冬の日の俳句十句ー鹿島区から原町へ
(枯菊、冬紅葉、葉牡丹、冬の暮・・・)

あわれかな里の小径にあきつ死ぬ
冬の日や里の小径を今日も行く
枯れ菊や今日も行く道日あたたか
葉牡丹の白紫や据えし石
家籠もる曇り硝子冬紅葉
めぐり来る母の命日冬紅葉
塀長く家を構えて冬紅葉
深野(ふこうの)に構えし家や冬紅葉
家一軒林に隠れ冬の暮
ユッサの湯庭に石五つ冬の暮
残りたる五輪塔の墓冬の暮
継ぐ家や冬菜に墓地に残る柿
白鳥の朝の飛翔や鳴き声の晴れし空にそひびきわたりぬ
里=人の住まない山などに対して,人家のあるところ。村落。人里。
田舎。在所。ふるさと。
そこから、実家 在所を
指すように、なりました。
home town of something
宛所が「里刀自」とあり、三六名の農民を郡司の職田の田植のために徴発するという内容のものである。まず第一に、刀自は、家をおさめる主人を家長、主婦を家刀自とするように、集団を支配する女性をよぶのに用いている。
里刀自小論 : いわき市荒田目条里遺跡第二号木簡から
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390853649019549184
天皇の藤原夫人(ふじわらのぶじん)に贈へる歌一首
わが里に大雪降れり大原の古(ふ)りにし里に降らまくは後(のち)
里は狭い範囲であり隣に里がありそんなに離れてはないのである
日本にも中国の「里」が伝えられ、律令制では、大宝律令で「里 = 5町 = 300歩」と規定されていた[3]。
当時の尺は、現存するものさしの実測によれば曲尺(1000D 33 cm ≒ 30.3 cm)より2 3 %短いため、歩・町も同じ比率で短くなる。当時の1里はおよそ533.5 mであったと推定されている[4]
里とは自然界と人間界がありその中間になる、里は人間化した畑とかある田んぼでもある場所である、でも自然界と接していて動物でも侵入してくるが里には人間が住んでいるので動物も入ってこない場所としてあった、棲み分けがあった
最近は熊もでも自然界に棲息していたものが里にでてきて人間が住む都会まで出没するようになった、里とは動物でも入らない場所だったのである
動物の棲息範囲から逸脱するのは森に食料がなくなったためとかなる
雲南とかでの野生の象が都市まで出てきたのがそうである、食べるものがなくて移動したのである
動物との棲み分けが必要であり里はその境界として機能していた、動物は里まで出てこなかったのである、ただ里に人が住まなくなると熊でも猿でも侵入している
それは原発避難区域になったところではそうなった、猿でもイノシシでも侵入してきたからである
里というと里とは人間が作った庭の延長のようにも思う、なぜなら故郷でもは里くらいの狭い範囲だと庭のように思えるからである、だからそこで赤とんぼでも死んでいるとあわれだとか見るのである、蛙などでも極めて里にふさわしい、蛙が鳴く声は里にひびくのである、一時は原発事故のために田んぼが荒地になった、その時蛙も鳴く声も聞こえなくなったのである、つまり田んぼも里の景色として第二の自然となっていたのである
蛙はそうした人間化した第二の自然の中で鳴いていたのである
里の範囲だと庭の延長であり何か人間化しているのである
不思議なのは里というとき日本語ではさとるから来ているともなる、里に住んでいて悟るとなる、里の範囲なら狭いから悟る納得して知る範囲にあり愛情でも通う範囲ともなる
村は群れるであり人間をイメージする、自然はイメージしないのである
だから里というのは日本の風土から生まれた独特の感覚なのだろうとなる
枯菊に日があたたかくさしている、これは老人をイメージするのである
親を介護する感覚になる、ただ枯菊が多すぎる老人が多すぎるのが問題なのである
冬紅葉というとき母は12月15日が命日である、それで冬紅葉記とした
今は冬紅葉の季節である、
新田川のユッサの庭には五つくらい石がある、でもものたりてい庭である
もう少しいい庭にすればいいが狭すぎる
白鳥は増えた、20羽くらい見た、白鳥は飛ぶ時が気持ちいい、これから本格的な冬になる、みちのくの冬はわび、さびがあり冬らしいとなる
