2022年09月16日

文系大学はいらない (職人なった方がましだーyoutubeで学んだ方がいい)


文系大学はいらない

(職人なった方がましだーyoutubeで学んだ方がいい)

アホ大なんかで数年潰してプライドだけ高くしちゃうより、高卒で頭柔らかいうちに技能を身につけるのもアリだと思う。
AIがなんちゃらとか言うけど、結局人が面倒見てやらないといけないんだし他にも人の手でしか回していけない仕事はたくさんある。
まだまだ職人は必要なんだよ。
アホ大入るくらいなら高卒で手に職つけたほうが賢いよね、みたいな風潮にすれば不必要な私大は潰せる

これはわかる、優秀な大工さんは15歳から大工修行していた
昔は18歳になると教えることはできないと職人になることは親方でも断ったという
つまり人間は何でも早い時期からスキルでも身につけないとできなくなる
それだけ時間が貴重なのである、時間はあっというまに過ぎてゆく、飛んでゆくのであるそして職業が人間を作るとういことがある、それでホイットマンは平民を職人をあらゆる働く人々を讃美していたのである
その大工さんも体でも仕事の中で作られていたのかとなる、もともと体の造りまで違っていたのかともみる、天性の職人なのかともみる

本当に文系大学よりほんの一部をのぞいて職人の方がましだとなる
理系だったら直接職業と結びつきやすいからである
文系はどんな職業と結びつくのか見えないからである
神学学んで牧師になるとかそんなのも変なのである、聖書でもそれをいくら読んでも実際はわからないからだ、経験しなければわからないからだ
だからプロテタントには牧師はいない、平民が直接神に結びつくのである
法学部とかると裁判官とか弁護士とか職業が見える、でも他はあいまいなのである

私は大学で何も身につかなかった、日東駒専だったからである
そもそも私は高校でもどうしてもなじめなかった、だから積極的に自ら勉強する気がなかった
それでかえって大学は勉強を強要されないので良かったのである
一日教室に閉じ込められることに耐えられなかった、また体でもそういう場所になじめないものだった、我がままといえばそうだが学校で勉強を強制されたから嫌だった
その後も会社とか団体生活でもなじめない、でも一時体育会に入った、それは体が弱っかたから強くしたいとういことで入った、それで何か積極的な姿勢が生まれたから良かったとなる、どうしても陰の性格だから積極性欠けていたからである
だからそういう点で大学に入ってすべては無駄とはなっていない

でも職業のスキルとか他に学問とかでもほとんど学ぶことがなかった
カルト教団に入ったがそこも教育などなかった、奴隷養成の場であり何の教育もない場所である、ただ正直今や大学でもそうだがカルト教団が増えたのはもう侍のようなエリート養成の場所がなくなった、教える場がなくなったのである
知識を教えるものがあっても全体的人格を陶冶する場は消失したのである
そして現代は必ず複雑な迷路に迷い込む、そこから抜け出せなくなる、そしてカルト教団のような所に迷い込む、それだけまともに学ぶがなくなった結果である

でもふりかえればただ貴重な時間を無駄にしたとなる

だからこそ職人の技を身に着けた方がましだったとなる、文系だと語学に熟達すれば仕事がある、ある人はドイツ人の技術者を火力発電所に案内していた
それは英語でしていた、つまり英語を流暢に話すことできれば仕事があるともなる
語学を身につけることは仕事になる、文系だとそこが専門職にもなる
でも大学では何か英語を習おうとしたができなかった
でも今はあらゆることで学ぶ環境ができたのである
youtubeの講義は解かりやすいと見ている、本だと文章を読むので疲れる
でも動画で図解で説明されるとわかりやすいのである
これは明らかに下手な大学の先生に教えられるより勉強になる
もう大学は知識教養を身につける場ではない、第一千人とか講堂に詰め込んで授業するより自宅でyoutubeでも何でも学んだ方がいいとなる
それはもう田舎でも可能なのである、どんな本でも手に入る、古本だったら自分の書庫もできる、どうしても一定の専門の本は揃えないと勉強はできないからだ

