2023年01月16日

君子危うきに近かよらずー小人閑居して不善を成す (このことを人間は守れないのはなぜか?)


君子危うきに近かよらずー小人閑居して不善を成す

(このことを人間は守れないのはなぜか?)

「君子危うきに近寄らず」の意味とは? 使い方や類義語とともに解説

このことの解説をしていたが何か違っていると思った
この君子危うきに近寄らずとはその意味が奥深いのである
これがわかるのは相当に人生経験をしていないとわからない
あの時なぜ失敗したのかとふりかえるとそうだった
人間はほとんど君子危うきに近寄らずを守れない
それは何故かとなれば人間には欲があるからである
だからその欲のために危うきに近寄るのである
美人見たら性の欲望が抑えられないとなり過ちを犯すとなる
つまり人間の欲はその他いろいろありそのために君子危うきに近寄らずを守れないのである
だからこの格言を守ることは不可能に近いとなる
なぜこれほど事件が日々起きて来るのか、もめ事があるのか、それは誰しも欲があり
その欲のために危うきに近寄るのである
何か儲け話でもそうである、今や地銀とかでも経営が苦しいから投資信託を売りつける
投資は悪いものではないにしろそれもつくづく危険をともなっている
投資信託とか株でも知っていて自己責任ですれば問題はない
でも知らないですると君子危うきにかえって近ずいて大損するとなる
だから本当に君子危うきに近かずくことは不可能に近い
隠者になることは相当に難易度が高いのである

自分自身が引きこもりとなり隠者のような生活をしてきたがそのために社会性がなく肝心のことすら知らないことになり親の介護になり死ぬほどの苦労をしたともなる
つまり隠者というのも問題がある、社会を知らないことはそのことで必ず苦しむからである、君子危うきに近かよらずとはこの世には余りにも危ういことが多すぎる
何か事件があるとしたら何かやはり危うきものに近づいてそうなった
そうなるとまず女性というものにく近かずくものも危険だとなる
でも女性にあえて近づくのは男性の性欲があるからだとなる、ではそうならないのにはそもそもその性欲がなくならないとそうなるとなる
そのことから様々な問題が事件でも生まれているのである

ただこの世の中何が危険かわからないのである、男女関係だけではない、金銭関係でも危険がひそんでいる、だから何らかで危うき近かずき失敗する、それは自分自身でもそうである、何か危険かわからないのである、何かの調子で君子危うきに近かずいていることがあるからだ、つまりそれだけ君子危うきに近かよらずは守れないということである
だからこそ隠者になることなど相当に難易度が高いし誰もなれるものでもない
いづれ何か問題を起こすのである、だから小人閑居して不善を成すとういうのもそうである
これも自らの経験で理解した、小人が高等な隠者になることは至難だとなる
引きこもりであれニートであれその人達も必ず不善を成すのである
一見社会に迷惑をかけないからいいじゃないかともなるが何か問題を起こしやすいのである、それがいつか表面化するのである
そういうことができるのは特別選ばれたまさに君子しかいないとなる

「君子危うきに近かよらず」「小人閑居して不善を成す」これは本当にこれを実行できる人は本当にまれだと思う、余程優れた人でないとできないと思う
それは自分自身の経験で理解したのである、自分は小人だということを理解したのであるとにかく何かもめごとでも事件でも巻き込まれるのがこの世である
それから身を守ることは本当にむずかしい、どこでそういう災いが生まれてくるかわからないのである、でも知らずに巻き込まれ人もいる、でも基本的に人間の欲があるかぎりそうなるのである

カルト教団などもそうである、その人達に教団に近ずくことは危険である
でもいろいろ問題をかかえていて近づくことになる、その動機が人間の欲なのである
奇妙なのは宗教は欲を抑えるものとして禁欲から生まれたものだがカルト教団はむしろ人間の欲でそれを刺激させて会員を増やすのである
御利益がある地位とか金が得られるとか美人と出合えるとかあらゆるこの世の欲を刺激して会員を増やすのである、だから全く本来の宗教とは正反対のものとなっているのであるでも純粋な若い人だとそれがみぬけないことがある、でもなぜそんなに祈っているのか
選挙に勝つために祈っているのか、それはこの世の欲を実現させてくれるからだとなる
もちろん病気を直すためとかもある、もともとは病気が人間の一番の問題だったからそこから宗教が普及したのである、科学技術が病気を直すようになってからはそういうことがなくなったのである、でも依然としてカルト教団などが跋扈するのは科学技術でも解決しない問題が人間にはあるからである

人間はカルト教団でもあれどうしても危ういものに近づく、それが避けられないのであるだから老人になって人生をふりかえるといかにこの世が危ういもので満ちているかわかるそのために命を落とすものも多いのである、その原因は人間にはいろいろな欲があり欲を抑えられないからである、それで君子危うきに近かよらずを守れないし小人閑居して不善を成すとなるのである
だからこの格言は本当に短いにしろ深い意味がある、それは現代でも通用するのである
そういうことが普遍的真理なのである、時代が変わってもに人間の欲はなくなるわけでもいなから通用するのである、聖書でも人間は欲で滅びるというときそうである
それだけ人間の欲は消えることがないからである、それは科学技術がいくら発達してもそうなのである、人間の欲は消えることがない、消すこともできないのである
科学技術が発達しても理想の国など生まれないのである
とにかく人間が津波でも地震でも病気でも災いに満ちていることを痛感した、そして人間は人間関係でも必ず不和が生じる
結婚しても三分の一は離婚しているのである
この世はこうして災いが絶えないのである.
それで最後は神によって滅ぼされとなっているのである、そういう人間の不和は災いは消えることがないからである

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