2023年01月08日

2023初春日本列島栄華の詩 (鹿児島から船で大阪城へそして富士山を見て小田原から江戸へ)


2023初春日本列島栄華の詩

(鹿児島から船で大阪城へそして富士山を見て小田原から江戸へ)
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初春日本列島栄華の詩

夕陽に染まる鹿児島の開聞岳
今も煙り吐く桜島迫り
そのシルエットは離りゆく船に見る
目覚めれば四国沖船に昇る春陽を見ぬ
そして難波の港へと船は進めり
明石の戸より大和島見ゆとあれ
春の瀬戸の島々潮はめぐりぬ
秀吉の我が世の春と大阪城
桜満開人絶えず門を入り城内をめぐる
桜はやまず散るやその人の波
夕陽赤々とその昔日の栄心にしみぬ
西の栄よ、我は東に向かいぬ
駿河湾浪ちひびき魚躍り挙がり
富士嶺の高く日本の象徴
天下の険、箱根の山を越えて
海を望めば小島に波よす伊豆七島
小田原宿やその囲い厳しく関東治む
今花盛り望む海や帆船のあまた寄る
小田原を攻める秀吉の連合軍
伊達政宗も遅れて参戦
次に家康大江戸三百年の栄を築く
さらにここより陸奥は遠しも
故郷に帰れば桜咲きそむ
西の桜は散りしもみちのくに桜は咲きぬ
美しき日本の国よ、長寿の国よ
その栄は国土とともに天地とともにあれ
我が命大和にしあれ富士仰ぎ直(なお)くまことにここに生きなむ

電車の旅もずいぶんしたけど船の旅もした、船の旅もいい、一番長かったのは沖縄まで貨物船のようなもので行ったことである
一週間もかかったのである、船旅は時間がかかる、次に電車の旅でありそれも飽きたので自転車の旅になったのである、それだけ旅をしたということである
日本は海に囲まれているからやはり船旅は経験する必要がある
これだけ旅するにはとても勤め人ではできない、自由な時間が与えられたからできたのである、何か今になると旅もできない、意外と退職して自由時間ができてもできないことがある、それは金がないからではない、旅でも結構疲れるからである
だから外国旅行となるともうできない、それで50歳でバックパッカーになったしたのが良かった、その後は介護となりできなくなったからである
人間の一生はともかく短い、何かやろうとしてもできないし何か自分のしたいことをしようとしてもできずに終わるのである
それからその人に合った仕事など与えられないのである、私はたまたま家族に恵まれて好きなことをしてきたのである

旅という時本当は歩いて旅したりしないと地理はわからない、天下の険の箱根の山を登り越えてゆく、それも歩いて行ったら実感するのである
東海道でもそうである、でも車で混雑しているから往時のことがイメージできなくなっているでも海でも富士山でも同じようにある、だから地理は地形はそもそも変わらないのであるともかく船で鹿児島から桜島を見て開聞岳が夕陽の中にシルエットとなり船が離れゆき、大阪に向かったのは印象的だった、そして四国沖で春日が昇るのを船から見た
それから大阪に着き大阪城跡で桜を散るのを見た、その時夕陽がなんともいえぬものであり赤々と輝き沈んだ、それは西の栄を象徴していたのである
つまり自然と人間の歴史が一体となって反映されたものであり自然そのものというものではなく人間の歴史が加味された夕陽の色だったのである
西に先に日本の昔日の栄がありそうなったのである、それはナイル川の岸辺の西の方に太陽が沈んで行くときも感じた、エジプト三千年の歴史が繁栄されてその夕陽が輝き沈んでいったのである、だから歴史がわからないと深く自然でも見れないとなる

それから西から東に行くと富士山が見える駿河湾となり天下の険の箱根の山を越える
そして小田原になる、ここは西と東のせめぎ合いの場所だったのである
小田原城は強大な城郭であり関東を治める城だったのである
そこから家康が治め大江戸三百年の栄を築いたとなる
さらにみちのくとなると辺境の地だったとなる、でも伊達政宗が出て東北の力を示したとなる

華城春望<篠崎小竹>

突兀たる城樓 海灣を俯す
春空目を縦にせんと 一たび登攀
千帆白く映ず 洋中の島
萬樹く圍む 畿内の山
酒を賣るの店は 平野に連なって盡き
花を看るの船は 上流自り還る
牢晴の天氣 多く得難し
凝望せん斜陽の 未だ沒せざる間に

 斜陽大阪城

昔日斜陽赤
大阪城栄跡
秀吉栄華偲
万朶桜散花

凝望せん斜陽の 未だ沒せざる間に

この景色だった、夕陽が赤々と大阪城に輝き映えて沈んでゆく、それを現していたのである、春の夕陽が沈んでゆくのを惜しむのである
それは西の栄華を象徴していたのである、漢詩はむずかしいから作れない、でも確かに表現的には一致していたのである
詩となるとやはり言葉によって感覚的に違ってくる、だから詩語を知らないと表現できない、漢詩だと詩語としてあるから表現できているとはなる
ただ大阪城でも今はビルに囲まれているから当時の規模の大きさを感じなくなっている
でも石垣がやはり規模が大きいので当時の城の大きさを感じる




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