常にあらゆる人でも物でも価値判断しているのが人間
(価値と意味を与えるのが人間の仕事)
●生まれた時から価値判断されている
人間とは何かとなれば絶えず価値を追及する存在だということである。
それは生まれ時から始まっている。何かかわいい子だとそうでないとか子供の時価値判断されてかわいがられる子供とそうでない子供に分けられる
親でも子供に対して平等に愛すわけでもない、例えば障害をもって生まれてきても母親は愛す他の子供より特別手をかけて愛するとういうことがある
だからその価値判断は一定しないのである
価値と言う時余りにも多様なのである。何が価値があるかとなると百人百様でも違ってくる、ある人に価値あることでも他の人には無価値になる
確かに子供の時など野球をみていたが今は見ていない、興味がないから見ない
相撲もみない、だから私にとって見るスポーツは価値がないのである
でもプロになれば活躍すれば莫大な金が入る、この世の中なんでもあれ金になれば価値があるとなる、毎日その人にとって価値あるものを買うことは常に価値があるから買うのである、金がなくても安い物でも買う、安くてもいいものを買おうとする
果物でもこれはうまいとかうまくないとかで価値を常に感じて買っているのである
金を払う時何かそこに価値があるから金を払うのである
ただある人にとって価値あることが他の人には全く価値がないこともこの世には多い
第一絵があるとしてその絵の価値がわかる人はなかなかない、でも絵の価値を知る人は価値あるものとなりそれが何億でも売れるとなるのである
でもその評価は必ずしもその絵の真価を知って買っているとは限らない、ただ高く売れるという投機の対象として買う場合も多い
わからないのはなぜアンテークコインなど大きな価値があるのか理解できない
それは歴史的価値あるものにしても現実に何億とかなると理解できなくなる
でも何億でも買う人がいるから価値があるとなる
要する一番価値を理解する時わかりやすいのは金で計る金になるものは何でも価値があるとなる。それはめんどうな理屈なしでわかるのである。そこで抜け落ちるのが金にならないものは価値がないとなる。でも金にならないものでも本当は価値がある、だから金で計れない価値もいくらでもある。
価値と言う時ある人が一人でも価値を認めればその一人が認めることで価値があるともなる。美人でなくてもその女性に何か価値あるものを認めて結婚する人もいるからだ
だから価値は余りにも多様であり何が価値あるのかとなると数字のように判断できないのである
多様な色がありその色でもみんな違っていることに価値がある
花などはそうである、みんな形も色も違っていることで価値が生まれているからである
そして花は必ず様々な色がありそれを一つの壺に活けると調和して互いにその美が映えるそれぞれの色があって調和して美を形成するのである
何か花はこうして調和するから見ているとなごむしほのぼのとする
人間でも本当は何人かでも集まればそれぞれの個性がありその個性が活かされて調和するとなればなごむのである、つまり赤い花と黄色の花でも青い花でも白い花でも争うことはないのである、人間はすでに二人でも男女ですら争いが絶えず調和しないのである
本当は人間でもそれぞれの価値がありそれが調和すればいいのである
いづれにしろ人間は常に価値を追及している、価値を見定める、これがうまいうまくないこれがいいとかこれが悪いとかこの人は何に優れているとか何もできないとか.....
