近辺の高齢化社会の悲惨な状況
(増えるのは老人と病人で日本は改革できない)
脳梗塞になった女性が72歳の女性がやっと歩いて自分の家まで来た。いつも食べるものすら買えないと嘆いている。年金は4万しか貰っていない。生活保護といっても現金は5000円くらいしか貰っていない。医療費は無料でもない。一二割取られることがある。だからどうして生活保護なのだろうと思う。
最低の生活はできないからである。その息子は車で郡山市の方に働きに行く。それも朝5時とかに出る。前は朝3時にも出ていたのである。その息子が交通事故になり車を買う金が無かった。それを自分は支援した。
もうその52歳の息子がの働く収入がなかったらどうにもならなくなっていた。脳梗塞で寝たきりになったりしたら働くこともできない。収入は絶たれる。そうしたらどうなったのだろうか?
その息子は刺身も贅沢だから食べていないという、母親は脳梗塞になってもまともに栄養も取れない。果物を食べろと言っても買う金がないのである。ただ救われたのは脳梗塞でも症状が軽く歩くことができたことである。でも自転車に乗れないということが買い物でも苦しいとなる。
もう一人発達障害の息子がいる。その息子さえ53歳とかになっている。つまり50代の人が80歳の親を介護する8050問題がすでに起きているのである。
介護する人が子供が会社を辞めたりして親の介護をすれば金が足りなくなる。その深刻なことが起きるすでに起きているのが8050問題なのである。
近くを見ても隣では85歳だが心臓を悪くしてデイサービスに行っている。もう一人はやはり85歳で糖尿病であり入退院を繰り返している。その85歳の人を助けていた女性が脳梗塞になって行けなくなった。もともと自分の暮らしが苦しいから金をくれと言ってもくれなかったから不満であり仲が悪くなった。
今日大工さんに聞いたらその姉も施設に入っている。何か貯金とか資産がどれくらいあるのか調べられたという。おそらく年金くらいでわ施設で賄えないからだろう。
ともかく周りを見てもこうして老人が金がないなく困窮している。そして日本で増えるのは老人と病人だけなのである。
子供が遊んでる姿など近所で見えないのである。
それはますます2025年になると団塊の世代が75歳以上になる。そのとき医療費も増大する。何らか病気になる人が増えてくるのである。そして福祉にでも医療費でももう国で出すことができない。若者も貧乏であり先が暗い。いいことを言う人はいない
戦後の焼け野原から団塊の世代が生まれたがそのときは食べるものも満足に無いのに子供は増えたのである。
だから貧乏人の子だくさんと言って必ずしも豊かでなくても子供は増える。その時子供は労働させられていた。それは農家でも商家消でもそうだった。私も子供の時は常に店で配達とかさせられていたのである
戦前でも子供は働き手としてありみんな大学に入れるようなことなどなかったのである。だから金はかからなかったのである。
今は逆に奨学金をもらってまで大学に入っている。その奨学金の借金から社会人になるから苦しいとなる。
団塊の世代は集団就職の時代でもあ中学を出たら働きに出されたのである。それは江戸時代なら明治になっても丁稚奉公とも似ていたのである。
ともかく何かこういう状態は全国的である。増えるのは老人と病人ばかりなのである。こういう社会とは何なのか。若者が老人は集団自殺しろというときそれはあまりにも老人と病人が多すぎるからである
もちろん長生きは悪いことではない。でも老人が病人が多いとことはやはり正常な社会ではない
私の家はすでに50年過ぎている。それで津波震災の被害があり去年の大地震で家がかなり傷んでしまった
それを直したのはいいがもっと直すとするともう壊して新しくしたほうがいいとまでなる。大工さんは次から次と直したほうがいいと言うけどそうなるともう新しい家を作った方がいいとまでなる。家でもやはりリフォームするにも限界がある限界がある。
おそらく社会でもそうしていろいろと問題が起きている。でもなかなか解決方法がない。
日本は戦争で負けて焼け野原になってもそこから立ち直ることができたのは古いものを壊して新しいものにしたからだともなる
古いものを残して新しくしようとしてもなかなか面倒でありできないのである。だからリフォームには限界があると思った。
古い農家であった家が別に新しく作った人がいる。
その方は耐震設計もして断熱材を入れているから冬でも暖かい
古い家をリフォームするのもいいがそこには限界がある。おそらく日本でもそうして古いものを残して新しいものを作るということは無理があるのかもしれない。いろいろなものは新しくできない
いまだにハンコにこだわっている信用組合とかある。銀行もあるだろう。そういうものすら日本は改革できないのである。デジタル社会に移行できないのである。社会自体が硬直化しているのである。
それが高齢化社会が足枷となってなかなか改革できないのである。ただ別に長寿が悪いことではない、でも社会全体から見たときはどうしても新しい社会にすることが難しいのである。
病院に入院している85歳の人の家も相当にいたんでいるという。庭も荒れている。何かネズミが入ってくる穴があるという。ネズミの運動会場になっているという、田舎というのはちょっと街から離れたところは農民が昔ながらの濃い人間付き合いがある。また田んぼがあるから畑もありネズミが出やすいのである。
また空き家も多いから家でもネズミに荒らされるとなる。
都会から来た人は田舎でもそうした濃密な人間関係がある農民社会だったところには住むと耐えられないことにもなる。
ともかくこうしてこうこうしたことが全国的に起きている。それが少子高齢化社会の現実なのである。
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