桜咲く六号線を新地まで(俳句連作)
新地の砂浜は広い
風そよぎ遠くへ行くかむ朝桜
六号線桜咲き継ぎ走るかな
タンポポや六号線を行き交いぬ
風光る六号線を走るかな
地を離れ天にも咲かむ白木蓮
紫木蓮高貴の色や風光る
(八幡神社)
池映る桜満開錦鯉
金の鯉優雅に泳ぎ桜満開
暇あり休む人あれ花の影
逃がすまじ写真を撮るや花盛り
金運にあやかる者や花に鯉
若草や海の開けて新地町
間を置きて鶯鳴くや夕暮れぬ
(六万石の城下町)
夕日没り六万石の桜かな
桜色に染まりて暮れぬ城下町
堀映る桜や暮れぬ城下町
松並木街道帰る夕桜
今日は天気が良いので六号線を新地まで桜を見に行った。
桜は六号線沿いに咲き続いていた、白木蓮も紫木蓮が美しく咲いていた。
何かその白木蓮も天にも昇って咲いている感じだった。
私の俳号を天華としたのは似合っていたとなる。主に花の美を追求してきたからである。天こそ本当に花は咲く。神の創造したイデアは天にこそけがれなく咲くにふさわしいのである
紫木蓮も高貴で美しい。風光る中にそれが咲くのにふさわしい
紫は高貴な色であり皇族の式典にふさわしかったからである。
八幡神社は桜でこの辺では知られている。そこでいつも写真をとるひとがいる。ここは錦鯉が泳いでいるのがいいのである。
特に金色の錦鯉が映えるのである。この鯉は金運を金持ちをイメージする。金運というのは確かにあるのかもしれない、遺産を相続したとき金運があったと自分が感じたからである。
ただ金運でも危険を伴う、金は何しろ危険なものがあり手放しでは喜べないものを持っているからである、金があっても呪われることもあるから怖いのである。
相馬市から新地に向かった。新地は駅前でもきれいに整備されてまるで都会の駅のようになった。そこに温泉も出たから入浴できる。何か設備は整っている、でも近くの喫茶店に入っておばちゃんと話したら客は来ないという、確かに人の出入りh少ないのである、建物は立派でも人の出入りは少ないのである。
新築の家は多く建ってもそれもローンであり苦しでいるというのもわかる。原発事故の補償金は出ないからである
新地の砂浜は広い、前から広かったのである、もともとここの地形は入り江のように湾のように海が入り込んでいた。だから砂浜が広い、でも鹿島でも原町でも砂浜はもともと小さくなっていた。右田浜で砂浜はわずかしか残っていない。
津波で砂浜が消えたとはならない、四倉は広い砂浜がありそれが緩衝地帯となり津波を防ぎ街の方は被害が少なかった。
海と接した街があっても被害は少なかったのである。
これも地形と関係してそうなったのである。
相馬市に帰ると夕方になり薄暗くなっていた。相馬六万石というとき規模としては小さい、不思議なのはなぜ小藩でも野馬追とか500騎の馬が行列にでるのかとなる。他の大藩でもこうした馬の祭りは残っていないからである。
ともかく一応相馬藩があり相馬市は城下町なのである。
城跡に桜が咲き夕暮れとなっていた。
相馬藩が六万石というときその石高で藩の力を見る
春や昔十五万石の城下哉 子規
この十五万石の石高が正に松山藩の規模を象徴していた、それはかなりの大きさの藩だったのである。六万石の倍以上だからである。
今日は暑いくらいだった。桜の花盛りである。桜は意外と見れない、近くは見れるとしても遠くは見れない、なぜなら二週間くらいしか咲いていないからである。
私は旅して相当桜を見たとしても一部なのである。日本だと桜の名所はいくらでもあるからである。
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