2023年新年短歌30首
(本当の栄とは何なのかー自然とともに天地とともに栄えること)

我が家や遺影に花を飾りつつ新年迎え共にあるべし
我になお学ぶべきことあり尽きじかも今年も励み齢知らじも
新年に花を飾り松が枝をさして調和し末永くあれ
新年に病も癒えむ我が家に来たりし女やなお生きむかな
赤々と椿百輪公園に原町の道新年に来ぬ
枝張りて木は真すぐに大地にそ根の深く張り椿は映えなむ
それぞれの地に住み人は日本にそ年も新たに力を得なむ
去年(こぞ)に死ぬ人の悲しもその遺志の継ぐ人あらむ年改まる
良きものや電熱ベスト我がまとい技も進みて老いを生きなむ
美しき日本にあれや富士の山新年に映え栄もあらむ
初春の東海道や富士に松波音ひびき今宵の宿かな
富士の嶺映えて旅人東海道五十三次行く春の風吹く
日本にそ生きにしものや大海の波の轟き初日昇りぬ
新しき世の拓けむや老いてなお力尽くさむ日本なるべし
新年を言祝ぐものや大地より山より海より力を得なむ
そが力何に尽くさむ真なれ徒に生きざれ時の貴重なるべし
北風の音のみひびき我が一人巌のごとく打ち籠もるかな
新年に希望はいかに生まるるや偽りに生くば力を得じも
新年や直き赤き心にそ再び日本に栄のあらむ
東西の要とあれや日本なり対立の世にそ和をもたらすべし
神の意志日本に働き新たなる世の拓けるや祈るべしかな
芽吹く木の若き力の育ちなむ様々な花の色にそ調和し映えむ
深々と根を張る樹々やその根こそ見えずも木を支えぬ
騒々しき世を離れてそ黙す石北風鳴りて地も休むかな
争いの時に聞こえず北風の鳴りて休みぬ石一つかな
石一つ何も成さざるも春来れば花も咲きなむ誰か休まむ
復興は人智を越えし神の業働きてこそ成るべきものなり
日本にも衰えざるや天地の力の充ちむ年改まる
大洋に旭の映えて船はいず海の命の尽きざりしかかな
大海に波うち寄せて新年や魚躍りて旭日照らしぬ
海囲み日本育む山々を仰ぎ祭りて初日のさしぬ
今年はどういう年になるのか、いい予想はない、それはみんな経済的な面でそうなのである、日本は後進国になりもう先進国ではないというときも経済的なもの、科学技術的な面で言われる、でも自然からみれば自然はどこの国でも美しいものがある
それは神が地球を作ってから変わりないのである
その美は衰えることがないしまだ発見されない自然の美がある
日本には日本の自然の美がある、それは他の国と違った美なのである
その作られた風土と地勢とから見れば日本は魅力的だとなる
実際世界の大都会をニューヨークでも上海でも東京でもそこに魅力が感じないのは自然の美が映えないからである
都市でもルネサンスが生まれたのはフィレンツにしても5万くらいだったのである
つまり5万くらいであのような魅力的な美の都市が生まれていたのである
それは何のだろうとなる、経済力からしたら雲泥の差がある
一千万都市と5万の都市の差は余りにも大きいのである
だから経済力があり美を産みだすことはない、むしろ経済力だけだとそこは殺伐とした
金だけの世界になる、金融市場の世界の中心のニューヨークなどでもそうである
そこに世界の金が集められ収奪されているともなる
宗教でも大都会から東京から生まれた宗教はカルトでありそこに本来の宗教は何一つないのである、ただ人を集めて大衆化してごたごたと人を選ばずあらゆる人を集めて数で勢力化して権力化利権化するだけである
だからそこから何一つ良きものは生まれない、美も生れない、ただ醜悪な物が生まれるだけである
江戸が美しかったというとき百万くらいであり回りは田園だったのである
そして水路がめぐらされてベネチアのようになっていたのである
もちろん過去を美化することはあるが一千万の大都会を見てもそこには群衆と車と高層ビルなどを見るだけであり人間はただ蟻のようになっているだけである
わからないのはそうして醜悪なものとなるのは何故かとなる
人間のエネルギーがなぜこうして一千万の人間が集まってエネルギーとなってもそこに何か美でも良き物が生まれないのかわからないのである
