2022年12月15日

政経東北はなぜ渡部恒三を持ち上げるのか? (メデアに中立はない、マスコミも原発事故では共犯者だった)


政経東北はなぜ渡部恒三を持ち上げるのか?

(メデアに中立はない、マスコミも原発事故では共犯者だった)

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なせか今の南相馬市の門馬市長は批判されている
でも桜井前市長は批判されないのである
この理由が良くわからないのである



●政経東北が渡部恒三を今も持ち上げるのは何故なのか?

ただこの福島第一原発は3〜40年が稼働限界だとされていました。
その前提に従い前福島県知事佐藤栄佐久は原発を廃炉にすべく手続きを行い徐々に機械を停止させようとしていた。
原子炉の寿命を延ばし能力を上げるプルサーマル計画も許可しない方針で、一時期には完全に停止させています。

この現福島県知事、民主党佐藤雄平という人物はナニモノなのか?
でちょっと調べてみたんですが、渡部恒三の甥なんですね。
つまり叔父さんが誘致した原子炉を自分の代で廃炉にしたくなかった、というかなり個人的な理由でプルサーマル計画を受け入れた可能性がある。
まあまんざら渡部恒三に原因が無いわけでもない

しかし、中曽根康弘、正力松太郎に源流をもつこの国の原発推進策に、なんら疑問をさしはさむことなく、福島はもちろん全国に「原発安全神話」を吹聴してきた一人こそ、渡部氏その人ではなかっただろうか。

「私の選挙区福島県は日本の原発の30%を占めているが、そこで育った私はこの通り元気いっぱい、健康そのもの。原発をつくればつくるほど国民の健康は増進し国民は長生きし厚生行政は成功してゆくのではないかと思う」。

ばかばかしくて、このブログにのせるのも憚られるが、渡部氏の支離滅裂な思考法や、おべっか使いの人間性を物語る挿話としては、なにがしかの意味があるかもしれない。

衆院や参院の議長といった名誉職に就くことだけが残された政治家人生の目標であるに違いないこの人物を、黄門様だのご意見番だのと持ち上げて、何かにつけてコメントを求めるマスメディアは、いまいちど、彼の言行録を総点検してみてはどうか。
https://ameblo.jp/aratakyo/entry-10881034842.html

渡部の甥の 佐藤雄平 は福島県知事で、
黄門さまと共同でアメリカ企業のご機嫌を伺って原発推進してました。
国会議員一人の力でここまでたくさん原発作った例は過去に一度も無い。
同じ原発王国の福井や新潟と比べてもその差は歴然。

しかも発注したのが米GE社製不良品だったからこのザマ。
そのうち渡部恒三が昔この原発宣伝してた映像が出回るようになって議員辞職確定だろうhttps://armchairanthroposophyst.hatenablog.com/entry/20110321/1300675636


福島原発事故は人災だ。渡辺恒三は誘致した責任をとり即時議員を辞職して放射の悪被疑者に詫びよ。日本の悪党たち(官僚。大手メデイア11社。既得権益勢力。など」と裏で連携し小澤さんをいわれのない(疑惑」で追い落とす民主党内の悪党の先導役をしていた渡部恒三のような裏切り者が福島県民を不幸のドン底へ追い込んだのだ。

渡辺恒三は福島県で一番力を持っていたんだろう
そいつが口だけではない、実際に第一原発の土地を持っていた!
これは責任を逃れようないよな
佐藤えいさく-前の知事は原発反対だった
それで甥を知事にした
そんなこと福島県のメデアでも誰も追求していない
福島県も原発利権にどっぷりととりこまれていた
それで外部から福島県が自業自得だというのは福島県民として辛い
福島県民も監視役もないしみんな原発の危険性を言う人はいなかった
南相馬市は原発から遠いと思っていたから自分も大丈夫だと思っていた
原子力には無知だったし無知にされていたのだ
それが今回の苦しみを生んだのだ

「原発で長生き出来る」などとほざいていたくらいだから。

事故以後にまったく顔を出さないのが甚だ怪しい。
自分の出身地であり選挙区でもある福島県が危機に瀕しているのにもかかわらず発言も聞かない。
普段なら出るなと言っても出しゃばる男なのに。
本人は原発利権と裏切りの人生、息子はCIA工作員、甥がMOX(モックス)知事・・この一族、終わってるな。
http://www.asyura2.com/11/senkyo111/msg/439.html

●なぜ政経東北では渡部恒三をもちあげるのか?

●南相馬市の前市長の桜井氏をもちあげるのか?

●相双リテックを裏表紙で堂々と宣伝していたのか?

