2023年04月04日

熟年離婚で意気消沈する男性 (老人が無用化して迷惑老人となる深刻)


熟年離婚で意気消沈する男性

(老人が無用化して迷惑老人となる深刻)

●熟年離婚で失うもの

最初のうちは清々したと思っていても、今まで妻になんでもしてもらってきた男性というのは急に一人になることに対して心細くなり、もっと違う方法があったのではと後悔するということは珍しくありません。

その逆に裏切られたという気持ちを持つ男性も少なくなく、今まで散々家族を守るために身を削って働いてきたのにこの歳になっての離婚はひどすぎると落胆する人も多くいます。


この問題の前にそもそもなぜ離婚が多いのかということである。
そうして長年連れ添った妻と別れることが男性にとってどれだけ衝撃的なことなのかそういう人を見て理解する。
何か60歳以上で離婚した人を男性を見ていると意気消沈した感じになる。 60歳以上といっても65歳でくらいで離婚したのかもしれない。そんな年で長年連れ添った妻と離婚するということが結婚したことのない私には理解できない
ただなぜそもそも離婚がこんなに多いのだろうか

熟年離婚とは長い結婚生活ですでに協調できない何かがあり子どもが育ったとき我慢することがなく離婚に至る。
そういう人も女性の場合多いことがわかる。しかしなぜ長年一緒に暮らしていたのに離婚になるのか。それはかなりの損失である。なぜなら人間の生きる時間は限られている。だから60歳までも一緒に暮らす時間がありそれが失われてしまうことがどういうことなのか
人間にとって大事なことは時間なのである。何をするにしても時間がないとできない。だから何であれ人であれ何か学ぶことであれ体験することであれ時間が必要なのである。

だからその時間を結婚して60歳までも一緒に生活していた人が離婚するというときそのの長い時間を費やしたことが無駄になると思えるのである。
人間はあらゆることに時間を費やすことはできない。だから親子でも子供の時一緒に暮らさなければ親子の情も生まれないのである。成人しても子供が結婚して離れて暮らしたりしていると親子の情も薄れてゆくのである。
去る者は日日に疎しとなる
でも一体それだけの時間を共に暮らしていたのに60歳以上になり離婚になり別々に暮らすということがどういうことなのか理解しにくい。なぜなら人間はそうして長く生活を共にする人は本当に数人くらいしかいない。あとは束の間の出会いで通りすぎるように別れてゆくだけなのである。

●貴重な時間を何に誰と費やすのか

つまり人間は与えられた時間を何に費やすか大事になる。
またその時間を誰と共に過ごすのかそれも大きな問題である。なぜなら人間の与えられた時間は限られているからである。
Aと逢いBと逢いCと逢い、、、、となってもそれは会ったと言えるのだろうか、そもそも人間逢うということはどいうことなのか
あなたと逢いましたねまたすぐに別れましたねそして二度と逢わなくなりました、なぜなら死んだからもう逢えなくなったからです。あの人とあっていればよかった。死んで逢えなくなったからである。人間は逢うとうことは必ず別れることなのである。
どんなに長い時間を過ごしてもいずれは別れるのである。

だから人が会うにしてもそこに時間が費やされる。貴重な時間を会う人に対して使うのである。
結婚するというときそれは男女が出会い長く暮らすもである。。でも恋愛は一時的なものでありそれがいかに熱情的なものでもいずれは冷めるのである。
結婚はそうした一時的な熱情ではない。長い時間を貴重な時間を共に過ごすということである。だから誰とその貴重な時間を過ごすのかそれはこんなに大勢の人がいても一人なのである。
一人が選ばれるのである。たとえ離婚してまた結婚してとなってもその数はせいぜい二人くらいだおなる。。
実際は人間は男女でもある一人を選び結婚する。
また早いうちの離婚なら再婚してもせいぜい二人だと思う

●熟年離婚で男性は意気消沈

ともかく近くで知っている人は妻に死なれてから相当にショックを受けた。死んでも妻のことを思い続け供養を絶やさなかった。そして妻無き家に居ることが寂しくてたまらなかった。それは熟年離婚したわけではない。
でも最愛の妻と別れてその寂しさが耐えられないものであったのだ。男性の方が妻を失うことはか衝撃が大きい
やはり妻に支えられていたということがある。それは経済的なことではなく精神的なものでありそれが離婚したとき自覚され意識されるのである。

熟年離婚した人を見ていると男性の場合は意気消沈している。
おそらく男性は亭主関白だったのかもしれない。自分の言うことをつまり妻に従わせる。そういう結婚生活だったのかもしれない。それが離婚した結果従う相手もなく意気消沈してしまったのかもしれない。
その人は一人で居ることができない。常に誰かがそばにいて仲間がいることは日常的な生活だったからである。
離婚した結果どうしても家でも一人でありその一人に耐えられないのである。ただ仕事はできる人間なので仕事をしているときは生き生きしているのである。ただその仕事をするにしても支える妻がいなくなった時仕事が終えても自分で食事でも用意しなければならない。それはかなりの負担になったのである。
ただ熟年離婚は増えている。だからこうして一人男性が取り残される人も取り残される人も増えているのである

これは高齢化の問題でもある。たとえ60代で離婚してもその先がまだ長いからである。その長い時間を一人で生活しなければならないからである。

●ただ迷惑行為して生きる老女

こうして高齢化の問題はここにも現れている。他にも何かすることもなく生きがいもなくただ迷惑行為をするために生きているばあさんがいる。キラキラした金属のものをぶら下げてふ迷惑をわざわざ作って迷惑行為をするのがその女性はそうして迷惑をかけることが生きがいともなる、それも異常だとなる。
それで市営住宅の知っている老女はそのために目が悪くなるとまで言っている。
その迷惑ばあさんは何の為に生きているのか。ただ人を困らせて生きている迷惑ばあさんになっている。それも無視できない笑い事にできないのは現実にそのキラキラした金属片で目が悪くなると老女がいるからである。
こうして高齢化社会はいろいろな問題が生まれている。それは長生きはいいとしてもその長生きした人生を意味あるものと生きがいあるものとして生きられないことである。

だから高齢化の問題は金がなくて生活もまともにできない食べるものも満足に食べられないという問題も深刻である。
それと同時になんで生きているのかもその意味が見い出せなくなっているのである。それは例えば障害者であれどうして生きているのか生きる意味は何なのかそれもわからない。老人の問題はやはりなんで生きているのか何の意味があって生きているのかそれが見い出すさあれずただ迷惑人間となっていることが問題なのである。
もうし60代くらいで死んでいればこんな問題は起きなかったかもしれない。迷惑人間になる前に死んでいたとなるからである
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