みちのくは依然として荒野の感覚がある、それで枯野がふさわしいとなる
家一軒林に隠れ冬の暮
ユッサの湯庭に石五つ冬の暮
残りたる五輪塔の墓冬の暮
継ぐ家や冬菜に墓地に残る柿
白鳥の朝の飛翔や鳴き声の晴れし空にそひびきわたりぬ
里=人の住まない山などに対して,人家のあるところ。村落。人里。
田舎。在所。ふるさと。
そこから、実家 在所を
指すように、なりました。
home town of something
宛所が「里刀自」とあり、三六名の農民を郡司の職田の田植のために徴発するという内容のものである。まず第一に、刀自は、家をおさめる主人を家長、主婦を家刀自とするように、集団を支配する女性をよぶのに用いている。
里刀自小論 : いわき市荒田目条里遺跡第二号木簡から
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390853649019549184
天皇の藤原夫人(ふじわらのぶじん)に贈へる歌一首
わが里に大雪降れり大原の古(ふ)りにし里に降らまくは後(のち)
里は狭い範囲であり隣に里がありそんなに離れてはないのである
日本にも中国の「里」が伝えられ、律令制では、大宝律令で「里 = 5町 = 300歩」と規定されていた[3]。
当時の尺は、現存するものさしの実測によれば曲尺(1000D 33 cm ≒ 30.3 cm)より2 3 %短いため、歩・町も同じ比率で短くなる。当時の1里はおよそ533.5 mであったと推定されている[4]
里とは自然界と人間界がありその中間になる、里は人間化した畑とかある田んぼでもある場所である、でも自然界と接していて動物でも侵入してくるが里には人間が住んでいるので動物も入ってこない場所としてあった、棲み分けがあった
最近は熊もでも自然界に棲息していたものが里にでてきて人間が住む都会まで出没するようになった、里とは動物でも入らない場所だったのである
動物の棲息範囲から逸脱するのは森に食料がなくなったためとかなる
雲南とかでの野生の象が都市まで出てきたのがそうである、食べるものがなくて移動したのである
動物との棲み分けが必要であり里はその境界として機能していた、動物は里まで出てこなかったのである、ただ里に人が住まなくなると熊でも猿でも侵入している
それは原発避難区域になったところではそうなった、猿でもイノシシでも侵入してきたからである
里というと里とは人間が作った庭の延長のようにも思う、なぜなら故郷でもは里くらいの狭い範囲だと庭のように思えるからである、だからそこで赤とんぼでも死んでいるとあわれだとか見るのである、蛙などでも極めて里にふさわしい、蛙が鳴く声は里にひびくのである、一時は原発事故のために田んぼが荒地になった、その時蛙も鳴く声も聞こえなくなったのである、つまり田んぼも里の景色として第二の自然となっていたのである
蛙はそうした人間化した第二の自然の中で鳴いていたのである
里の範囲だと庭の延長であり何か人間化しているのである
不思議なのは里というとき日本語ではさとるから来ているともなる、里に住んでいて悟るとなる、里の範囲なら狭いから悟る納得して知る範囲にあり愛情でも通う範囲ともなる
村は群れるであり人間をイメージする、自然はイメージしないのである
だから里というのは日本の風土から生まれた独特の感覚なのだろうとなる
枯菊に日があたたかくさしている、これは老人をイメージするのである
親を介護する感覚になる、ただ枯菊が多すぎる老人が多すぎるのが問題なのである
冬紅葉というとき母は12月15日が命日である、それで冬紅葉記とした
今は冬紅葉の季節である、
新田川のユッサの庭には五つくらい石がある、でもものたりてい庭である
もう少しいい庭にすればいいが狭すぎる
白鳥は増えた、20羽くらい見た、白鳥は飛ぶ時が気持ちいい、これから本格的な冬になる、みちのくの冬はわび、さびがあり冬らしいとなる
みちのくは依然として荒野の感覚がある、それで枯野がふさわしいとなる
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