それより富士山は常に優美に映えている、自然は太古から原始から変わらず美しく映えている、それは人間が作ったものではない、神が創ったものである
だから何が繁栄なのかわからないのである、もちろん日本が貧乏になるのがいとかではない、大都会のような東京のようなものが繁栄にはならない、だから繁栄とは何かとなると
御民我れ生ける験あり天地の栄ゆる時にあへらく思へば
海犬養岡麻呂
これなのである、天地(あめつち)が栄えるということは天地は常に栄えていたのである天地の美は常にあり変わることがないのである
神は実りを与えていたのである、それは経済的な面からみれば繁栄の時とそうでないときはある、でも天地の栄とは必ずしも経済的な面だけではない、栄えるとは天地の美があって栄えるともなる、天地の美を失う時、そこに栄があるとはならないのである
現実にこの辺では原発事故で住めなくなった、それは何なのか追求してきた
天地とともに栄えることが基本であり科学技術によって人間は栄えるとはならないのである、もちろん科学技術とか否定するのではない、優先すべきは神が創った業でありそれとともに栄がある、それを失った時、真の栄はないのである
だから東京であれ経済的には巨大化して栄えていてもそこに神の業(わざ)なる自然が映えないから殺伐としているだけなのである
江戸には美があったというとき百万都市でも自然が回りにあり水路が縦横にめぐらされてそれが美を作っていたのである
だから何が栄なのか、常に経済的な面から科学技術的な面からしか見ない
なぜかえって自然を破壊して美を消失させたのが大都会だったとなる
すると何のためにそこで生きているのか労働したのかともなる
むしろ極端になるがそんなものはない方が良かったとまでなってしまうのである
いづれにしろ正月でも正月気分などない、ただ年が変わるというだけである
正月とは祭りでも農業から農民生れたものだから現代では農民は全体の一割もいない
田舎でも農民はそんなものである、だから田舎でも農業のことを知らないのである
私自身も知らなかったのである、つまり現代人は田舎に住んでいても都会人になっているのてある、会社員なのである、それで浪江町で電気工が回りが田圃でも草ぼうぼうになっても何の関心もなかった、悲しいとか嫌だとかもない、全く無関心だったとのである
かえって補償金もらって良かったと言っていたのである
それだけもう農業を知らない人が多いのである、そのことは農業が自然と密接につながっているから自然のこともわからないとなる
むしろ田舎の方にこれから栄があるともなる、その栄は物質的なものではなく自然に映えるものとしての精神的なものである、それは文明ではなく文化だともなる
文明という時大きなものであり文化となると地域地域に根ざして生まれるものだからである、巨大文明都市から小規模地域都市こそ繁栄があるとなる
それを具現したのがフィレンツとかのルネサンスの都市なのである
それは5万くらいの小都市だったのである、それでもあのように荘厳華麗なルネサンスが生まれたのである
おそらく日本もこれから地方の小都市からルネサンスが生まれる、今の機が熟しているのである、高度成長時代は経済成長のみでありそれは物質的なものであり真の繁栄はそれではない、荘厳な美の創造なのである、それは飯館村などでも原発事故があり廃村みたいになったがそこには森に囲まれた美は残っている、だから美の創造はまたそこからもありうる、もちろん物質的なもの食料でも必要だから美だけでは成り立たない、でも大都会とは違って依然として森が消失したわけでもないからそこから再生しうるものがある
東京などでも大都会は何か戦後の焼け野原のようになるのではないかとも危惧する
そこに美がなく精神文化はない、巨大なあくことなく食い続ける胃袋しかない恐怖であるがつがつと食う怪物でも住んでいるのかとなる
だからなぜ東京に人が集まるのか理解できないのである、もちろん田舎がいいわけではない、人間は劣悪だともなる、でも自然に隠されたようになっているとき自然の美が映えるという逆説がある、醜い人間が隠れてあるとき自然の美が映えるのである
