リホーム終わる(花曇り、枝垂れ桜、大工の技、、、、
原町の道の駅の隣の集会所
花冷えや病み上がりの老女来る
花曇り高齢化社会未来なし
病院や誰か入院す花曇り
花の咲く技を見せたる大工かな
花満開熟練の技大工かな
明るくも枝垂れ桜や乙女かな
孫連れてパンジー映えぬ川の道
原町の郊外に出て田畑かな雲雀さえずり海に向き行く
今日は山の方は曇っていたが原町の方に行った。
何か桜も満開になったが花曇でありまだ寒くぱっとしない。
その花曇りが時代を象徴している。高齢化社会が花曇りなのである。何かぱっとしない。未来が見えない。鼻が鼻が花が割かないのである。
また老人が病気になる人が多い。脳梗塞になりやっと歩いてきた老女がそうである。ただ老女にしてもまだ72歳なのである。
でも老人は年の通りではない。同じ歳でも十歳くらい差がある。その人は病気になってさらに老けてしまったのである。もともと苦労していて老けていたのに老けてしまったのである。
原町の道の駅の公園にある集会場にしだれ桜が咲いていた。それは明るく何か憂いがない。若い女性のようである。
でも枝垂れ桜でも濃い愁いに満ちたようなものもある。同じ枝垂れ桜でもいろいろある。
それから海の方に向かって行った。雲雀が鳴いていて太平洋が広がり波が打ち寄せる。それがこの辺の風景である
家に帰ったら大工さんが仕事していた。今日で仕事が終わる。大工さんはその技を見せて仕事に精を出す時生き生きしている。
やはり週に二回ほど流れ作業のようなことをしたがそれをやめたことがわかる
大工の仕事をしているときはやはりそれが天職でありやる気が違う。人間は何でも金でやれるものではない。いくら金をもらってもやりたくない仕事をやらせられるのは苦痛になる
その人は長年大工をして技を磨いてきたのである。だからその技を見せることに価値があるのである。その他の仕事は必ずしも金にはなっても価値にはならないのである。
でも金にならない仕事は誰しもやりたくないのである。その辺が必ず矛盾してくる。また人は金のためにだけ働きたくないということがある。例えば何か金があったとしてもその人があくどいことで金儲けしたりしていたらその人のために働くということが気が進まないということもある。
ただ現代の資本主義社会は金が価値でありその人がどんな人であれ金をもっていれば金を支払えばその人のために働くとなる。
でももし金に余裕があればそういう人のためにも働かないし何か自分の技を示すにもしたくないとなる。つまり金出はなくその人を見て働くともなる。
そうなるといちいち面倒になるから金で全てが価値づけられて働く働かされるともなる。
ともかく働くということは金のためだけではないそれは確かである。他人の庭の草むしりをするだけでもやはりその人に家に尽くすとなりただ金をもらえばいいともならないのである。
家を作る家を修理する家をリフォームする庭を作る庭を掃除する草をむしるそういう仕事でもその家と人とに係るのである
だから働くということは単に金を得るというだけではないのである。でも現実はすべてが金のためというふうになってしまったのである。だから人とか何のためとか考えない。それをいちいち考えたら仕事にもならないからである。
ともかく仕事もしない無職でもあった自分が言うのはなんだが働くということが人間には必要である。
それはただ金をもらうために金のためだけではないからである。
だから人間はベーシックインカムとか働かなくても良いといってもそれで済むことはない。そうなった時生きがいもなく何のために生きているかもわからなくなるし価値のない人間になってしまうのである。
そして何かしら働かない人は社会も分からないし何が価値あるのかも実感できないのである。
ただ現代はあまりにも多様な職業と仕事が分化して分裂してそこで人間のアトム化して騒音の総合の総合的連関を感じなくなったのである。
とにかく一応リフォームは終わった。自分も大工さんと補助とかして働いたのである。お茶とかお菓子とか買ってきて出すことも
働くことでありただ金を出すというだけではない自らもサービスしたのである。ただ金を出すというのではなく自らが大工さんにサービスしたのである。
それは金だけではないそこに自分の家を直してくれたということで感謝の気持ちでそうしたのである。
でも今は大工さんにしろそんなことをしないこともある。大工さんでも別に食事でもして店で食べたいものを買いばいいとなるからである。
ともかくこうして大工さんの補助役としてまたお茶を出すサービスをしたのである。それも一つの経験となったのである。
ただ正直口は悪い大工さんなので疲れたのである。
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