2023年06月18日

夏の俳句十句ー(牡丹 桑の実、馬肥し、夏燕、ヨシキリ。夏アザミ。夏雲雀、涼しさ)


夏の俳句十句ー(牡丹 桑の実、馬肥し、夏燕、ヨシキリ。夏アザミ。夏雲雀、涼しさ)

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明るしや光眩しく立葵
幸せや桑の実を食う行きずりに
我が庭の日陰に石や黒揚羽
何使う空地広しも馬肥し
高所にそ大工仕事や夏燕
ヨシキリや仕事忙し朝の道
原町や夏菊一面街中に
真日さして十本ほどの夏アザミ

陽の昇り海面光り夏雲雀
涼しさや釣人にかかる波しぶき
涼しさや鴎飛び去り空と海

誇らかに牡丹咲き継ぐ我が家の栄や齢ここに重ねぬ

昨日も暑かったら今日も朝から暑い。これまで作っていた俳句をまとめた。
桑の実は結構なっているのを見つける、それを食べるとき最高に甘美である。なぜならその実は神からこれな直接与えられたものだからである。人から与えられればそこには人の手が加えられ必ず無償で与えられるわけではない。
この世で無償で与えられるものは食べ物などでもほとんどない。
第一水であっても今や金を出しているほかはない。
だからこうしてこの世で無料で無償で与えられるものは最高の価値がある。それは砂漠で得たマナと同じである

不思議なのはこの世に生きる動物は特に鳥はこうして好みを食べて生きているそれは神から直接与えられたものでありいちいち気がねして食べてはいない、当然のものとして与えられ食べている。だから楽園に住んでいる。人間の場合何でも無償で与えられるものがない衣食住全部である。日々労苦して得なければならないし何か与えられるにしても無償なものはない金を払い礼を言い
与えられる。いくら金を払ってもそれだけではすまない、何かを与えられることはそれだけ気を遣うのである。

医者にかかるにしても家でも直してもらうにしてもいろいろ気を使い精神的に疲れる。それは人間のしてくれることが無償ではないからである。
俺はお前にどれだけ苦労して尽くしているかと恩をきせたりする
金だけではかたずかない、それは親でもそうである。子供に対して子育てしても無償ではない、いろいろと子供にも要求する
要するにこの世が生きずらいのはこうして何か人間から与えれるものが無償なものがないからである。それでこの人間社会に生きること自体苦しいものとなる。本当に水飲むことさい無償ではな、下手すると空気を吸うことでも金を払うとかなりかねない、そういう重圧を感じるから生きくるしくなる。
神の国ではすべてのものは神から直接与えられ無償だから天国になる。それがないからこの世は永遠に地獄にもなる。
この世でただより高いものはないというときまさに無償で与えられるものがこの世にはないということなのである。無料となるものが実際は一番高くなることがそれを証明している。

原町は夏菊があっていた。大原で新田川ゆっさの大原の道に夏アザミが咲いていた。その場にふさわし花がある、今は梅雨の時期でありアジサイでありこのころ草深く蛍袋がさく、季節の変化で花も変わる。ただ立葵は梅雨の時期にあわない、明るい陽射しをうけて咲くのがあっている。
意外だったのクローバーは夜ヨーロッパからもたらされたものだった。オランダかららしい。これは牧場に似合うからである。
日本だと馬肥し(うまごやし)となったのは馬を放牧して餌になったからだとなる。確かに広い牧場に向いている。
この辺では津波とか原発事故で空地が増えた。耕作放棄地が増えた。特に避難区域になった所では田んぼだところが空地化してそうなった。
だから何も利用されないからもったないともみる。この辺では野馬追があるから馬飼っているから牧場にすればいいともみる。
とにかく空家とか耕作放棄地は増えてくる。

海の方は海風が涼しい、釣りする人がいて夕暮れに鴎が一羽海のかなたに飛び去った。それを見て気持ちいい、そこで鴎のようになりたいとなる

牡丹は今年も二輪咲いた。それも20年なのか30年なのか庭に咲き続いているのも不思議である。場所がよかったらしい。風通しとかよかったからなのか謎である。



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