故郷の丘の桜の詩ー桜散る
(桜平山と万葉会館の丘の桜)
二本の朝の小径に花の影
タンポポのたちまち充ちぬ空地かな
六号線タンポポ充ちてどこまでも
花は散り残れる花や雨しとと朝の静かに今日も行く道
ふるさとに散りし桜を惜しむかな遠くへ行かず雨のふるあと
夕べ吹く風の強しも花の散りさらに花散り残す花かな
移り住む人の庭咲く枝垂桜月日の経るや色濃くなりぬ
早く咲き早く散りにし桜かな夕べの風の荒く吹くかな
庭に石枝垂桜や色濃くも月日を経てそ落ち着きにけり
夜の更けて花は見えじも風荒く吹く音ひびき花は散るらむ
故郷の桜
桜平山に太平洋を望み
沖に船行く朝清し
若草のういういしかも
蕗の薹もあまたいでて
植えにし桜も満開
かなた鹿狼山も望み
ここに新たな視界開けぬ
椿も赤く装う道や
畑は耕され実りあるべし
祖の労苦は時を経て叶えられむ
故郷を受け継ぐ者よ
未来は自然と共につちかれるべし
力尽くせ若きも老いも男も女も
災い深く傷ついた故郷
しかし再び蘇るべしかな
今年は桜が咲くのも早かったが散るのも早かった。
今朝桜の咲く土手を歩いていたら桜が夕べの昨夜の雨で濡れた道に散っていた。
そして夕べになる風は強かった。それでまた花が散ってゆく。今年の桜はこのように何か最低さいてもたちまちに散ってしまった感じである。
桜というのはやはり日本を象徴した花である。そこに何か人の命をその儚さを見るのである。
とにかく桜は咲いたらすぐに散ってゆく。そこに返って桜の美がありそれは人間の命も象徴しているのである。
でも枝垂桜となるとそういう感じはない。この辺では他から移ってきた人たちが二つ三つくらい住宅街を作りそこに住んで5年くらいすぎるだろう。その家の庭に枝垂桜は咲いている。そこに石があり月日おいて定着したともなる
桜平山と新しくできた万葉会館に丘からは街がまた海が山脈が鹿狼山が望まれるから気持ちいい、見晴らす場所としていい。
景観でも人間が作りそれで新たな視界を得ることにもなる。
南相馬市でも津波や原発事故で被害があったが改善されたところもあった。ただその傷は未だに残っている。
避難区域になった所がは回復するのが相当に困難である
南相馬市だと小高とかは回復がむずかしい、若人もまれだし子供もいないとなると老人だけで復興することはむずかしい
原町区とか鹿島区などはかえって移り住む人が増えて人口を減ることをまねがれたのである。
だから日本全国でもこうしたことが起きてくるかもしれない、少子高齢化社会で町や村が維持できなくなるからである
相馬地域だと相馬市と原町区を中心にしえ集約化するのである。
現実に小高の人々が原町に移り住んだからである
自然だと少子高齢化はない、今空家や耕作放棄地が膨大になっているが自然だとその空地でもタンポポが咲いてたちまち埋めつくすのである。そこに美があるから空地でも輝いているとはなる。でも空家にはそいうものがない、ただ荒れ果てて荒廃してゆくだけなのである。
だから人間のいなくなった世界がどうなるのか、そこにはやはり美があり美は消えないともなる。
もともと人間がいないとき荘厳な美が自然にはあった。それを破壊したのも人間だったのである。
鹿島区桜田山から海を見る (万葉会館の丘も桜満開)
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