとめたとかある
脳梗塞は後遺症があるからそれで苦しむ
その女性も具合が悪かったが回復したと言っていた
ただ小高で浜の方で家が津波で流された、そして今は原町区に移り住んでいる
孫もいて家族がいるからいいとなる
人間は育った家に相当に左右される、農家に育った人はやはり農業のことを現実に手伝っているから知っている、その知るということは本を読んだりして知っているのとは違う
自ずと肌で知っているとなる、体で知っているとなる、つまり農業でも体験しないとわからないのである
家の影響が大きいというとき事業をする人は経営する人は商売人の娘をもらいというとき事業は経営は家族ぐるみになるからそうなる、特に小規模の会社などは家族ぐるみになる、すると商売している娘は肌で商売のことを知っているから夫の助けとなる
やはりそういう場所で育ったから自ずと理解できるとなる
江戸時代までなら家業を受け継いでいたから仕事を選ぶことで悩むことは少なかった
そういう環境に育って受け継げばいいからである
でも向いていないことはある、何か農業を継ぎたくないと親と争い事件になったニュースがあった、それは日ごろ農業をみていてかえって嫌になったということもある
つまりその苦労が肌でわかるらか農業をしたくないとなったのだろう
人間は向き不向きがある、例えそういう環境に生まれても合わないということがある
だから医者の子供がみんな医者になるのは問題なのである
どうしても向かない人が医者になると後で患者でも迷惑かけることになるからだ
でも農家に嫁いだ女性でも全く農業を知らない人がいた、それはもともと農家であっても土地をもっていても夫は会社員になっていたし嫁も農業をしないからである
だから花のことでも関心がないのが淋しいとなる、何か生活感覚がないのである
農業している家の人は生活感覚がある、それで話を聞いていると興味深いとなる
戦後まもなくは農家の方が豊だった、なんでも自給自足であり納豆から油まで作っていたそして鶏を飼っていたから卵が食べられたのである
私の家では店をしてその卵を買うために農家に行かされていたのである
その時は農家が中心の社会だったのである、戦争の引揚者でも鹿島区なら小池とかに開墾に入った人を知っている、そこは街から近いのである
飯館のような山の奥ではないのである、でもそこに空いた土地がありそうなった
その時仕事がないから引揚者が全国で開墾に入った、でも厳しいから半分くらいは撤退したとかある
農業というとき実地に体験していなくても一応子供の時から回りが田畑なのだから見ている、それで話しを合すことができる
ただ牛を飼っていたとかなると馬でもそういう動物と親しくなることが理解できない
だから牛馬となると野馬追いとは違って日々の生活の中で動物にふれるのだから家族のようにもなる
youtubeとかでライオンでも虎でもワニすら助けて育てたとか子供の時からめんどうみたとなるとその人のことを忘れない、20年もたっても忘れなかったということでも驚く
動物でも情は通じていたのである、子供の時、ライオンでも虎でも熊でも一緒に育つと大人になっても仲間であり争わないのである
餌をやっていれば争わないのである、だから一緒に育てば血縁でなくても種が違っていても兄弟にもなるのである
ともかく戦後十年の体験は貴重だった、電気もガスも水道もない、食事は卵すら食べられない粗末なものだった、それで今日もコロッケ明日もコロッケというのをコロッケを食べて思い出した、つまりオカズがそんなにないからそういう歌ができたとなる
今日もコロッケ 明日もコロッケ
これじゃ年がら年中 コロッケ コロッケ
それだけ今のようにオカズの種類がなかったのである、これも同年代と話しして思い出したのである、でも戦後十年以上になると豊かになってきたから年代でも10年違うと相当に体験したものが違って理解できなくなるのだ
何か老人になるとこうして昔を語ることが仕事にもなる、でも忘れていることがあり
思い出す作業が必要だとなる、それで同年代だと話しているうちに思い出すのである
これは認知症になっても昔のことは覚えている、だから話しができないとういことでもないのである、ただ戦争のことを千回も聞かされたのには閉口したのである
小高の人は原町に移り住んでいるし鹿島でも相馬市でも移り住んでいる
ただ小高は小高とかなることもある、でも小高に帰り住む人は少ない、若い人達は流出した、それが何か遠くへ仙台とかまた東京の方に移り住んだ人もいる
残されたのは老人なのである、だからとても小高でも浪江でも双葉でも復興できるように思えないのである
そうはいっても復興するというときやはり人間の意志が関係している
意志とはwillであり意志があってこそ未来はあるとなる
復興できないとあきらめればもう復興はできないのである
でも老人の問題は体力も衰えるし気力でもそうである、それで農業でも継がれないのである、それでやたら荒地ばかりが増えているのである、耕作放棄地とか空家が増大しているのである
何か釧路辺りでも街が寂れている映像をyoutubeで見たし温泉街でもそうだし日本全体が縮小して寂れてゆく、この辺は原発事故で極端にそうなったのである
でも日本の未来が何か荒地化して空家化して廃墟化してゆくことの恐怖である
戦後間もなくのように引揚者が悪い土地でも開墾するとかはない
江戸時代のように越中の方から土地を求めて移民することもない、農業だけの世界ではないから昔のようにはならない、するとますます廃墟が広がってゆくとなる
人口縮小時代に入っているからである
だからコンパクトシティのような街作りになるのか、とても農業だけでは生活する時代は終わっているからである
農業といっても大規模農業は盛んでありそこはかえって裕福になっている
でも小規模農業は成り立たなくなっている、でも実際の食糧は大規模農業から供給されているのである、小規模農業は補助金を与えても採算がとれないのである
人間と牛でも馬でも一体化した時代を偲ぶと
山々かすみいりあいの
鐘はなりつつ野の牛は
静かに歩み帰り行く
耕す人もうちつかれ
やうやく去りて我一人
明治翻訳史の一断面
ー大和田建樹を中心にして―岡本昌夫
牛が大地の上にあり鐘がなり人間と牛は一体化する
自然の中にともにとけこむ、今は車とともにありそのために心までぎすぎすして余裕がない、車に明け車に暮れるともなるからだ、
つまり牛馬とともにあったとき牛馬も生物だから一体となる
それが今は暮らしのなかで消えた、飯館村には牛が飼われていたが牛肉の牛である
ただ牛がいるということでやはり動物と一体化する
それで十匹の牛に名前をつけていて覚えていたという
まさに牛でも名前がついていて人間化されていた
今なら人間は番号で呼ばれているのである、数字化されて索漠となる
そして車が常に縦横無尽に走り歩く人や自転車は邪魔物とされる
それも非人間的なことなのである、現代は情を育む環境がなくなっているのだ
機械時代になると人間の代わりが機械とかロボットにもなってしまう
それも必要でもそこに情は失われてゆく、そして人間は一票として数えられ一個の人間として見られるあることが現代ではできないとまでなっているのである
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