2023年01月19日

発達障害者とか精神障害者でも社会からただ排除すべきものなのか (誰にでもなる認知症も排除できるのか)


発達障害者とか精神障害者でも社会からただ排除すべきものなのか

(誰にでもなる認知症も排除できるのか)


精神障害者の母

精神障害者も人なりと
老いたる母は強く言う
犬猫のように捨てられか
もし施設に入れるというなら
私は戦うと体張って言う
子を守るために母は強し
その愛は無償の愛なり
何か子を世間に誇る者なしも
ただその愛は無償にして注がれる
何の報いを得られじも
母の愛あり母は強し
動物も我が子を犠牲にして守る
その時小なるも大に挑む
精神障害者は無用なりしか
ただ意味無きものか
さにあらず真にの母の愛を
示すものとしてありぬ
そのことのありて無益にあらじ
この世に何か意味を定められじ
意味なきことにも意味がある
この世は何が有益無益かもわからじ
故に安易に人の価値を定むべからじ
無用と思う者にも用あり
その母の無償の愛を知るべし


●精神障害者に生きる意味があるのか?

●精神障害者を世話することに何か意味があるのか?


発達障害とか認知症のことをを追及して来たが人間というのは何が意味あるのか価値があるのかわからない定められないのである、精神障害者は何の役にもたたないごくつぶしでありただ迷惑者であり負担をかけるだけの存在だからと抹殺すべきだとして19人も殺害した人がいる
ただその人たちは重症の精神障害者だった、発達障害者は軽症の精神障害であるから違っている
でもやはり病気の一種である、先天的に脳の障害がありそうなった
精神障害者には先天的なものと後天的なものがある、何か誰にでも発症する危険はある
社会生活でストレスがたまりそうなることがある
また社会に適応しにくい性格もありそれは学校に適応しにくい人もいるのと似ている
私自身学校になじめず学習障害者のようになっていたからである
学校でどうしてもなじめず勉強嫌いになる人はいるし自分自身がそうだった
ではその人は無能でそうなったのかというと違う、その人なりの性格があり才能があっても発揮できない、伸ばせないとういことがありそうなったともなる
発達障害も何か絵が得意でそれで社会で認められることがあったとか得意な分野を伸ばせば社会でも認めるとなる

ともかく人間の問題は様々あるけど人間に起きることは人間が完全な存在でもないし
弱い存在でありそして生老病死があり人間には病気でも老いでもさけられないものとしてある、精神障害も先天的にも後天的にも起きてくる
それが健常者とも関係ないのかとなると関係ある
特別健康で頭もいい優秀な人でも認知症にかかる、それを目の当たりにしてショックだった、そして認知症は誰でもかかる、800万人が認知症になる時代というとき老いればかかるのである、それは精神障害者となるのである
つまり誰でも生涯の中で精神障害者になる確率が高いのである
誰でも老いるし老いをさけるここともできないからである
とういうことで精神障害者の問題、発達障害者の問題は関係ないものともならない
認知症でも精神障害者だからである、何か似ているのである
つまり人間に起きることは他人事ではない、精神障害でも認知症になると確実になる人が多いからである、そしたら精神障害者と同じでありそんな人は人間ではないとされたら恐怖である、それは親がなるからである、子が精神障害者の場合は親の愛がある
今度は精神障害をの親を子を看ることになる相違なのである

つくづく人間には本当に様々な生きるリスクがある、その最たるものが病気なのである
精神障害も病気である、いくら科学技術が発達しても意外と現代は精神疾患が増えてい
うつ病でも増えている、それは必ずしも先天的なものとは限らない、後天的に環境の影響でもなる、だから誰しもそのリスクはかかえている、もう認知症となれば誰にでもなるしさけられないとるでなる、なぜなら90歳以上になれば半分以上があるからである
老いも原因でありそうなると誰も避けれないとなる
だから精神障害というのも実は社会的問題でもある、うつ病などはそうである
個々人の問題より社会問題として引き起こされる、時代病かもしれない、何か今度は別な息子が交通事故になったとかもしかしたら交通事故のようなものかもしれない
不可抗力にもなるの精神の病だとなる、だから精神の病にかかるリスクは誰にでもあるとなる、無関心ではいられないとなる

その時発達障者をもった母のように犬猫ではない人間であると主張して捨てられるのかとなる、施設に入れることはすべて悪いとはならないにしても気持ちとして捨てる感覚になっていいのかとなる
ただ母はそう思っても兄弟姉妹となると愛がもちにくいので捨てるとなる
すべてではないにしろそうなりやすい、それだけ負担が大きいから必ずしも責められないことはある
つまり家族でも捨てる、特に親の介護となる捨てるのが当たり前にもなる、施設は現代の姥捨て山なのかともなる、それも捨てる方にすると経済的な問題が大きかった
なぜならみんな貧乏でありとても老人まで食べさせていけないという深刻なものがあり食い扶持を減らすためにそうしたともなる
でも現代はまだそこまでいっていない、なんとか最低限食べさせてめんどうみる余裕はある、でもやはり貧困化するとめんどうみきれないと全体的に国自体でもそうなりやすいことは確かである
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