土地の大工さんに頼むリホームと外部の会社に頼むことの相違
(広域化グローバル化で時間軸で作られた継続するものが失われた)
家を直すにしても家を作るにしてもリフォームするのにもユニットバスは仙台市の最近できた会社の人が100万で作った。
それは安いものだった。それからトイレはやはり郡山市の方から来た会社の人だった。震災の時は瓦屋根を直したのはいわき市の会社の人だった。
今回一部の部屋とキッチンを直したのは地元の大工だった。その人は会社の人ではない一人で仕事を請け負い仕事してる人である
ただリフォームというのは面倒なものだと思った。一からやり直すより古いもの残すのは回転面倒なのである。
そしてリフォームは何か密なコミュニケーションが必要になる
そのリフォームする大工であれ人とコミュニケーションは必要なのである。
それで思ったようなものが作られないという苦情が多いのもそのためである。。
そして現代では仕事が広域化している。だからこそいわき市の人が来たり郡山市の人が来たり仙台市の人が来たりとなったのである。
でもそうして広域化して家を部分的に直す。でも何か家全体を見ることも必要である。それがなかなか出来ない。人間にはそんな全体を見る能力はない。でも家にしても全体を見るということが必要なのである。
それは人間の体でも同じである。人間の体を部分として見て治療する。でも人間の体は互いに通じ合うものであり部品としてだけ見ることは問題が起きる
でもどうしても人間の仕事は専門家する。それがあまりにも複雑な社会となり無数の専門家が生まれ互いにその専門家同士でも互いに理解できないものになる。
そこに現代の大きな問題が潜んでいる。原発でも全体を分かる人はいなかった。
吉田所長すら復水器のことすらわからなかった。それは重要なものでも私の専門外だということで分からなかったのである。
社長でも今や全部を知ってる人はいないそれだけ複雑でありひとりの人間が知り得るものは一部分に過ぎないのである
だからその大工さんは庭作りすらできる壁塗りもできる才能ある人であったが水道のことがわからなかった。それでキッチンを入れるとき合わせることができず焦ったのである。
リフォームはとても一人ではできるものではない。建売住宅のように組み立てるプラモデルのように組み立てるものではないからである。
そこには細かい技が必要になっていた。古いものに合わせて作るとかなかなか難しいものであった。だから密なコミュニケーションが必要になった
そして大工さんの仕事でも前は地元の木材で家を作っていた。外材などを利用していないのである。するとまたたいがい地元の人の大工さんが家を作っていた
今のハウス会社などではない。ハウス会社になると地元はあまり関係ないのである。多少地元の大工さんに委託するようなことがあっても別に地元はそんなに関係しないのである。フランチャイズ店などもそうである。コンビニでもそうである。
こうして現代で広い地域かになりグローバル化して地域のつながりというのが希薄化したのである
でも地域の人に仕事をしてもらうということは例えばトイレを作ったユニットバスを作ったトイレを直した瓦屋根を直したとか地元の人と関係していない
そうして外部から来た人で仕事する人はどうしても一時的な関係になりやすい。でも地元の大工さんに頼むとその大工さんは近くに住んでいるから一時的ではなくなる。何度も家を直したりする。
何か家のかかりつけ医のようになったのである。それは近くに住んでいるからこそできたことである。だから一時的な関係ではなく継続的な関係にもなる。それはただ家のことだけでなくその他のことでも地域の中で生きてゆくことで関係してくる。同じ市内に住んでいることでもあり生活を共有するということがありそうなる。
原発事故では互いに危険でも共有するものであった。でもそのことでみんなが議論したりすることもなかったのである。今になるとやはり地域が危険になるということでみんなで一応議論すべきだったのである。
つまり地域で様々なことで問題を共有するということがある。でもそこでも対立はある。原発に賛成するか反対するかそこで地域内でも対立はする。
現実問題として原発事故以後では南相馬市でも補償金で対立したからである。
ともかく人間は空間軸と時間軸で生きている。時間軸とは継続することである。広域化グローバル化は空間の拡大である。でも継続するというときは時間軸で継続するのである。
先祖代々の地というときそれは継続してきた時間を言っているのである。そして日本だと空間軸と時間軸は狭い国土と地域で村単位で一体化した
先祖が春になると山を下りて田植えを見に来るというのはそのことである。
先祖は山に眠るからである。村ではそうして空間軸と時間軸で一体化する。
でも空間軸が広い地域してさらにグローバル化するとき時間軸で形成された継続するものが失われたのである。
原発事故でも江戸時代からでもその前からでもあった村とかが消滅したからである。その時代々継続された時間軸のものが消失したのである
ただ現代は空間軸で拡大した。でも時間軸で継続されたものが失われた。人間の関係も空間軸では拡大したとしても代々続くとかの人間関係はない。ただ一時的な関係に過ぎない。先祖代々の繋がりとか時間軸で形成されるものは失われたのである。
仕事でもだから家にしても家の一部分として仕事してその後の関係はなくなるのである。でもその当地の地域の大工さんが変わる時関わるときそれは一時的なものではなく同じ空間と時間を共有する中に関わることになる。
それが遠くから来て一時的に部分的に関わるのとは違っているのである
現代はあまりにも空間的に拡大してしまった。その代わり時間的に継続するものが消失した。それが問題なのである。
人間はそれぞれの地域で風土の中で生きる。
でもその自然にしても地域地域に違ったものがありそれが一体化するアイデンティティするにわ時間がかかるのである。その時間の中で空間軸と一体化してアイデンティティ化して文化が生まれるのである。ただ空間的に拡大しただけでわ物の交換はあったとしても文化は生まれないのである。
だからグローバル化からは文化は生まれないのである。物の交換でありそこに精神的なもの文化は生まれないのである。
これからの時代はグローバル化による物質的豊かさよりその土地土地に根付いてたがやすカルチャーお育む時代になっている。
風の時代ではない。地の時代なのである。
そして家というのは老後には大事なものになる。なぜなら老人はあまり遠くにゆかず家に居ることが増えるからである。だから家の住みやすくして家に居る時間が長くなる。それでリフォームは必ず必要なのである。
もう50年もすぎたら老化してきていい時代に住めなくなっていたのである。
大きな地震も二回来て家が歪んでしまったのである。
それで大工さんもリフォームするのに苦心したのである。
ともともかくなんとかリフォームしてキッチンも直して快適に住めるようになった。
まあと何年生きるのかわからないがやはり住み心地良い家であれば助かるとなる
タグ:文化の時代 空間軸と時間軸 風の時代から地の時代へ 老後の家の大事 仕事の広域化 家のリホーム グローバル化の問題 継続するもの 先祖代々続く村 部分化する仕事 アイデンティティする空間と時間 土地に根ずく仕事 継続する人間関係
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