南相馬市の海老の宝蔵寺の紅葉(紅葉、冬桜、銀杏、椿、冬あたたか)
(冬の日に海老ー八沢浦−磯部ー原釜ー相馬市へ)
御刀神社(右田)
海老村の宝蔵寺の紅葉
冬桜がめずらしい
原釜
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古寺に大石重し冬桜
古寺に大石数個紅葉映ゆ
冬桜紅葉の映えて古き寺
黒橋に紅葉の映えて城下町
人も見ず家々静か冬の蝶
黄金色に銀杏かがやく朝の日や椿も赤く映えにけるかな
重なりて色合い深く紅葉かな池に映して石の黙しぬ
八沢浦津浪に消えし家の跡我がたずねて冬の日あわれ
高台に海の見えつつ船の行く磯部の村の冬の朝かな
原釜に鴎の群れのあまたかな冬あたたかに船も帰り来る
右田の御刀神社の銀杏を見た、この銀杏はそれほどのものではなかった
この御刀神社は物騒なものなのである、なぜなら蝦夷征服と関係していたからである
刀というのはここで刀を突きさしたとかあるからだ
これは物部氏だったらしい、海老とエヒであり蝦夷のことなのである
海老には最近海に面する崖のところで古墳が発見されたのである
他に古墳が発見されている古い場所なのである
烏崎村より古いのである、古墳があれば古いとなる、ただ古墳でも埋もれている所がありわからないものがある、海老辺りはわからないのである
確かなことは古墳時代から人が住んでいたのだから古いのである
もともと港であり漁港でもあった、だから魚をとったり貝をとったりとか海に面して生活していたのである
八沢浦では二軒ほど津波で流された家の跡をたずねた、ここには石垣があり結構高いように見えるがあの津浪では軽く越えて流された
何でも恐ろしいのは津波が八沢浦とか海老村とかで渦巻きのようになっていたという
その光景を見たら恐怖である、海老村では海岸に接した高台が避難所に指定されてそこに逃げて30人くらい死んだのである
そこは確かに高いのだが海に面していてその高台まで津浪が来たのである
それで右田の松原のある家の人がここまで逃げてきたのだが九氏いっうを得て助かったのである、何かにつかまって助かったらしい、その経験も恐怖だった
海老は高台だから津波が来ないと思っていた、でも津浪は海とも関係して陸地から見てわからないものだったのである
震災から11年過ぎてもその傷痕はまだ痛々しいのである
津浪は前にさえぎるものがないと被害が大きくなる
次に磯部の方に行った、磯部でも高台の方は津波の被害がなかった、もともと古磯部というのがあり地名にあり高台に住んでいたらしい、被害が一番大きかった磯部はもともと砂州のような地形だったのである、だからひとたまりもなかった、家が津波で揚げられたとういう、その光景も恐ろしいものだった
まずこんなことは予想もできない、イメージもできないことだった
原釜でも変わり果てた、海に面した低地の家はみんななくなった
でも入江の砂浜には鴎がたくさん群れていた、昨日は晴れてあたたかった
それで平和を感じた、ただ11年過ぎても何か完全に癒されることはない
それだけの大被害だったのである、ただだんだん忘れられてゆくにしろ20年過ぎてもまだ忘れられないともなるのかもしれない、それだけの大被害だったのである
相馬市では黒橋に紅葉が映えていた、相馬市の中村喫茶店は城下町に合っていたが閉店したのは意外だった、これはここだけではない喫茶店は激減しているのだ
喫茶店だけでは営業できないのである、レストランとか食堂だと日常的に通うが喫茶店ではそれがないしただコーヒーとか飲み休むだけでは成り立たない
でもレストランとか食堂と喫茶店は役割が違うのである
どうしてもレストランとかはうるさいし落ち着かない、それで何か本を読んだり書き物したりするのにはいいとなる
だから私は喫茶店が好きなのである、でも喫茶店はもうなくなるとまでなる
成立っているのは車でももっていけるハンバーグ店とかである
相馬市には二軒ほどあり若者とかでにぎわっている、あれが気軽るで値段も安いからいいとなる、これも時代なのである
喫茶店でも高級店にして金持ちでも何かサロン的なものとして利用があるかもしれないがどうしても田舎ではそんな人がまれなのだから成り立たないとなる
そしてイオンがなくなったことの影響も大きい、あそこでは休んでいたからである
食事も気軽にできたからである、中に喫茶店もあったからである
ともかく昨日は天気もいいし気持いい日だった、今日は朝から曇っている
次に磯部の方に行った、磯部でも高台の方は津波の被害がなかった、もともと古磯部というのがあり地名にあり高台に住んでいたらしい、被害が一番大きかった磯部はもともと砂州のような地形だったのである、だからひとたまりもなかった、家が津波で揚げられたとういう、その光景も恐ろしいものだった
まずこんなことは予想もできない、イメージもできないことだった
原釜でも変わり果てた、海に面した低地の家はみんななくなった
でも入江の砂浜には鴎がたくさん群れていた、昨日は晴れてあたたかった
それで平和を感じた、ただ11年過ぎても何か完全に癒されることはない
それだけの大被害だったのである、ただだんだん忘れられてゆくにしろ20年過ぎてもまだ忘れられないともなるのかもしれない、それだけの大被害だったのである
相馬市では黒橋に紅葉が映えていた、相馬市の中村喫茶店は城下町に合っていたが閉店したのは意外だった、これはここだけではない喫茶店は激減しているのだ
喫茶店だけでは営業できないのである、レストランとか食堂だと日常的に通うが喫茶店ではそれがないしただコーヒーとか飲み休むだけでは成り立たない
でもレストランとか食堂と喫茶店は役割が違うのである
どうしてもレストランとかはうるさいし落ち着かない、それで何か本を読んだり書き物したりするのにはいいとなる
だから私は喫茶店が好きなのである、でも喫茶店はもうなくなるとまでなる
成立っているのは車でももっていけるハンバーグ店とかである
相馬市には二軒ほどあり若者とかでにぎわっている、あれが気軽るで値段も安いからいいとなる、これも時代なのである
喫茶店でも高級店にして金持ちでも何かサロン的なものとして利用があるかもしれないがどうしても田舎ではそんな人がまれなのだから成り立たないとなる
そしてイオンがなくなったことの影響も大きい、あそこでは休んでいたからである
食事も気軽にできたからである、中に喫茶店もあったからである
ともかく昨日は天気もいいし気持いい日だった、今日は朝から曇っている
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