利から金から離れられない人間
(逆に利から離れた金にならないことにこそ真の価値がある)
人間は一時たりとも金から離れることができない。人間の関係は利益利害関係から成り立っている。だから学生時代が貴重なのはそこに利害利益のことが関係していない場だからである。
だから友情でも育まれる。でも一旦社会に出たらもう利益利害金から離れることができない。それで学生時代を懐かしく思う人も出てくる。
例えば宗教ですら今は大概カルトになっているのだがそこでも普通の社会よりご利益利権を求めている。
そういう場に入ったら頭の中が御利益と利権しかなくなる。
だから一体それが宗教なのだろうかなぜ宗教を標榜しているのだろうかそれは全くわからない。
なぜ宗教が出世する出る世の中から離脱する。つまり世の中の欲から離れて心を浄化する。そのために利権とか金とかから離れて修業したのである。
ところが出世という意味が全く正反対になった。出世とはまさにこの世の地位と富とか権力を得ることになったことでもわかる。
この世に生きることはまさに出世争いであり宗教のようなこの世から出る離脱して悟りを開くなどと全く関係ないのである
そこでは返ってあらゆる欲が肯定され欲があればあるほどエネルギーがあっていいとなっている。だからこそあれほどの人が集まるのである。本来の宗教とは正反対なものでありなぜそれが宗教を標榜しているのかまったくわからないのである。
つまりカルト教団とはもっともその聖なるものを汚している団体なのである。ただ数が多く権力を持っているので容認されているのである。
その人は自分の欲望にをむき出しにしてその欲を達成しようとしている。女性に対してもそうだしまたあけすけに金が欲しいとして働き金を要求する。でもその人の方は正直なのである。
でもカルト教団などは宗教を標榜していてもその本来の宗教を追求しているわけでもない。全く正反対のものを追求している。
だから理論的には矛盾している。でも人間は理より利を追求している。だから理論的に理想を追求してもまったく逆のものになっているのである。それはカルト教団でもそうだし共産主義でもそうだったのである。
理に合わなくても利に合えばいい
人間は別に理論などは理解しなくてもいいのである。利益になることは金になることは即座に理解する。それは発達障害の人も利に聡いのである。毎日の暮らしでになることは利益になることは即座に理解するのである。
不思議なのは発達障害の人は何か簡単な計算はできないのに算数ができないのに日日買い物して金を使っている。だから金がいかに重要なものか知っているし金がないからとにかくわずかでも安いものを買っている。人間はともかく利益になること金になることは即座に理解する。だからこそカルト教団はご利益を説き進めるからあれだけ数が増えてくるのである。
でもみんな毎日金に追われ金に使われそれが嫌になって金のない世界に行きたいとなる。現実にまた地獄の沙汰も金次第とまでなっているからだ。
それで全ての価値は金で測られる。金にならないものは価値がないものとされる。でもそういう世の中に生きているとかなにならないものこそまた金とか利益とか関係しない人間関係とか価値が本当に価値あるものかともなる。
だから学生時代は本当は純粋に学問であれ何か社会に出る前に利益ではない金と関係しないそこで友情などを育むことになる。でもそういう場でも純粋に学問や真理を追求する場でもなくなっている。将来の出世のための勉強であり社会的地位を得て裕福な暮らしをしたいそこに既に利益のための勉強となっているのである。
だから逆説的になるが金にならないこと利益にならないことそのことが何か本当に人間にとって価値あるものなのかとまでなる
日本語で遊ぶとは遊ばされるとか何かこの世の利益とは離れたところにありそれが聖なるものとされた。
遊ぶとは利益を求めないことである。でも子供なら利益なしで純粋に遊ぶということがある。でも大人になれば利益なしでは遊ぶこともしない。頭の中は利益しかないのである。金の事しかないのである。とにかくあらゆる人が日日刻刻と金の事しか頭にない。利益のことしか頭にない。そこから離れることはこの世にいる限りできないのである。
利益から金から離れられのは死かないともなる
なぜなら
死者はもう利益とか金を求めない
死者が求めているのは何か?
心より愛すものでありその人を思うことは要求されているのである。死者はもう金も要らないし何も要求しないからである。
そして死者と生者との関係でも介護でも生きているときは負担になり苦しいとなるが一旦死ぬと誰でももっとよくしてやればよかったと後悔しているのである。
なぜなら死んでしまうと何もしてやれないからである。
逆に死んだ人にとっても生きている人に何もしてやれない与えてやることはできない。だからもっと何かしてやればよかった与えてやればよかったよくしてやればよかったとなるのである
でも一旦死ねば生きている人に死者は何もできなくなるのである。だから人間は死なない限りこの世の利益から欲からでも離れることができないのである。死んで始めて利益から欲から離れることができるのである。
でもその前にこの世に生きている時でも利益とか欲から離れることは価値あることになる。つまり利害関係なく利益を追求することなく真善美とか追求することは最高に価値あることになるのである。
でも実際にこの世でそんなことは実現しない。なぜならこの世では利益からよくから金から一時も離れることができないからである。
そういう世の中で利益から離れたこと利害から離れたことそのこと自体が大きな価値があることにかえってなっているのである。
今私は天の神の作った庭園にいる
さまざまな花が咲きその花を見てて飽きない
ただ私はその花に見とれその美に讃嘆する
花々は争うことなく調和して常に咲いている
その美は神が想像したイデアである
神は示したかったのはそのイディアなのである
それは無償で見られるものである
またその果実でも無償で得られるものである
そこに金は介在しない
様々な果実を食しその神のイディなる花々を見る
そこが天国なのである。
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