2022年11月16日

南相馬市市議会選挙―民主主義が機能しなくなっている (前回も投票率が60パーセントくらい―無駄な議員は減らすべき)


南相馬市市議会選挙―民主主義が機能しなくなっている

(前回も投票率が60パーセントくらい―無駄な議員は減らすべき)


●議員の不満が多いのはなぜかー議員自体も成り手がいない

「町政与党に所属しているだけで、意見も言わず一般質問もせず、ただ集票のみの存在だけの議員がいることが地元住民から『議員なんていらない』という考えがなくならない原因なのではと思うことが多々ある」

議員の私個人の考えではあるが首長がしっかりしておられるかたであれば議会不要と考える…都道府県議会も同様と考える。特に県議会議員は金儲けである。多くの歳費以外に月額30万もの政調費を支給されているのはおかしいと思う県会議員は月に50万預金できるらしい話はたくさんある。
最近の地方自治法は首長に権限が集中するべく方向に改正されていく傾向にあり、議会の権能が低下しており議会不要への方向となっていることも事実である。首長が決定した事項を議会が変えることはほぼ不可能であることも事実としてある」

自分の地域の利害で活動するのなら議員は不要、自治会長会で充分」

県議会議員の報酬活動費が高すぎる。普通市の市議会議員はその半分以下、生活ができない。働きざかりの人はなれない、ならない。質の低下がひどい。

「市民から見れば『議会で、何の話がされ、何が決まっているのかわからない』状態がある。実際まちを歩き、声を聞くと、『議会がなにをしているかわからない』という声は多い。


議員なんて、もうやめたい
〜地方議員2万人アンケート

「地方議員が中央政党の使いっ走り、出先機関になり下がっている。選挙のときには『市民の声を市政に反映させます』と約束しながら当選すれば『政党の都合』を『市民』よりも優先させる議員が多すぎて、そのために、地方議会の改革は大きく滞ってい

地方議員になるためには、地縁・血縁・カバンが最重要で、資質・行動力・実現力が軽視されている」

日本の政治家の数、主に地方議員の数は大幅に減らすべきです。

そしてその方法とは、都道府県の廃止と市町村の合併推進だと私は考えます。
この件についての詳しい話はいずれ書こうと思いますが、都道府県を廃止すれば都道府県知事と都道府県議員がいなくなり、市町村が合併されれば市町村長と市町村議員の数を減らすことができます。

2018年)の同市議選は、定数22に対し24人が立候補し、現職17人、新人5人が当選しました。党派別では共産2、公明1、無所属19で、女性は1人(党派は選挙時)。投票率は55.91%でした

南相馬市長選 門馬氏当選投票率63.75%




●地方議員が中央政党の使いっ走り、出先機関になり下がっている

地方議員の問題はいろいろあり常に言われてきた、そもそもが議員が何をしているのかさっぱりわからない、関心もないからでもあるが関心を持たされないこともあるし何か要望があっても議員を通して実現されることもあまりないだろう
ただ身近な問題が常にある、この辺ではゴミを投げる場所がなくて困っている
その場所さえ確保されれば市ではゴミ箱を設置できるとしている
でもこれもなかなか私人ではむずかしいのである
回りと交渉しなければならないし合意しないとできないし誰かの所有の土地だからできない、つまり強制力がないのである
また回りでも烏につつかれたりしてゴミが散らばったりした、それを私はかたづけたりした、でも回りでもそもそせ関心がないのである
この関心がないことが結局民主主義を発展させないのである
何か個々人でも損害を受けるとかならないと関心がないのである
ただ介護とか病気になると切実な関心を持つようになる
でも議員に相談する人は少ないだろう、何かしてくれるわけでもないだろう
でも共産党とか公明党だと生活保護を優先的に市の方に働きかけてとれるとかはある

地方議員が中央政党の使いっ走り、出先機関になり下がっている。選挙のときには『市民の声を市政に反映させます』と約束しながら当選すれば『政党の都合』を『市民』よりも優先させる議員が多すぎる

共産党とか公明党は強固に国政にかかわり地方議員でも党勢を拡大して国政に国家権力にかかわることで運動している、公明党はそれより地方議員でも仏法の戦いとして位置付けていて政教一致の戦いとして地方議員を確保する
だからこういう党は地域としてはふさわしくないのである
地方地域になるとそれより日々の生活の中での要望を斡旋する仲介することが主な仕事になるからである
でも底辺層になると頼る人がいないので頼るのである

何かわからなかったが創価とかなると市会議員に家族がなって今度は中央の本部に就職した人がいる、その人は家族ぐるみで一体化して国政にかかわる、、政教一致にもなる
地方議員もその駒として働くとなる、確実に公明党と共産党は地方議員でも国政が主体であり地方議員はそのためにある、党勢拡大とか公明党になると宗教とも一体化した政教一致であり会員を増やす手段としてある
公明党とか共産党の最終目的は権力奪取だからである
創価だと仏教による革命であり、共産党になると共産主義の革命であり権力を得るために運動しているのである
でも地方議員となるとそうした国政にかかわることではなく、地域地域の問題に要望を聞いてそれを解決することにある、その一つはゴミの処理問題だったりするのである

驚いたのは全国の衆議院参議院選挙でも投票率が50パーセントくらいであり市会議員となればもっと身近だから高いと思った
でもは60パーセントくらいしかないのである、こんなに低かったのかと驚きである
何か地域でも関心がなくなっているのは何か要望があっても聞いてももらえないし何にもしてくれない解決してくれないとかあきらめているからである
私自身も投票する候補者がいないとなる
つまり議員とは頼りにならない存在なのである、ただ金だけを税金でとられるとなっている、でも逆に町村になると報酬が少なくてやっていけないと議員になる人が減っている
そもそも議員に仕事として魅力を感じなくなっている

