2022年12月23日

介護は遠くになるとうまくいかない (近くだとやりやすい―現代は広域化分散化でやりにくい)


介護は遠くになるとうまくいかない

(近くだとやりやすい―現代は広域化分散化でやりにくい)

なぜかその人は父親の介護で青森の施設に行かされた、この辺で介護士とかたりなくて人手不足でそうなった、青森には仕事がないので介護などの仕事が多いからそうなった
地方の仕事が今や介護になっているのも多いだろう
でも遠いことでいろいろ不便があったみたいだ
何かたりないものがありその後も仕送りしていた、その人の収入は少ないからその不満を語った、兄弟三人いても一人は障害者だとかなりその人だけにまかせられたためである
介護は何か誰かにまかせられるのが多いみたいだ

兄弟がいても協力するということもない、というのは誰も介護をしたくないからである
でも親の遺産は欲しいとなりもめているのが多い
それで兄弟でも一番親に良くされた人が介護しろとなるのも当然だとなる
私のように一人だとそんなことを考えることもない、一人しかないのだから否応なしに面倒みるほかないのである、それで自分の場合一人孤軍奮闘する他なかったのである
でも他にいないし相談する人もいない、だから一人っ子は育つ時は恵まれていても親の介護では一人だけになり苦しむ
でもまた兄弟がいてもうまくいかない、娘がいると助かるから娘を持てというのもわかる男は介護が向いていないからである

なんでもその人は青森から地元の施設に移るために介護タクシーを頼んで9万とかかかったと言っていた、それもわかる、青森は遠いからである、でも青森の施設にあづけてもあずけたままにはできない、何かと連絡があり金を送っていた
書類のこともありいろいろ書いたりするから離れていてわからないので青森まで行くことがあった、これも大変だと思った、ここに大きな問題があった
いくら施設にあづけて何でもしてもらえるかとなるとそうではない、何かと後で必ず連絡がありそして直接書類を書いたり離れていてはできないことがある
だから青森とか遠くなっていたことが問題だった、福島県内とか宮城県辺りだとめんどうにはならなかったのである
だからどうしても余りにも遠いとなると問題になる

私の兄は静岡に集団就職してその後連絡があったとしても夫婦が離婚して児童相談所から子供についての連絡が児童相談所からあった、離婚したとき中学生だった
でも私の家で一回しか会っていないのである、結婚した妻の実家が近くにあり行き来していた、だから妻の実家に引き取られた、その後はその実家を出て東京に出た
そうして兄が交通事故で死んだ、でも何が起きたのか、何があったのか理解できなかった消息が途絶えたわけでもない、死ぬ前に自分の家にきた、それが最後だった
こうして遠く離れて暮らすと何かあったとき何が起ったのか、事情がくみとれないのである、だから遠くなることは介護とかなると向いていない、介護とはたまに合ってできるものではない、近くにいて毎日のように様子を見るとか介護するとかなるからである
それで隣近所とかが向いている、家の延長のようにしてあるからである
でも今は隣近所も何の仕事をしているのかわからない、疎遠になっている
時代的に孤独死が増えてくるのも身近でつながりが希薄化しているからである

それで意外と原町だと8キロしかないとしても毎日のように往き来していたらめんどうなのである、相馬市でも倍の距離があるからめんどうになる
週に一回娘が相馬市から来ている人がいる、近いようで遠い、車かあったとしても手間なのである、それで遠いと介護は向いていない、隣近所だったらすぐに行けるから楽なのである、そして今は兄弟でも娘でも遠くに仕事をもち女性でも遠くに嫁ぐ人が多い
すると遠いということは介護しにくいのである
介護に関しては今の時代はかえっていろいろそろっていても不利である
近くに住んでいないと役にたたないのである

自分の場合車がないので原町に大きな病院が相馬市にもあるとしても通うようになるとめんどうだった、車がないことは田舎ではこういうとき不便になる
でも介護というとき車があっても近くでないと不便であり手間になる
それで介護する人でも田舎だと車で離れた地域を一軒一軒回るのも手間なのである
何か厳罰避難区域の人が離れて住んでいて仮設で一緒に住んだら女の人は話し相手とか仲間できていつでも話せるから良かったとなっている
何かその時は互いに助け合うとか助けられる関係になっていたのだろう
でも市営住宅とかに住んでいる人達は別に助け合わない、それで隣に住んでいた人が半年くらい死んだのがわからなかったのである,電灯がついていたのでいると思っていたという、近くに兄弟も住んでいたがかかわらなかった
田舎でもこういう時代である、その住宅で親密に付き合うとういこともない
江戸時代なら人情長屋とかなっていたが今はそんなことないのである
都会のように無関心になっている、だからこそ田舎でも孤独死はある

その人は本当に8050問題の人だった、親が80歳になり介護する人が50歳になっていたからである、ちょうどそういう年齢になっていたのである
団塊の世代が75才以上になり子供50歳とかなる、母親は72歳で脳梗塞になった
でも軽かったからしゃべれるし歩くこともできたから軽かったなと不思議だった
その息子が一人介護をたくされた、でも朝5時に出て建築工事現場で働きにでている
別に家で介護しているわけではないから苦しいにしてもまだ仕事はできる
でも仕事ができなくり会社を辞めて収入がなくなり困窮している人も多い
金もかかるから働かないと収入がなくなりこまる、でも自宅で介護するとなると会社をやめざるをえなくなるのである
これも大きな問題でありそこで悲劇も起きて来る、原町で認知症の母親を介護している息子が殺した事件がそうだった、オムツとりかえるとき母親が騒いで殺したという
それもわかる、認知症の介護は一番過酷だからである、それは自分自身も経験しているからわかる

とにかく8050問題は深刻である、団塊の世代は数が多いからである、その数の故に負担が増大するからである、そこで悲劇が起きてくるのは目に見えている
家族遺棄社会にもなる、なぜなら自分も経験したように家族だけでめんどうみるのは限界があるからだ、それでもう家族でも捨てた方がいいとなる
息子娘でも今は日本が貧困化して金銭的にも余裕がないからである
そして金だけでも解決しない、人間の手間がかかる、誰かがつききりでめんどうみないといけない、それで会社を辞める人がいる、でもそうなると収入がなくなり追い詰められるとなる、そういうふうに追い詰められる人が膨大に増えて来る
その人はまだ母親が軽い脳梗塞ですんだ、在宅で介護するにしても楽である
でも金には余裕がないから不満を延々と言っていた

私の場合は不満など言う相手もいなかった、でも終わってみれば人間は辛かったことも忘れるものだと思った
でも病院で虐待されたとか何かとひどい目にあったことは忘れられない、でも人間は時間が浄化する、どんな苦しいことでも終わってみれば忘れるものだと思った
すでに姉は死んで十年すぎたし母もすでに死んで5年もすぎた
とにかく時間が過ぎるのは早い、次々に今や知っている人が近くでも死んでゆく
そういう年になった、だから死神に追われる師走かなともなったのである



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