だからそもそも人間はなぜあくせく働き消耗されてゆくのか?もし何か意味ある美のあるものに費やされるならいいが実際は醜悪なものに労働を強いられる消耗されるだけだとなる、カルト教団のようなものに消耗され費やされているだけだとなる
ともかく何でもそうだが人間は末永くあることを願う、あまりにもあらゆるものが泡のように一時のものとして消えてゆく
人間の交わりでもふりえれば瞬間であり後は永遠に逢わないとなりはかないとなる
長くつづくものには価値がある、あらゆるものがただたちまち消えてゆくだけである、百年二百年でも継続されるのに価値がある
それでSDGs(持続可能社会)が言われるようになったのである、経済的繁栄は一時的なものである
でも天地の繁栄は太古から古代から変わらずつづいている、その美も一部損なわれてもつづいている
はかなくうたかたのように泡沫のように消えてゆくものに価値はないのである
今年も俳句短歌や詩など創作に励みますのでよろしくお願いします
今年も俳句短歌や詩など創作に励みますのでよろしくお願いします
天地の栄の歌を作った人のこと
犬養部は犬を用いて宮門、大和朝廷の直轄領である屯倉などの守衛に当たる品部であり、海犬養は、県犬養、稚犬養、阿曇犬養、辛犬養連、阿多御手犬養とともにこれを統率した伴造6氏族の一つである。
海犬養氏(海犬甘氏)は、海神綿積命の後裔を称した海神族に属する地祇系氏族で、安曇氏と同族とされる
海犬養氏(海犬甘氏)は、海神綿積命の後裔を称した海神族に属する地祇系氏族で、安曇氏と同族とされる
これは私が古代の部で相馬地域に特に南相馬市の原町区に綿津見神社と山津見神社が多い、原町区には綿津見神社が
やたら多いのである、その関連した地名も多いのである、安曇族の後継者の名前が地名化しているのである、海犬養とあるように海に生きる海人族だったのである
その人が天地の栄の歌を残していた、とういうことは相馬地域にも深い因縁があるともなる
天とあるときこれは天はアマとかともなり海のことだとも解釈している
海人族からすれば天ではなく海なのである、海の魚などをとって生活していたから海の恵みで生活していたからそうなる
その人が天地の栄の歌を残していた、とういうことは相馬地域にも深い因縁があるともなる
天とあるときこれは天はアマとかともなり海のことだとも解釈している
海人族からすれば天ではなく海なのである、海の魚などをとって生活していたから海の恵みで生活していたからそうなる
天
タグ:2023新年の短歌 ルネサンスは小都市から生まれた 文明から文化の時代へ 神の業と人間の業 真の繁栄とは 天地の栄とは 大都会に美はない 東京に美はない 讃歌できない大都会 物質的繁栄から精神文化へ
【日々の感想(今日の俳句短歌と詩)の最新記事】
- 秋になってもまだ夏なのか(鮎、カンナ、朝..
- 認知症にならないためにすること (..
- ようやく秋になるー窓に月(朝露、稲穂、秋..
- 特別暑い夏の詩(鷺、涼しい、雷、夏の雲、..
- 小さきものの声(虫の声)
- 秋になっても暑い(ノウゼン、白菊、涼しい..
- 空地空家が増えるー秋がなくなる (..
- 酷暑で疲れるー生け花の心ー若竹に白百合 ..
- 外は危険熱中症になる―街中を流れる川 ..
- 井戸の話の続き―春雨庵のこと(百合の花、..
- 老人は記憶に生きる―ドイツの骨董店の対に..
- 夏の日の田舎の小径の詩(黄揚羽、夏の雲、..
- スーパーヒタチ南相馬市を通過−youtu..
- 空家の庭と芙蓉の詩(夏菊、鬼百合、夾竹桃..
- 昨夜は遠稲妻が光り今日は朝から雷鳴り停電..
- 田んぼの畦道でシロチドリを発見! ..
- 芙蓉、、鬼百合、カンナ、老鶯など ..
- 合歓の花と待宵草
- 蜉蝣は初秋の季語なのか?ー無常迅速の世の..
- 記憶する方法は本でも理解すること ..