政経東北の12月号で渡部恒三記念館ができたとか政経東北は原発事故前からその後でも持ちあげている、これは異常ではないか?
なぜそれほど持ち上げるのか、原発事故前ならまだわかる、そもそも原発については隠ぺいされてわからなかったからだ、その隠ぺいされたことは権力によってそうさせられていた
原発は国が主導して県に命令して南相馬市とか相馬市とか地元とか双葉町でも大熊町でも自治体に何ら反対することもできない仕組みになっていた
強力な国の権力と東電が一体になり作られていたのである
そしてその利権は余りにも大きいものだったのである、庶民には想像を絶するものだった原発事故以後も補償金だとか除染とかで十兆円とかの規模にもなる巨大なものだったのである、国家的事業であり太平洋戦争とも似ていたのである
だから地方自治体にどういうものか説明もされない、何か原発自体立ち入り禁止であり
アンタチャブルな領域になっていた、ブラックボックスになっていた

そこに政府官僚が検察でも警察関係者でも海上自衛隊でも天下りしていたのである
その強大な権力に反抗することもなにもできない、そもそもその内部のことなど立ち入り禁止であり知る術もなかったのである
そもそも国ー県ー自治体があるとしても自治体は関与できなものでもあった
そこに御用科学者もいてもう何もできない、調べることもできない、鉄壁の権力で作られていた
そこにマスコミでも福島県のマスコミは何ら危険を知らせるとかなかったのである
それより原発推進でありそのために電事連から800億円がありそれが宣伝費として回っていたのである、これも巨大な想像できない金である
そして原発事故があったときマスコミ関係者の幹部が中国に招待されていたのである
そこに朝日新聞社も招待されていたのである
つまりこれだけの権力を持っている組織が原発の「安全神話」を作っていたのである
これは鉄壁の布陣であった、それを砕いたのはマスコミでも何でもない、津波だったのである、とてもこれだけの権力になったら人間では破壊できないものになっていたからである

●読売新聞社の正力松太郎が最初の原発推進者だった

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読売新聞の日本テレビ系が創価の宣伝をかなりしている、宣伝費が相当に入っている


そもそも原発は読売新聞社の正力松太郎がかかわり作られたのである

 正力は野望実現のために、当時の吉田茂首相やアメリカとの交渉に奔走した。しかし、正力はほどなく一つの結論にたどりつく。それは、野望を実現するためには自らが最高権力者、すなわち日本の首相になるしかない、というものだった。そして、正力は同じく当時将来が嘱望されていた原子力発電は、そのための強力なカードになると考えた。しかし正力の関心はあくまでマイクロ波通信網であり、原発そのものは正力にとってはどうでもいい存在だった。
 当初はアメリカも、弱小紙だった読売新聞を大新聞に育て上げた

何かマスコミとかその背後関係はわかりにくい、正力松太郎はCIAのスパイだったという
戦後日本を支配するためにそうなった、戦後はいづれにしろアメリカに負けたのだから
アメリカに従属する他なかったのである、だからアメリカの力を借りて読売新聞社と日本テレビを作り育てたのである
こういう裏があってもマスコミは原発事故後はそれを明らかにしていない
読売新聞社でもその創始者を批判したりしない、そしていかにも事故後は原発事故の避難者とかを助ける方に回って援助していると積極的に加担したとなる
それが矛盾していたのである、自分達の会社の非を知らせずに原発避難者に協力している地元の人達はそれを知らないのか批判もしなかったのである

マスコミもこうして利権にあづかっていたから原発の危険を知らせることもなかった
例えば潮とかの雑誌を出している創価の聖教新聞でもそれがマスコミで二番目くらいに多かったのである、環境保護となにか原発を表に出さないでうまく原発推進の広告を出していたのである
創価とはともかく権力を得ることしか頭にない、だから利権となればどんものもでも食いついてゆく貪欲なのである、それが危険でもなんでもかまわないのである
創価の雑誌でもまず広告費をとることだと発破をかけている
新聞とかテレビで一番大事なことは真実を知らせることではない、広告費をとることなのである、その最大の広告費をだしてくれのが電事連とかになる
その額があまりにも大きいからである、つまりマスコミはそもそも報道するだけで金がかかりすぎるからそうなる、社員の月給でも払わなければならない、新聞だったらいちいち一軒一軒配達しなければならない、新聞をするだけで金がかかりすぎるのである
それで福島民報では創価の聖教新聞を刷っているのである
ここからして今統一教会が責めているが創価を福島民報では責められないのである