英語の勉強で失敗したのは

聞く能力を身につけることだった

それでテレビの英語放送でただ聞く練習を大学出てからしていた
それが意外と効果的だったのである、英語の音に慣れることが大事だったのである
つまり勉強の方法も大事だったのである、今なら無料でyoutubeで英語でも学べる
だから大学に行っても文系なら無駄だとも思った
ただ大学には大学の役目がある、何かそこで友達を作ったりとか人生を語るとかある
モラトリアムとの期間として与えられているとなる
でも正直そこに学ぶものがない、なぜ学生運動があったのかというともう大学はエリート養成の場所でもなくなっていた、つまり大衆化したのである
団塊の世代でもそこはエリートとして扱われない、無数の大衆の群衆の一人になっていたのである、文系ならまず授業すらまともに受けられない、教授とかなると何も教えない
時折顔みせるだけだとなる、だから大学は何する場なのだろうとなる

ただ4年間が遊びの場としてあり公認されているともなる
それも人生で意味がないとはなるが何かもったいなと思った
ともかく時間だけは容赦なく無情に過ぎてゆくのである
ただこうして大学が遊びの場になっているときそのまま遊びが人生になったという人がいるのもわかる、ギャンブルに興じてそのまま変な方向に行ってしまったというのもわかる私のようにカルト宗教にはまったとかにもなる
つまり大学の謎は教育する場所ではなかったのである
何か教育という機能が失われていたのだと思う
それより藩校とかが人格教育とが文武両道を教えていたからそこから明治維新でも人材がでてきていたとなる

なぜなら明治維新は民衆の革命ではなく侍が起こして成立していたからである
侍というのは江戸時代300年で培われて育てられた人達だったのである
真のエリートだったのである
でも明治にはその侍がいたが明治後期からはいなくなった
そして太平洋戦争になった、その戦争は国民化大衆戦争になった
それは外国でも同じである、ヒットラーのナチスがその最たるものだった
大衆ファシズムの時代になったのである
それまでは貴族がいて貴族が戦士であり戦争のプロでもあった、侍と似ていたのである
その貴族には城を館もっていて召使が大勢いたのと同じである
洗濯するものから食事を用意するものから婦人の身支度をするものとか分かれていたのである、まるで殿様だったのが貴族なのである
その貴族に使えていた人達もやがて別な職業につくようになった
侍と似ていることはその人達もエリートでありそこから国民を指導する人達が生まれたとなる、その階級制が今でもつづいているというのがヨ−ロッパだとしている
そこでは子供に家庭教師がついていた、そのためにやはり個性を伸ばすことができて天才が生まれたともなる
学校のようにな一律の教育ではないからである

いづれにしろ江戸時代には藩校がありエリートとして侍があった
明治になり学校化してエリート養成はなくなり教育でも大衆化した
現代ではもう教育する場所がないのである、そういう場が失ったのである
そうなるとどうなるのか?自ずと自分で自学しないと学べないとなる

そもそも強い学ぶ意志があればそういう環境がなくても道は開けるともなる
ただ受身的ではな何も身につかないのである
ともかく文系の大学はいらないとかそもそもなくなるともみる
youtubeとかででも無料で学べる時代になっているからである
大学の講義よりわかりやすいのである、これは本よりもわかりやすいのである
文系なら独学できる環境が整ったということである

教育はもう読み書きソロバンとかの時代ではない、思考脳、感性脳、遊戯脳、創造脳とかを育てることである、とても暗記脳とかでは何の役にもたたない、それはコンピュターが代わりにするからである
これも意外と天才でないかぎり訓練なのである
私自身は学問に興味がなかった、でも大学を出てから経験したり旅することによって地名に興味をもったりいろいろ興味をもってそれを育てていたのである
それは私は特別家族に恵まれていてそういうことをしていたのである
それは外から見れば遊んでいたとしかならない、でも今その成果を出しているのである







posted by 老鶯 at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など
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