●議員の成り手がいない、議員に魅力が感じられない

仕事というとき何でも達成感があると生きがいになるやる気がでてくる
それは別に報酬がなくてもそうなのである、だから議員でももともとは金持ちがボランティアとして名誉職としてしていたのである、金の報酬はなかったのである
かえって選挙運動すると金がかかっていたのである
だから実はそういう人こそかえって向いていたともなる
なぜなら金をもらえるとなると必ず金に注目する、すると本来の目的とは違ったものとして仕事することにもなる
それは芸術家でも金のために絵を描いたり何か詩でも書いたり物を作るとなると金が欲しいとういことが優先されるとかえっていいものはできないのである
金によって惑わされ本来の目的からはずれてしまうのである
私は金が欲しいために議員になりかいとかなったらおかしいのである

宗教となると金をもらうためにお布施をもらうために僧になりたいとか牧師になりたいとなったりしたらおかしいのである
でも現実はそうなっている場合がある、だから常に金によって人間は歪められるのである
そうは言っても現実に議員になりたくない人が多いというとき何か議員の仕事に生きがいを感じないからそうなる、何か達成感がない、芸術家だったら別に金にならなくてもいいものを作ろうと懸命になる、職人でもそうである、それが生きがいとなる
ただ民主主義の基礎として地方議会とか地方議員がいるとしてそこは草の根民主主義になるから重要だともなる
でも現実にはそうなっていないから投票する人も議員自体もやる気がなくなっている
実際に権限があり決めているのは市町長村長だというときそうである
議員自体で何か権限があって決められることがないからそうなる
でも原発とかなると市民であれ重大なことだった、でもそのことでどんな議論をしていたのか議員がどんな発言をしていたのかその時はやはり関心がなかった
それよりもう市民でも町民でも原発に反対する人などいないのだからそんなことをすることもなっかともなる

だから新潟県の巻町で町民が議論して反対して原発を拒否したことは稀有なことだったのである、その時新潟日報とかも反対して協力していたのである
何か重大なことが地域である、命にかかわることがある、だからその時議会とかが必要でありそこで議論する、それが民主主義だとなる
でも議員は権限がないから国ー県ー市町村となりただ国の命令に従うだけだったとなる
まともに議論すらしていないのである、そして福島県では福島民報でも県で株を50%を持っているとかなり県の広報機関だったのである
そうして原発は素人だとわかりにくい、専門家の言うことに反論できないから安全神話が作られて誰も事故など起きないと思うようになったのである
でも巻町のように町民で議論して新聞社でも応援して止めることができたのである
そこでは民主主義が機能していたとなる
民主主義とは過程にあり完成することはない、国民でも市民でも民主主義を促進していかなければ民主主義自体が崩壊する、それはアメリカでも民主主義の危機になっているから日本でもそうなる

●広域化する社会に対応ー飯館村は南相馬市と合併するべき

日本の政治家の数、主に地方議員の数は大幅に減らすべきです。

そしてその方法とは、都道府県の廃止と市町村の合併推進だと私は考えます。
この件についての詳しい話はいずれ書こうと思いますが、都道府県を廃止すれば都道府県知事と都道府県議員がいなくなり、市町村が合併されれば市町村長と市町村議員の数を減らすことができます。

これは飯館村の選挙で議員に立候補した人に聞いたりしたら応援している人がよそ者はかかわるなとか言われた、つまり議員というのはおらが村とかおらが町とかだけになる
でも今回の原発事故で飯館村から放射性物質のフレコンバッグが破れて放射性物質が流れ出した、それは南相馬市と川で結びついているし土地が結びついているのだから村意外のよそ者がかかわるなとはならないのである
でも別に一票がないのだから相手にされないとなっていたのである
ここでいかに地元であれば一票持つことか重要なことがわかったのである
もし一票をもっていればこんな扱いにはならなかったからである
それは浪江町とか双葉町から避難した人々に言える、南相馬市に移住しても選挙権がないのだから何か要求する権利もないとなる
でも小高の人が避難してきたとき鹿島区に住んでいる議員が応援していたのである
南相馬市と合併したからそうなったのである、一票の権利を持っているからである

議員がいらないというとき多いというときやはり現代は広域社会になっているからそうなる、もう昔の村のような狭い範囲で生活していないからである
広域化グロ−バル化もしているから議会でもそうならざるをえないのである
おらが村の町の感覚では成り立っていない社会だからである

飯館村ももう南相馬市と合併するべきだ!

今やもうそうならざるをえないのではないか、とても飯館村だけはもう成り立たないのである、財政的にもそうでありもう飯館村自体が消滅する危機にもなっいるからである
もう飯館村の議員はなくして南相馬市の議員とする、そして議員を減らすのである
もともと飯館村は鹿島の屋形で鎌倉から移り住んだ岩松氏が支配していた
だから相馬藩内でもあり歴史的地理的一体感があるから違和感がないからである
そしてもう議員に払う金も自治体にはなくなる、それで消滅する自治体のことが常に語られているのである、それでどうしても広域的に合併せざるをえないのである
つまりもう税金の無駄はできない、コンパクトに縮小化する社会になるからである
今までのような無駄な金は使えないのである
だから少数精鋭で自治体も議員でも運営する他ないのである


posted by 天華 at 17:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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