なぜ脳卒中になる症状として見抜けなかったのか?
(大事な医者の選択ーでも名医はめったにいない)
これだけ症状がでていれば医者なら脳卒中の兆候として危険信号であり対処していたはずである、遠くでMRI検査して近くでも脳神経科でもした、そこは民間でも機械があった
それでも脳卒中の前兆として判断しなかった
ただ危険性があるからMRIで検査するように指示したのかもしれない
でもこの三つの症状は脳卒中の症状であり明確でもある
判断できなかったのは
●手が麻痺して悪い
●片目が見えにくい
●目まいする
これらの症状を一つのものとして見ないで別々に見てわからなかったのか?
これは総合的に診なければわからないものだった
眼が見えずらいと眼科にも行った、それも仙台市の評判のいい医者にわざわざ行って診てもらっていた、でももしかしたらその医者は眼ばかり診ていたのかもしれない
もし体全体を診ていたら医者なのだから脳卒中の危険があると判断したかもしれない
これは私が思うに
診てもらう医者がだめだった
近くに脳専門家の優秀な医者がいた
その人に診てもらうべきだった
こうなる、南相馬市立病院は脳卒中のための専門病棟を新しく作った
副医院長が優秀であり若い医者も習いに来ているというからである
同級生の人は九死に一生を得て助かった、早く病院に行って血管にカーテルを入れて助かった、それは早く行って助かったのである
今も普通に生活しているのである
ただ脳卒中は多い、特に相馬地域では原因がわからないか多い
またこの辺で放射線の影響が出ているかもしれない、その因果関係はわからない
ここで大事なことは医者を選ばないと命にかかわる
でも名医はめったにいない
医者というのはこうして診てもらう医者によって命まで左右されるから怖いのである
ただなぜ近くに脳卒中専門の病院がありそこで診てもらうように指示されなかったのか?それも良くわからない、わざわざ遠くの病院に行く必要もなかったのである
その時は何の病気かわからないからそうしたとしても何か理解できないのである
大事なことは医者を選ばないと命にかかわる、でもそもそも名医にかかることは田舎ではできないし他でも簡単にできないのである
名医がどこにいるかもわかりにくいからである
だから下手でも近くの医者にかかるほかないのである
そして現代は総合的に診る医者はいない、みんな専門に分かれて全体の体を診る人はいないのである、それはあらゆる分野でそうである
福島原発の所長だった人も肝心の復水器とか他のことでもわからないと言っていた
専門が違うからわからないと言っていた、現代は総合的に見ことができない社会である
どこの社長でも会社のことを全部知る人はいないのである
それだけ複雑化した社会で思わぬ事故となる、全体を観て指示できる人などいないからである
でも今回のことはいくら専門化しているからといっても明らかに脳卒中の症状がでていたのに治療もしなかった、それが理解できないのである
その女性が脳卒中になった原因の一つが煙草にあった、ストレスがあり常に煙草を吸っていたのである、煙草は癌とは関係ないということは聴いていた
でもそれは明らかに血管にいいものではなかったのである
ここでも癌になるこの原因が煙草ではないということは聴いて知っていた
でも血管に悪いということは聴いていなかった、調べてもいなかった
こうして様々な原因があってもそれをみんな知り得る人はいないのである
突然認知症の症状が出たり脳卒中になるから戸惑うのである
津浪でもそうだが突然起きることに人間は弱いのである
だから日ごろから病気でもある程度は知っている必要がある、それは専門的でなくても
知ることができる、脳卒中でも事前にその症状を知って入れば対処方法があったとなる
いい医者とは見立てに優れている人だという、病名がわかれば対処方法がわかるからそうなる、脳卒中だと見抜けば対処方法がわかり治療でもできるとなるからである
もう一つの問題は医者自体が高齢化していることである、近くでは90歳まで現役であった
でも日進月歩している医療の分野でも老人の医者は経験はあるのだが新しい技術とか取り入れられないのである
それはIT関係でもそうである、自転車屋でも若い人が経営している自転車屋に行けというときそうである
新しい技術を取り入れていないし分らなくなっているからである
確かに経験があるのだからいい面としてあっても技術的なものは進歩が速いからである
老人はそれに追いつけないのである,スマホでもそうである、これもパソコンとにていても違っているから使いにくいとなる
正直田舎では新しい自転車を買うにも買えないことがわかった
というのは外国製も多いしアフターサービスができないからである
エンジンごと取り替えたこともあったからである、通販だとそこが大きな問題になっているのである
まず田舎でもあらゆる所で老人しかいないともなる、農業でも65歳以上がほいとんどだとかなり自転車屋にしてもそうである
あらゆる場所で高齢化しているのである、そして若い人がいたとしても嫁になる若い女性がいないとなっている
だから若い人は貴重になるとか子供みるとここにいたのかとめずらしくもなり大事にされるとなる
いづれにしろ人間は変化である、無常である、その女性は親しくしている糖尿病の治療をししている男性の呼ばれて毎日行っていたのである
それは歩いても行ける近い場所だったから行けたのである
でも苦しいといつも言っていた、それは体が脳卒中になるのだからそうなっていたのである
そうして今や近くでも行けなくなった、もう歩くことができるのかトイレには自力で行っている、でもその親しい男性の家まで行けないようになったとするとこれも信じられない今まで近くで会っていたのに会えないとなったのである
これもそんなことがあるのかとなる、すぐ近くでありそれでも会えない、またどっちも病気なのだから見舞いもできないとなったのである
こういうことは高齢化社会で普通に起きて来る、そして介護とかなると本当は近くがいいのである、その女性は親しい男性のすぐ近くでありだからこそ行けたのである
でも隣の市かなると相馬市となると結構遠くなる、娘が一週間に一回は来ているが意外と車でも頻繁に来ることはむずかしいのである
介護の手助けとかは近くの人が向いているのである
でも今の社会は隣近所でも疎遠になっている、誰が何をしているかもわかりにくい
家族でも核家族になったり家族の力が弱体化している
それで介護の時に孤立しやすく介護の悲劇が起きて来る
家族だけでも看れないからである、施設に入るにも金がないとかなりできない人もいる
そして8050問題が深刻になってゆく、それがすでにもう現れている
50歳の人が80歳の人を介護することになる、また老々介護にもなる
そして共倒れにもなる悲劇が起きて来る
たとえ夫婦でも必ず一方が介護状態になるし死んでゆくから安心できないのである
タグ:脳卒中の症状 名医はめったにいない 医者の選択 体全部診るれる医者がいない 脳卒中の優秀な医者 南相馬市の脳卒中専門病院 脳卒中の名医 老人は最新の技術を利用できない 医者は見立てが大事 突然変わる人間関係
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