つまり福島県のマスコミ自体が完全に政府であれ官僚であれとりこまれていた
だから原発の批判できなくなっていたのである
福島民報は県で50パーセントも出資もしている、県や政府の広報機関になっていたのである、今ではインタ−ネットで盛んにこうした既得権益を持つものを批判するようになった、ただ11年前の原発事故だとまだyoutubeとかは盛んでなかったようである
何か権力を持っている批判しにくいのである、最近なぜあからさまに統一教会問題でカルト教団が批判されてそのために創価でも批判される
それはやはり会員数も減り票も減り弱体化しているからたたくようになったのである
これからますます弱体化すればその悪は暴露されてゆく、渡部恒三でも現代の水戸黄門様とかメデアでもてはやされていたことでもわかる
でもその黄門様が悪徳代官でもあったとなる、そうなったのは津波の力でもあった
もう人間の力ではその悪を暴露などできなくなっていたのである



●いかなる報道機関にもメデアには中立はない

マスコミが矛盾しているのは政経東北でも盛んに原発の責任とか情報発信して批判している、でも政経東北自体が悪の権化ともなく渡部恒三を未だに持ちあげているのか?
ここに何か裏がありもともと資金も入ってきたためのなのか?
そのことは相双リテックの宣伝をしていたことでもわかる、その会社は除染の費用何十億を幹部が山分けしていたからである、つまり政経東北もまたその利権にあづがっていたのである
それで原発関係のことで記事にしているけど矛盾がある、自らが襟を正さなければ真実の報道もできないとなる
ただメデアには中立という意味があるけど中立でありえないのである
どんなメデアでも人でも中立であることはむずかしいのである、その中立でありえないのは必ず利権がかかわるからである、人間はやはり金に左右される、金をくれるならおめこぼしするとなる、また積極的に宣伝もするとなる、それは費用がかかりすぎるからであるもしインタ−ネットで報道するならプログなどでするならまたyoutubeでもするなら金はかからないのである、手間はかかるとしても金はかからない、すると中立でも真実の報道はできるのである、私自身がそれをしている、誰からも金などもらっていないからである別にもらわなくてもできるからしているのである
それは影響力もたいしてないから注目もされていないからだともなる
でも原発事故では現場にいた一人だからやはり報道するには有利だったのである
内情がある程度わかっているし自分自身とも深くかかわるものとなったからである

原発事故では報道もマスコミも批判された、確かなことは報道は報道するものによって必ず偏る、自分たちの有利なように報道する、それはいかにも中立を装うNHKでもそうである、NHKは相当に偏っているのである、原発事故でも津浪の被害者より原発事故の被害者の方を優先して報道した、その数も多いからかそうなった
そして地元の人でない人は津波の被害者と原発の被害者が同じ地域にいた
仮設住宅にも団地のような所にもいた、そしていわき市の方で暗に津波被害者が原発避難者に冷たいと言わせていた、それは津波被害者は原発避難者のように補償金をもらっていなかったからである、そこに不満があり仮設でも一緒にいても話すこともなかったとなっていたのである
でもなぜ原発避難者側に味方する報道をNHKはしたのか?
それは幹部達が協議して今話題なのは国民の関心が原発避難者にあるは見たかららしい
とにかくNHKは金には困らない、余っているとしても中立ではないのである
そもそも中立な報道機関はないのである、何かしら偏っているのである
個々人でも争っているとき双方の意見を聞かないと判断を誤る
何事賛成反対がある、だから一方だけを話させるとき不公平になり判断を誤るのである
だからかえって赤旗であれ聖教新聞であれ偏っていてもそういうものだとして見ている
でもNHKとかは他でも中立を装うから偽善にもなる、実際は中立ではないのである

今年も終わりになるが原発事故関係ではあまり書かなくなった
日本全国でも関心が薄れている、でもこの原発事故や津波の被害は世紀末的な大きな事件だった、だからこれは歴史的にも大きな事件であり後々まで追求される
そして真実が明らかにされる、その時権力を担ったものが責任があり追求される
権力を持つことは大きな責任をともなっている、現代ではその責任は金になる
金を多く持っている人は責任がある、一万には一万の責任があり十万には十万、百万には百万、千万には千万、一億には一億とか十億には十億とか責任が課せられているのであるそして悪事は隠ぺいできない、いつか暴露される、それには時間がかかる
一世紀とかかかるとか歴史だともう千年前のことでも悪事がようやく暴露ささて語られるとかなる、でもいづれにしろ悪事でも隠ぺいされたままにはならない、いつか何らかの切っ掛けで暴露される
その悪事も暴露するのがマスコミなのだけどそれが何の役目も果たさなかったのである
むしろ悪事を推進する方にもっないたのである、だからマスコミは信じられない、その権威は失墜した、インタ−ネットでも問題はあるが報道もマスコミだけではない何も権力もない人でも報道して批判している、突出していたマスコミの報道も水平化されたのであるだから独占権力だったマスコミは驚異となった、もう新聞を見ない、テレビも見ないとなるとその役割は終わったとまでなるからである
posted by 天華 at 19:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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