価値を定める、それは常に日々行われているのである
これが価値がありこれは価値がないと常に価値判断しているのが人間の特性である。
●金を払う時価値を必ず見る
毎日ただただ飯くらうだけだであなたには何の価値があるのかと問われる
それが障害者とかに老人に問われる、老人だと数が多くなったから国家の負担も大きくなりすぎたからである
本当に奇妙だけど発達障害者がいる。あなたに何の価値があるのですかと問うとその価値がわからなくなる。でも母親にとってはやはり子供であり価値あるもの愛すべきものとして価値がある。でも他者にとってはただのやっかいものでありなぜ養わなければならないのかとなる
現実に私はなぜその障害者に金を払わなければならないのかわからないのである
そこに母親のように価値を認められないのである
そのために障害者を二十人と殺した人がいた、それはその人間たちはただ負担なだけで価値を認められなかったからだとなる、価値無いものとしてかみれなかったからそうなったのである
自分にとって大都会は価値がないとみる、自然に価値がありその自然と調和している生きる存在する田舎の方が価値あるとみている、でも東京でもなぜ一千万人が集中して住んでいるのかそんな場所に生きて何の価値があるかともみる
でも現実はそこに価値があるからそれだけの人が住んでいる、また価値がないにしても生きるために稼げるから住んでいるともなる、その大都会で生きるために注がれるエネルギーは莫大なものである、だからエネルギーの観点からすると東京などの人口は減らした方が節電になりいいとなる
もちろん別な見方があり価値観があるから一概には言えない
でも美的な観点から見ると大都会に価値を見出せないのである
とにかく二人の人間がいるとするとそこで常に価値が定めることが品定めが日常的におこなわれているのである
あなたは何の価値があるのですか
あなたは何ができるのですか
あなたは何が提供できるのですか
・・・・・・・
ただここでも金が価値基準になり金を稼げる人が価値あるとされる。それはなんでもいいとなる、法律に違反しなければ株でもうけようが何でもいいとなる
人間は価値あるものに金を払うからである、そして金になるものは価値があるとなる
その他のことは余り考えないのである
でも芸術とかなるとその価値を認めること自体容易でなくなる、だからゴッホの絵が百億とかなっていて生きている時は一つも売れなかったのである
そういう価値もある、芸術となると価値を認められること自体がむずかしいからである
食べ物と違って誰でも理解して鑑賞できるものではないからそうなる
●多様な価値の探求―最高の価値は神が与える価値
価値は余りにも多様でありある人に価値があってもある人には無価値になる
ただ価値をわかりやすくしたのが金で価値を計ることである、他の人が無価値でも金になれば価値があるとなるからである
金を払う時その人にとって価値があるから払うのである、だから奇妙なのは障害者がいて個人的に金を払うという時この人に何の価値があって金を払うのかとなる
国で援助するのは個人で家族でその負担を負わせないためでありみんなで負担を負うためにそうしたのである、だから個人的に金を直接払う時どうして払うのか何の価値があって払うのかともなる、ただ母親にしてみれば障害者でも愛すべき者であり価値かあるものなのである
だから家族内でもの価値がありどんな人でも家族内で価値あるものとされる
老人でも祖父母でも家族内で価値あるものとなる、社会的価値がないとしても家族内で価値があればその人は価値ある人なのである
でも家族内でも今老人が価値ないものとされるのが多くなっている
家族遺棄社会ともなっているから老人問題の深刻さがある。社会的には価値ないものとされているからである
私の家族のことを語ってきたが家を支えてきた価値があり家自体を作った価値があり私自身に尽くしてくれた価値があると家族の価値は自分にとって大きいものだった
ただ他の家族は違っている、こういうふうに家族の価値を感じない人も多いのである
粗末に扱われて虐待されたとかまである、だから家族も多様であり私自身は特別恵まれていたとなる、他の人は母親に対しても冷たいなと見る、それは私のように母親に良くされていたともならないからである、この家族関係でも親子関係でもみんなそれぞれ違っているからわかりにくいのである
人間は価値と意味の探求でありそれが人間の特徴である
その価値でも意味でも多様だから一様にならないから見分けるのがむずかしいとなる
もろもろの価値の根源は人間である、人間がおのれを維持するために、それらの価値を諸事物に付与したのである、人間が先でそれが諸事物に、意義、人間的意義を創り与えたのだ、それ故に彼みずからを「人間」すなわち「評価する者」と呼ぶのである
ニーチェーツアラストラ
