発達障害とは何か-50歳でも大きな子供で大人になれない
(親が死ぬと兄弟間で険悪になり殺人にもなる)
発達障害とは何か。それがよくわからなかった。
でも何回か付き合ってみて何かを知った。いろいろ症状があるにしてもその人の場合何が異常なのかわかった
その異常性は母親に対するものだった。母親には一番世話になり苦労をかけていてもその意識がないのである。
母親に対してばばだとか何か尊敬の気持ちもないのである。それが子供なら分かるがすでに53歳なのである。
その年ならみんな親にもなっているから親の気持ちもわかっている。でも発達障害の人はそれがわからない。
要するに本当に発達が普通にできなかった人なのである。子供のにままに大きなおとなになってしまった人なのである。
だから親に対して何か感謝するとかの世話になったという気持ちがないのである。そこが一番変だと見た。
年は50歳でも依然としてその点から見れば子供なのである、大きな子供なのである。
そして家でしていることはゲームなのである。たいがいゲームをしているのである。
ただ何か普通に話が出来るからどこがおかしいかわからないのである。でも私は親に対する態度がまともではないと感じた。
50歳にもなれば親に対しての感謝の気持ちとか生まれる。それは自ら親になったりして親の気持ちを理解するようになるからである。またいろいろと社会で経験して苦労するから親の気持ちも分かってくる。
発達障害の人はそれがわからない。子供のままに未熟なものに大人となったのである。
それだけ親に迷惑をかけて世話されてもそのことに対してなんら思うこともない。感謝もないのである。
それはまさに子供のままにただ年を取って大人になったということである。
ただ親でも子供から虐待されたり最悪は殺されたりもしている。だから発達障害の人がだけがそういう方になったとは考えられない。
だからこそ親孝行したい時は親はいないとなっていたのである。それは親が早く死ぬ時のことである。長生きの時代は親は必ず生きていて子供は介護を強いられる。親は必ず生きていて子供は孝行しなければならない時代なのである
それは時代の変化でそうなったのである。
ただ今私が感じているのは兄弟がいたとして弟とは折り合いが悪い。というよりは険悪であれ危険な状態にもなっている。
今はなんとか母親が生きていて収まっているが死んだら危険な状態になっているなる。親は今弟の方に脳梗塞になり世話になっている。だから弟に対して強く言うことができないのである。
でも障害者の人を兄弟であっても殺したという事件があった。
家族以外の関わりが難しい障害者とその家族をどう支援するかは、同居の親が障害者を残して亡くなる「親なき後」を見据えた場合にも大きな課題となる。
知的障害がある人の中には、人見知りが激しかったり、家族以外に体を触られるとパニックになったりするケースもある。
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知的障害を持つ74歳の兄を70歳の弟が殴打し、その後、遺体で見つかった富山県上市町での事件。その弟も精神科の受診を続けていて、裁判官は「社会の中で更生する機会を与える」として猶予付き判決を言い渡しました。
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家族に障害者をもつと家族が悲劇的に崩壊する。それは普通の親の介護でも家族が崩壊するということがある。それを自分自身で経験したので書いてきた。
私が接した障がい者を持ったた家族でもそうである。発達障害ではあるがやはり手を焼き苦労している。
この事件では別に兄弟でも情があり世話していたがたが限界が来て殺人にもなった。そういう事件は多い。障害者をもつ親を介護するその負担が大きすぎるのである。
50過ぎてもまだ子供であり親は世話をし続けねばならない。
子供は親に対して依然として子供であり何か感謝するとか助けるという意識が薄い。
そして親が死んだとき大きな問題が生まれる。それは共通しているようだ。ニートとか引きこもりでも親が死ぬと大問題になる。
それで自分は引きこもりのような状態で60歳まで生きてきた。だから死んだとき介護になった時大変なことになったのである。誰も助ける人もなく介護して葬儀でも一人でみんなしなければならなくなったからである。
ただ私の場合は特別世話になったということで感謝していて懸命に介護して親を見送ったとなる
死んでからも感謝しているから供養続けているのである。
でも障害者の人はそうした親に対する感謝も希薄なのである
大人になっても親に依存する子供なのである。何か感謝の気持ちも希薄なのである。だからそこが異常なのかとも見た。
でも親が死ぬと相当に厳しいことになる。兄弟がいたとしても親とは違う。私が接した兄弟では情がない兄弟としての情がない。だから親が死んだらどうなるのかということである
それは殺人にもなる危険を感じた。今でも直接会うことをひどく嫌っているからである。ただそうした自分の立場も理解できない
そうなると親は死んだら困るから施設に入るのがいいともなる誰も面倒を見る人がいなくなるからである。それは私が接しした障害者の家族だけではない。共通した悩みとして障害者家族は持っている。だからいかに知的障害者をもつということが家族を家族に負担がかかるか理解したのである。
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