家の修復が依然として続く
(水漏れしたの樋をまっすぐに下にしなかったから)
樋を真っすぐ下に作れば水漏れはなかった、樋を曲げて迂回したため管に落葉がたまてつまった
それで水があふれて家の下に落ちてきたとなる
家の問題は家そのもの物体としての家がある。建築物としての家がある。なぜ玄関の入り口が水漏れしたのか?
それは樋の配管に問題があった、本来はまっすぐに下に水を流す配管をするべきだったのが建物の構造でしにくくなり遠回りの配管になりそれでつまりながれなくなり逆流した
水がそこであふれて下に落ちてきた。
それを説明されたのでそうなのかとも納得した、でもそこは見ていないので明確にはわからない、そこは入りにくい場所だからである。
前の大工さんは見て水漏れた原因がわかったと言ったがそれを説明していない、でも金は払ったのである
ここで問題なのはなぜそうなったのかそしてなぜ直ったのかの説明が必要だったのである。
家というのは素人でもなんとかわかる理解できることがあるからである。
ただまだ完全にわかったはならない、落葉がたまってながれにくくなりあふれたとしてそれがどういうふうにもれたのかわからない、それはそこ見れないからである。危険な場所でもあるからだ
ともかく家との格闘はつづいているし整理も終わらない、本の整理がどうしてもできないのである。簡単に捨てられないからである。
なぜ樋で失敗したのかというと水の流れに逆らう配管をしたからだともなる。下にまっすぐに流すべきところを流す管を迂回させてめんどうな場所に配管したからである。
それが失敗だったのである。それが今になって問題が起きたとなる。でも築50年となるとなんらか家が傷み修理が必要になる
ここはなにかめんどうな場所だったのである
前は樋から水がもれても流れ出しても簡単に直した、そこは見える場所であり樋を曲げたら直ったからである
家の修復でも終活でも簡単に終わらない、人生も依然として終わらないのと同じである
ただそれぞれの家が確かに郷土の歴史を語っている、私のいえもそうである。二回も水害に合い一回目は二階がないので逃げる場所がなく二階の家を建てることが悲願になっていたからである。それで二階の家を早い時期に建てて親が自慢していたのである
今でもここは街でも一番低い場所であり下水の水があふれ二年前とかでも水が家の中に入って被害があったのである
でも父親が苦労して土地を買いそのあとに建てられた家なのである。だから家には一代だけでは何代かの人間の思いが歴史があるものだとなる。
ただ正直家でも負担になってしまう、大きいと掃除するだけで負担になる。一人だと余計にそうもなる。
この家でも築50年で傷んできたのである、でも住み続けるほかないのである。
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