神はこの世を創った、でもその価値を意味を与えるのは人間に与えられた仕事なのである例えばエデンの園で果実であれ花であれ名前をつけることは人間的な価値を与えることである、価値と意味を与えることは人間の仕事なのである
それは人間自身についても価値づけする、人間とはそういう存在だということである
現実にここに猫がいる、毎日餌をやっている、その猫自体なんで生きているのか何の価値があって生きているのかなど動物は考えない、でも餌をやる人間はその猫でも犬でも価値を見出しているから餌をやっているのである。
また植物でも花でも木でもそのもの自体が何か価値があるかなど自ら問わないのである
その価値を認める意味を認めるのは人間なのである
要するに動物であれ植物であれ花であれ森羅万象に価値と意味を与えているのは人間なのである、神はその素材を与えて人間にその価値と意味を見出されるようにしたのである
人間自体の価値もそうであり森羅万象でもそうなのである
●価値は国や地域でも変わってくる
価値はまた同じ価値でも場が違えば価値が違ってくる、無医村になれば医者の価値は格段に高くなる、この辺では自転車屋は一軒しかなかったので価値が高かったことに気づいた地域地域の価値があり国家と民族の大きな価値があり世界的なグロ−バルな価値もあり価値は多様なのである。
物の価値にしても自転車でも車でもその種類が多い、そして自転車だとデザインもそれぞれ違うし乗り心地も違うのである、だから同じではないからその同じ無いことに価値がある、電動自転車も増えて多様になりそれぞれに価値があるとなる
物の価値にしてもグロ−バル化して多様化したのである、多様化することは豊かになることである、食でもハンバーガーを世界で食ことには価値はない、日本食でも食べることで食も多様化して豊かになるのである、many culturl valuesになる
現代は量の追求でなくて質の追求であり多様性の価値の追求の時代になっているのである地域地域の国々の価値は量ではなく質として文化としての価値にある
そして宇宙を考える時銀河の価値があるとして宇宙のことなど知り得ないから未知になるからその価値は計りえないのである、ただこれからいろいろ知らないことが発見されれば人間的に価値づけられる、まだ見えない星の価値はゼロだからである
それは地球でも見えないものがあり発見されないものがあり価値づけられないものがまだ無数にある、地域でもそうでありその価値を発見されていないのである
その価値を芸術家が発見したりするのである、人間とはこうして価値の追求であり新しい価値の発見であり価値を創造することが人間に与えられた仕事なのである
そして最高に価値あるものは何かとなるとそれは神が与える価値である、人間が与える価値ではないのである。神のみが人間を神の子として聖霊をそそぎ最高の価値を与えたのである。それは神にしかできない、牧師とかでもできないのである
そこに人間の最大の意義があったとなる、ただ人間は堕落したのですべてには与えないのである、選ばれた人が神に価値が与えられて来世で神の国に永遠に生きるのである
そこに価値なきものはありえない、あらゆるものが価値あるものとしてあり花々のように様々な色があり調和するのである、神の国では老いることはないのである
病気もないのである、常に若々しく命は衰えることはないのである
そこではすべてに石コロ一つでも価値があり価値無いものとされることはないのである
タグ:仕事の価値 品定め 家族内の価値 集団組織の価値 国家の価値 多様な価値 障害者の価値 万物の価値と意味 価値なきもの 人間の価値判断 価値と意味を求める人間 地域内の価値 社会の価値 人間に与えられた価値 万物の価値 食べ物の価値
【宗教 哲学 思想 人生論 国家論の最新記事】
- 利から金から離れられない人間 (逆..
- 人間の矛盾−宗教が偽善になるのはなぜか?..
- 最後に人間は自らに問う (自分の人..
- この世に生きることの無常 (老人に..
- 時間が一番の謎-永続するものを求めよ ..
- 人間を作るの体験、老人の価値は何を経験し..
- カルマは苦しまなければ解消しない ..
- ケチな人とは付き合いたくない (人..
- 何の価値を追及しているのか?宗教が一番わ..
- 老舗の菓子屋を守るために犯罪者となったド..
- ケチな人の問題-人間はみんな偏っている ..
- 君子危うきに近かよらずー小人閑居して不善..
- 人間は物語を残す(history)と同時..
- 人生には確実に運が作用している (..
- 人生の危険―利欲を離れることができない人..
- 権力を追及するカルト教団(権力と権威の問..
- なぜカルト教団の被害者が多いのか ..
- カルト宗教団体を解散させられないのか? ..
- 引きこもりが全国で110万人もいる問題 ..
- 日々勤めよ、報いを得らずとも・・・死後に..